昨年の自殺者は、3万2249人です(7割を男性が占めます)。32,249÷365≒88で、一日平均88人、交通事故死者の6倍もの人が自ら命を絶ちます。10年で県庁所在地が「自殺号」というミサイルで吹っ飛ぶ計算です。
昔、風の便りで、ある知り合いの青年が病気入院したというので見舞いに行きました。首がぐらぐらで、元気な頃と比べると別人になっていました。家族関係のことやら、色々相談されました。頼りになる人間に見えたのでしょう。別れ際、「あなただけは、僕を見捨てないですよね」と念を押されました。
何かアドバイスをしたような、してないような・・・
心もとなくお別れし、一ヶ月後、衰弱死(?)の報を受け取りました。焼香のため、お宅を訪問したとき、生命保険金で葬式をしたと言う話を聞きました。阪神大震災のとき、被災者のある方が「生命保険だけは解約しない。どうしようもなくなったら、自殺すればよい。妻や子に保険金を残してやれる」と言っていたのを思い起こしました。かく言う僕も、失業したとき、生命保険金を残すことだけが誇りであり、自分への慰めでした。今、日本は、先の見えない不況に襲われています。一体どれほどの沢山な人が同じ気持ちになっているだろうかと想像すると、胸が痛みます。
フィンランドでは全自殺者の追跡調査で、自殺率(人口10万人あたりの自殺者数)が90年には30だったのを‘04年には20にまで減少させるのに成功しました。日本も見習うべきです。しかし、現実には、日本の場合、イメージダウンを恐れる企業や、責任追及を避けたがる学校、官公庁は、原因究明をなおざりにしたままであるばかりか、自殺があったことの公表さえしていません。嘆かわしいでは済まない事態です。国は‘06年に自殺対策基本法を定め、翌年、「自殺総合対策大綱」を策定しました。情報隠しは、今や重大なコンプライアンス違反であることを肝に銘じておくべきです。
昔、風の便りで、ある知り合いの青年が病気入院したというので見舞いに行きました。首がぐらぐらで、元気な頃と比べると別人になっていました。家族関係のことやら、色々相談されました。頼りになる人間に見えたのでしょう。別れ際、「あなただけは、僕を見捨てないですよね」と念を押されました。
何かアドバイスをしたような、してないような・・・
心もとなくお別れし、一ヶ月後、衰弱死(?)の報を受け取りました。焼香のため、お宅を訪問したとき、生命保険金で葬式をしたと言う話を聞きました。阪神大震災のとき、被災者のある方が「生命保険だけは解約しない。どうしようもなくなったら、自殺すればよい。妻や子に保険金を残してやれる」と言っていたのを思い起こしました。かく言う僕も、失業したとき、生命保険金を残すことだけが誇りであり、自分への慰めでした。今、日本は、先の見えない不況に襲われています。一体どれほどの沢山な人が同じ気持ちになっているだろうかと想像すると、胸が痛みます。
フィンランドでは全自殺者の追跡調査で、自殺率(人口10万人あたりの自殺者数)が90年には30だったのを‘04年には20にまで減少させるのに成功しました。日本も見習うべきです。しかし、現実には、日本の場合、イメージダウンを恐れる企業や、責任追及を避けたがる学校、官公庁は、原因究明をなおざりにしたままであるばかりか、自殺があったことの公表さえしていません。嘆かわしいでは済まない事態です。国は‘06年に自殺対策基本法を定め、翌年、「自殺総合対策大綱」を策定しました。情報隠しは、今や重大なコンプライアンス違反であることを肝に銘じておくべきです。
私も、少し前に聞いた後援会で、自殺者の多さに驚きました。交通事故に対しては、「道公法を守りましょう!」と声を大にして訴えれれています。
でも、こと自殺に関しては複雑で原因も多岐にわたり、また、プライベートな部分も多く情報開示の難しさも…。
「自殺」という単語が頭をもたげる前の段階で、人々から、社会から、「一人ではないですよ!」というメッセージが届くような社会になれば良いのですが・・・。
妥当でしょうか――。
面白半分で、何もかも聞き出して、故人を侮辱する趣旨で知ろうとしているわけではないのです。積極的に自殺の有無、原因等を、故人が所属した企業や学校、役所は調査する責任があるわけですし、判明した範囲で親子等の特別な縁故関係者に知り得たことを開示するのは、第2第3の犠牲者を出させないためにも、人としてすべき最低限の義務と思います。
『公表』について、認識のズレがありました。
縁故関係者にも開示していない…とは、
あくまで『公表』と捉えていました。
自殺抑止のため、そこまで個人を追い込まない社会を創るには、原因究明が必要です。
確かに常日頃から、個人情報保護法については運用面において問題を感じています。
あるとき、新聞なんかで報道されるのは、隠すに隠せない特殊な場合に限られるということが分かりました。
考えたら、自殺者に比し、報道されている数が少な過ぎます。
自殺というのは、本人が望んだ死という一面は確かにあります。しかし、社会の中で追い込まれた揚句の死という側面もあります。社会を構成する一員として無関心でいていいはずがありません。
ついでながら言うと、小泉元首相は、首相としての現役時代「自殺に特効薬がない」という主張をしました。彼にとって、自殺は、典型的な自己責任の問題なのであり、考えたくないということだったのでしょう。しかし、自殺の大半の原因が経済的な理由にあるとするなら、格差是正こそがその処方薬にあたると思います。特効薬でなくとも、常備薬にしていいわけです。そういう方向には考え方が傾かないところに彼の政治家としての限界が読み取れました。
自殺者の報道数は確かに少ないと思います。「情報が多い!」と言われる現在でも限りがあることも否めません。また、おっしゃるように、ある意味でコンプライアンスが徹底されず、情報操作もあるのかも…です。
その情報操作が是正されることを願っています。
格差是正… 何をもって『格差』とするのかにも違ってきますが、経済的な部分においては、法的に定められた最低限を底辺にというのが理想ですが、現実それが順守されていないから、自殺に繋がる方も出てきてしまいます。悲しいことだと思います。
それを常備薬に…、何とか村?と言うニュースを思い浮かべました。
自由、資本主義、格差是正…ある意味相反するような…、難しい問題ばかりですね。でも、考えていかなければ…。
忠太さんのブログは、何時もボーっとしている私に、こういう場を与えてくださる…有難うございます。