のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

許容することと受容することとの違い ~ 慰安婦問題に関連して

2016年01月22日 04時30分53秒 | 日々の思い
こころの保育園
‏@full_moon_home さんのツイート。

――許すことは、忘れることではない
許すことは、大目に見ることではない
許すことは、相手を免責することではない
許すことは、自己犠牲ではない
許すことは、そのことについて二度と怒りを感じないということではない
許すことは、一時の決心でできることではない
(b2)〔4:23 - 2016年1月22日 〕――

「許すってこと(許容)」は、

「受容」とは違います。

人として

憎まないというレベルの

精神状態です。

「受容」と言うのは、

自己を放棄するに等しい

自分自身への暴力ではないしょうか。

一言で、

「受容」と「許容」の

違いを説明すれば、

謝罪を要するか否かだと

思います。

慰安婦問題で

こりゃダメだと思うのは、

現与党に

謝罪の気持ちが欠落していることです。

しかも

「あの問題はチャラにして欲しい」

という気持ちばかりが前面に出てしまっていて、

「受容」を

求めてるのが分かります。

たとえば、岸田外相の

「"性的奴隷"という言葉は事実と釣り合わない。あくまでも慰安婦である」

という注釈を聞いたとき、

日韓合意の功労者だけに愕然としてしまいました

(拙稿「岸田外相、「慰安婦」という表現をめぐって言葉遊び。日韓合意の声明を出した当人のはずなのに――」参照。*http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/ca20913f9afb8ecfe50ad6ee8fe66d35)。

事実と釣り合っていないのは、

「慰安婦」という言葉の方でしょう。

逆を言って、

さぁ、受容しなさいというのは、

あなた、人格的に壊れてしまいなさい

と言っているのと同じです。

韓国の

従軍慰安婦をやらされた女性からすれば、

「受容」を実行するのは、

無理難題なんです。

決して「許容」してやるまい

という硬い心から拒絶しているのではないでしょう。

そこが

きちんと理解できない内は、

問題が

解決しません。

一度、本気で謝ってしまえば、

「許容」が成立しないというのは、

誤解です。

逆なんですよ。

その誤解が解ける程度に人間的成長を遂げないと、

日本人は、

いつまで経っても

12歳の少年、少女のままです。

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