今日は、7月24日です。
感づかれました?
そうです、標題の「何よ」は、
今日が7月24日だということが言いたかったのです。
(暑いのに、しょうもないダジャレを言うな)
と、お叱りを受けそうですね。
ほんと、最近、暑い日が続きます。
昨日、所用あって、外出しましたら
胸元ざっくり、ホットパンツ着用のご婦人に会いました。
ぐらっとよろけて、
唾つけたろかな、と一瞬思いました。
かろうじて、理性の力で踏みとどまりました。
その程度の克己心なら
僕にも備わっていたわけです。
お陰さまで、「何よ!」と叫ばれもせず、
警察のご厄介(やっかい)にならずに済みました。
さて、克己心と言って、
思い出すのは、この言葉。
「子(し)、温(おん)にして(はげ)し、
威(い)あって猛(たけ)からず、
恭(きょう)にして安(やす)し」〈述而)
孔子の門人が師を評した言葉です。
現代語訳すると、
「穏やかな方です。
しかし、激しさをお持ちです。
威厳を備えてらっしゃいます。
しかし、猛々(たけだけ)しいわけではありません。
恭(うやうや)しい態度で人に接せられます。
しかし、心にゆとりがあります」
という感じですかね。
ひと言で言うと、弟子はともかく
権力者の視点からすると、
孔子って、煮ても焼いても食えん人だったろうなと思います。
こんな掴みどころのなさで
春秋戦国時代という波乱の世を生き抜かれたのですね。
ところで、「生きる意味の不況」
という言葉を、雑誌「金曜日」で見かけました
(清水康之「絶対に後戻りしてはいけない」という記事)。
何でも文化人類学者の上田紀行さんが
日本での自殺の多さを嘆き、
現代の状況をそう呼ばれたのだとか。
確かに、真綿で首を絞められるような日々の生活の中で
生きる意味が見出しがたくなってます。
「楽しく、明るく、前向きに」
が時代のメッセージです。
それに抗(あらが)って生きる硬骨漢は、
どこで、どんな嫌がらせを受けるか分かりません。
「死ぬ気になったら何でもできると言うけれど、
そこまでして生きたいと思わない」
という、諦(あきら)めめいた気持ちになるのも無理からぬところです。
しかしね、
「何かを懸命にする」イコール「生きる」ではないですよ。
孔子を例に引くのはおこがましいですが、
彼は、生きました。
しかし、特にしゃかりきになっては何もしなかったです。
「無理に形にしようとしなくていい」
という寛容さが
彼を支え、彼の名を不滅のものにしたのだと思います。
思うがまま、感じるがまま、そのまんまが外に出ていない、
まったく出ていないわけではないけれど、
自分を出し切ることに価値が置かれていなかった…
個性の時代と呼ばれる現代、
「存在自体がキモイ」の烙印を押されかねない人です。
しかし、思考じゃじゃ漏れ、
感情じゃじゃ漏れ状態で力を浪費し、
生き急ぐ結果になるのは避けられています。
違うかな?
えっ、お前、思考も感情も両方、すでにじゃじゃ漏れって。
それはそうかもしれないですね。
反省しとります。

感づかれました?
そうです、標題の「何よ」は、
今日が7月24日だということが言いたかったのです。
(暑いのに、しょうもないダジャレを言うな)
と、お叱りを受けそうですね。
ほんと、最近、暑い日が続きます。
昨日、所用あって、外出しましたら
胸元ざっくり、ホットパンツ着用のご婦人に会いました。
ぐらっとよろけて、
唾つけたろかな、と一瞬思いました。
かろうじて、理性の力で踏みとどまりました。
その程度の克己心なら
僕にも備わっていたわけです。
お陰さまで、「何よ!」と叫ばれもせず、
警察のご厄介(やっかい)にならずに済みました。
さて、克己心と言って、
思い出すのは、この言葉。
「子(し)、温(おん)にして(はげ)し、
威(い)あって猛(たけ)からず、
恭(きょう)にして安(やす)し」〈述而)
孔子の門人が師を評した言葉です。
現代語訳すると、
「穏やかな方です。
しかし、激しさをお持ちです。
威厳を備えてらっしゃいます。
しかし、猛々(たけだけ)しいわけではありません。
恭(うやうや)しい態度で人に接せられます。
しかし、心にゆとりがあります」
という感じですかね。
ひと言で言うと、弟子はともかく
権力者の視点からすると、
孔子って、煮ても焼いても食えん人だったろうなと思います。
こんな掴みどころのなさで
春秋戦国時代という波乱の世を生き抜かれたのですね。
ところで、「生きる意味の不況」
という言葉を、雑誌「金曜日」で見かけました
(清水康之「絶対に後戻りしてはいけない」という記事)。
何でも文化人類学者の上田紀行さんが
日本での自殺の多さを嘆き、
現代の状況をそう呼ばれたのだとか。
確かに、真綿で首を絞められるような日々の生活の中で
生きる意味が見出しがたくなってます。
「楽しく、明るく、前向きに」
が時代のメッセージです。
それに抗(あらが)って生きる硬骨漢は、
どこで、どんな嫌がらせを受けるか分かりません。
「死ぬ気になったら何でもできると言うけれど、
そこまでして生きたいと思わない」
という、諦(あきら)めめいた気持ちになるのも無理からぬところです。
しかしね、
「何かを懸命にする」イコール「生きる」ではないですよ。
孔子を例に引くのはおこがましいですが、
彼は、生きました。
しかし、特にしゃかりきになっては何もしなかったです。
「無理に形にしようとしなくていい」
という寛容さが
彼を支え、彼の名を不滅のものにしたのだと思います。
思うがまま、感じるがまま、そのまんまが外に出ていない、
まったく出ていないわけではないけれど、
自分を出し切ることに価値が置かれていなかった…
個性の時代と呼ばれる現代、
「存在自体がキモイ」の烙印を押されかねない人です。
しかし、思考じゃじゃ漏れ、
感情じゃじゃ漏れ状態で力を浪費し、
生き急ぐ結果になるのは避けられています。
違うかな?
