■平原インディアン
「われに知識を与えよ。さらば何に対しても思いやりの心をわたしは持てるかもしれぬ。」
ここに紹介したのは、
ネイティブアメリカンの名言@Indianteachingsさんの
ツイートです(リンク)。
「何に対しても思いやりの心を持てる」って、
もし、実現できたら素晴らしいですね。
知識が
愛する方向ではなく、
逆向きになっている場合を
多く見聞きし、
寂しくなる昨今です。
こんな言葉見ると、
とても嬉しくなります。
しばし、見入ってしまいましたよ!!
さて、話変わって、
米兵の
レイプの問題のこと。
息抜きさせてやるという
橋下氏の発想に
違和感を覚えました。
息抜きならば、
ポーカーでもして
鬱憤を晴らしてくれればよい…
というただそれだけで提案です。
しかし、かつて橋下氏は、
光市母子殺人事件のとき、
遺族の側に立って憎しみが全開でしたね。
それとの整合性を、
僕などは
つい考えてしまいます。
もし、沖縄の米兵のレイプ事件が
風俗店の利用を
推奨するか否かの問題という風に
考えるのが正しいのだ
とするなら、
光母子事件の場合にも
同じ対応をすべきだったでしょう。
すなわち、
光市の風俗店の振興につき、
問題点を抽出すれば良かったはずです。
しかし、橋下氏は、
そうはせず、
弁護妨害までされました。
強姦をした者に人権はないがごとくでした。
もし、そうするのが
自分の正義感に適っていると言うのなら、
相手が米兵となった途端、
どうして、こうも
息抜きの問題に終始するのでしょう。
大きな疑問を感じます。
戦争というファクターが
入っているか否かで
扱いが違うと言う理解でよろしいのでしょうか。
いくら考えても、
違和感があります。
光市の場合は、
「弁護の仕方」が怪しからんので、
弁護士会に懲戒請求しろとまで言ってました。
しかし、これ、
法律のプロならすべきでない行為です。
弁護士であるなら
持っているべき当然の倫理です。
分かっていて、
その倫理を投げ捨てたんですよね。
それほど、
感情的になるのは
強姦を
憎んでいたから――
と受け取った人がたくさんいたことでしょう。
しかし、今回は、
被害にあわれたであろう女性の方には見向きもせず、
「息抜きしなきゃね」
でお仕舞なんです。
この間の違いには女性蔑視という視点以外に
沖縄差別の問題が
潜んでいるように感じられます。
女性蔑視については、
書き尽された感さえあり、
それで、視点を変え、
後者の
沖縄差別の問題につき、
若干、
私見を述べます。
さて、沖縄の人は、
地縁の故に住民相互の間に家族愛が成立している、
日本での唯一の地域と思われます。
沖縄戦を戦い、
戦後になっても解放されず、
背負い続けている米国の基地ゆえに
そのような結束が
できあがったのだろうと推測します。
もちろん、今後、
未来は、
選択可能なはずです。
しかし、重い圧迫感があります。
つまり、沖縄の人は、
本土防衛という大義の前に、
対抗し得る倫理がなく、
ただじっと我慢を強いられている
という感覚です。
戦略上、
沖縄が都合がよい…
となったら、
基地を受け入れるしかない。
しかし、それは、
沖縄県民の気持ちを確かめた上での
都合じゃないです。
本土と呼ばれる“他府県”の都合です。
その御都合の結果、
沖縄県民は、
地域全体で大きな家族(同一体)として
繋がっているのではないでしょうか。
その広い家族の心の痛みへの
配慮なく、
ただ、なぜ、単に息抜き論なのかが
不思議です。
米兵が特別扱いされる反面で、
沖縄での差別が
見過ごされている気がします。
違いますか。
その点、お忘れ無きようして頂きたいです。
「われに知識を与えよ。さらば何に対しても思いやりの心をわたしは持てるかもしれぬ。」
ここに紹介したのは、
ネイティブアメリカンの名言@Indianteachingsさんの
ツイートです(リンク)。
「何に対しても思いやりの心を持てる」って、
もし、実現できたら素晴らしいですね。
知識が
愛する方向ではなく、
逆向きになっている場合を
多く見聞きし、
寂しくなる昨今です。
こんな言葉見ると、
とても嬉しくなります。
しばし、見入ってしまいましたよ!!
さて、話変わって、
米兵の
レイプの問題のこと。
息抜きさせてやるという
橋下氏の発想に
違和感を覚えました。
息抜きならば、
ポーカーでもして
鬱憤を晴らしてくれればよい…
というただそれだけで提案です。
しかし、かつて橋下氏は、
光市母子殺人事件のとき、
遺族の側に立って憎しみが全開でしたね。
それとの整合性を、
僕などは
つい考えてしまいます。
もし、沖縄の米兵のレイプ事件が
風俗店の利用を
推奨するか否かの問題という風に
考えるのが正しいのだ
とするなら、
光母子事件の場合にも
同じ対応をすべきだったでしょう。
すなわち、
光市の風俗店の振興につき、
問題点を抽出すれば良かったはずです。
しかし、橋下氏は、
そうはせず、
弁護妨害までされました。
強姦をした者に人権はないがごとくでした。
もし、そうするのが
自分の正義感に適っていると言うのなら、
相手が米兵となった途端、
どうして、こうも
息抜きの問題に終始するのでしょう。
大きな疑問を感じます。
戦争というファクターが
入っているか否かで
扱いが違うと言う理解でよろしいのでしょうか。
いくら考えても、
違和感があります。
光市の場合は、
「弁護の仕方」が怪しからんので、
弁護士会に懲戒請求しろとまで言ってました。
しかし、これ、
法律のプロならすべきでない行為です。
弁護士であるなら
持っているべき当然の倫理です。
分かっていて、
その倫理を投げ捨てたんですよね。
それほど、
感情的になるのは
強姦を
憎んでいたから――
と受け取った人がたくさんいたことでしょう。
しかし、今回は、
被害にあわれたであろう女性の方には見向きもせず、
「息抜きしなきゃね」
でお仕舞なんです。
この間の違いには女性蔑視という視点以外に
沖縄差別の問題が
潜んでいるように感じられます。
女性蔑視については、
書き尽された感さえあり、
それで、視点を変え、
後者の
沖縄差別の問題につき、
若干、
私見を述べます。
さて、沖縄の人は、
地縁の故に住民相互の間に家族愛が成立している、
日本での唯一の地域と思われます。
沖縄戦を戦い、
戦後になっても解放されず、
背負い続けている米国の基地ゆえに
そのような結束が
できあがったのだろうと推測します。
もちろん、今後、
未来は、
選択可能なはずです。
しかし、重い圧迫感があります。
つまり、沖縄の人は、
本土防衛という大義の前に、
対抗し得る倫理がなく、
ただじっと我慢を強いられている
という感覚です。
戦略上、
沖縄が都合がよい…
となったら、
基地を受け入れるしかない。
しかし、それは、
沖縄県民の気持ちを確かめた上での
都合じゃないです。
本土と呼ばれる“他府県”の都合です。
その御都合の結果、
沖縄県民は、
地域全体で大きな家族(同一体)として
繋がっているのではないでしょうか。
その広い家族の心の痛みへの
配慮なく、
ただ、なぜ、単に息抜き論なのかが
不思議です。
米兵が特別扱いされる反面で、
沖縄での差別が
見過ごされている気がします。
違いますか。
その点、お忘れ無きようして頂きたいです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます