のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「団塊の世代」という用語について

2014年01月10日 19時07分00秒 | Weblog


出典:AKIHITO‏@knowledgetravelさんのツイート〔2014年1月10日 - 18:52

団子3兄弟の親戚であるかのような

「団塊の世代」

という命名の仕方に、

この言葉を知った頃から強い違和感を感じました。

また、名前に込められた、

群れていたことを誇りにしているという

偉大なる

「One of Them」の世界に

思いを馳せるにつけ、

憧れと共に、

言いようのない疎外感に浸されました。

憧れは、

「みんなは一人のために。一人はみんなのために」

という理念が実現するのは、

大勢いるからこそ成り立つ関係だからです。

疎外感というのは、

「大勢いる」という感覚の裏返しです。

つまり、普通には

「みんなは一人のために。一人はみんなのために」

という関係にならず、

どんなにたくさんな人がいても、

自分は一人ぼっちだ

という寂寥感に襲われるわけです。

世代論の成り立つ根拠が

このような

感覚を養う境遇の通有性にあるのだとしたら、

団塊の世代というのは、

1947年~49年限定というのは、

狭すぎますね。

僕の記憶する限り、

アメリカでは

戦後10年間の多産時代に生まれた子どもを

ベビー・ブーマーと呼びます。

なのに、日本では

3年の内に出生した子どもに限られます。

なぜなんでしょう?

子どもが朝晩の

ラッシュアワーのように

溢れかえる状態が

10年も続くのは長すぎると

判断したのでしょうか。

しかし、現に続いたのだから

続いてないことにすれば、

嘘をついたことになるはずでしょ?

「七五三」

に象徴されるように

日本人の

好む数字である七、五、三の内から

たまたま

選んだ数が三だった結果なのかもしれません。

しかし、それだと、

あまりに趣味的だという批判に晒されます。

確かに、

アメリカの期間試算法は、

丼勘定です。

しかし、好みとして

この数が好きだ的な発想でない分、

客観的です。

実際、「戦後」

の空気が残っている

時代を10年で区切って、

1946年から1955年までに生まれた沢山な子どもを

ベビー・ブーマーとしてまとめるのが

歴史的な概念だけに、

理に適った

やり方でしょう。

多産の時期とも重なっています。

ウィキペディアには、

1946年から1959年までとあります。

しかし、これは、長過ぎるように感じました。


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