えっ、お前、思考も感情も両方、すでにじゃじゃ漏れって。
それはそうかもしれないですね。
反省しとります。

去年の今頃のことを考えたら、進歩したじゃんと思ったけど、まだまだダメそうです。
忠太さんも理性が働かれたんですね。(笑)
痴漢行為は犯罪だけど、これは女性もいけないと思いますよ。
はい、女の目から見てもドキドキするというか、ヤバいわ、この方、見えそうよという方おられますもん。
そういう方はやっぱ、気をつけんと…。
途中から忠太さんの真面目なお話を一生懸命読ませてもらったけど、今眠たくなってきたんで、またまともな時に読ませていただきますね。ごめんなさい。
まあ、でも、前置きした話、実体験ですから、そちらはそちらで面白ければ、幸甚です。
ところで、返信コメ、悩むでしょう。PCの向こうには確かに誰かいる、と思うと言葉を返さざるを得ないという気持ちに追い立てられます。しかし、無理して返信すると、結果が裏目に出ます。
気長に行きましょう。本文記事で書きたかったのは、そこのところです。
忠太の罠に、まんまとはまりましたな(笑)
今もお眠状態なんで、まともな時に忠太さんの書かれようとしとっての本質を読ませて頂きます。
ほいでも分からんかったらまた教えて下さいね。忠太先生。。
時間あるときね、また寄って、読んでください。質問はしても答えられるかどうかは分かりませんが。。。
サラッと読み終えて ナンか心に響いたものが
ん? もう一度読んでみる
難しいお話を分かりやすくして下さってるのに
エヘッ 更に、もう一度
自分を振り返ってみます
>思考じゃじゃ漏れ、
>感情じゃじゃ漏れ状態
この表現が面白くって クスクスしてしまったけど
いつも「解りやすいよね~」って言われてる私
こういうことだったのか・・・だらしなく漏れてたんだ
あ、本題に戻します
気負わなく、サラッと生きるのがいいよ
と 仰って頂けたらありがたい
基準は「気持ち良いか 気持ちいくないか」でこの歳まできてしまったわたくし
目標も無く、視野も狭く、
日々只々平和に・・・、人に抗うことも無く、
人を押しのけることもなく、勿論、前に出ることも無く、
親の教えの通り 女は愛嬌・・アハハ コレはどうかと思いますが
ニコニコできるということは、全てにおいて感謝してる・・
こんなんだったから? 菩提寺の女性部会長させられて・・
今度は愚痴になっちゃった
これからも 自然体でボサッとしてて、そそっかしくて抜けていて
それでも、喜ばれるように美味しいお料理を作って
ぼちぼち、生き進めて行こっかな
自分を振り返らせて頂いてありがとうございます
結局 自分の域からは出られない 小心者の私
昨年11月に最愛の人が虹を渡った
どうしても、傷が痛む
でも、私を必要としてくれる人がいる
それをカテに自分を取り戻すゾ
これでいいかな?
僕なんか、振り返っても誰もいないです。飼い猫のチアーが生きがい、という生活を送っています。
baniramamaさんのブログ、何回か訪問させて頂いています。確かに、分かりやすい!
でも、それって、いいことじゃないですか。考えじゃじゃ漏れについては、ときどき栓をするという対策でいい気がします。
大昔、大真面目に
「僕は、ポーカーフェイスやろ。それでよう損すんねん」と友達に言ったところ、返ってきた反応は、「あはは」でした。そして恥ずかしいぐらい心の中を覗ける人間だと言われました。
顔の表情に全部、気持ちが出てるようでした。そのときは、さすがに悩みました。しかし、持って生まれた性分なのでしょう。
僕の場合は、どうせバレてんだから、以後はより正直になろうとしました。大切なことは、自分を知っていることだと思います。