〔資料〕
「自白信用性を否定した今市事件訴因変更」
植草一秀の『知られざる真実』(2018年8月 3日 (金))
☆ 記事URL:http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-cc1a.html
2005年12月に日光市(旧今市市)大沢小1年だった吉田有希(よしだゆき)ちゃんが殺害された今市事件の控訴審判決が示された。
宇都宮地裁の一審判決では殺人罪に問われた勝又拓哉氏に無期懲役の判決が示された。
今日の控訴審判決で東京高裁の藤井敏明裁判長は、無期懲役とした一審宇都宮地裁の裁判員裁判判決を破棄したうえで、再度、無期懲役の判決を示した。
一審判決では、勝又氏が当時7歳の女児を、「2005年12月2日午前4時頃」、「茨城県常陸大宮市三美字泉沢1727番65所在の山林西側山道」で殺害したと事実認定された。
殺害場所は遺体が発見された場所とされた。
ところが、控訴審では検察が起訴事実を変更した。
検察は、殺害時刻を「2005年12月1日午後2時38分から同月2日午前4時頃」、殺害場所を「栃木県か茨城県内とその周辺」に変更したのである。
一審裁判員裁判では、自白以外に有罪を裏付ける有力な客観的な直接証拠が存在しなかった。
日本国憲法第38条第3項は、
「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」
ことを規定しており、この条文に反する判決が示されたとも言える。
公判の過程で、客観的な事実が、検察が起訴事実とした、遺体発見現場での殺害と明らかに矛盾していることが明らかになった。
このために、裁判所が促すかたちで、殺害の場所と日時を大幅に拡大する訴因変更が行われたのである。
一審の裁判員裁判では、客観的な直接証拠がなく、判決文には、
「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれているとまではいえず、客観的事実のみから被告人の犯人性を認定することはできないというべきである」
と明記された。
つまり、客観的な直接証拠が存在せず、被告人の自白のみを根拠として有罪判決が示されたものと言える。
検察は勝又氏の自白場面の録音・録画情報を証拠として提出し、これが有罪判決の決め手になったと考えられる。
しかし、その自白内容に重大な矛盾が含まれていることが明らかになった。
第一は、胃内残留物から推定される殺害推定時刻が12月2日午前4時よりは大幅に前の時点であった可能性が高いこと。
第二は、遺体発見現場の状況から、殺害現場が遺体発見現場付近であるとは考えられないこと。
第三は、遺体に勝又氏のDNAが付着しておらず、遺体に残された遺留品の粘着テープから、有希ちゃんでも勝又氏でもないDNAが検出されたこと、
である。
検察の訴因変更は、有罪判断の唯一の根拠としてきた勝又氏の自白供述の信用性を自ら否定するものである。
犯罪の立証の根幹が崩れているのである。
検察が示した起訴事実自体が公判に耐えられるものではなくなったために、検察は訴因変更を余儀なく迫られたわけだが、このこと自体が、犯罪立証の唯一の根拠であった自白の信ぴょう性を否定するものなのだ。
したがって、東京高裁は、一審を破棄して無罪を言い渡すか、百歩譲っても、一審に差し戻す判断を示すべきであった。
刑事司法の鉄則は冤罪を生まないことである。
「たとえ10人の真犯人を逃しても、1人の無辜を処罰してはならない」
これが「無辜の不処罰」と呼ばれる刑事司法の鉄則である。
しかし、日本の現状は違う。
「たとえ10人の冤罪被害者を生み出しても、1人の真犯人を逃すな」
になっている。
被告が真犯人であることに合理的な疑いが存在する場合には、無罪の判断を示さなければならない。
これが刑事司法の鉄則である。
これが完全に踏みにじられている。
「自白信用性を否定した今市事件訴因変更」
植草一秀の『知られざる真実』(2018年8月 3日 (金))
☆ 記事URL:http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-cc1a.html
2005年12月に日光市(旧今市市)大沢小1年だった吉田有希(よしだゆき)ちゃんが殺害された今市事件の控訴審判決が示された。
宇都宮地裁の一審判決では殺人罪に問われた勝又拓哉氏に無期懲役の判決が示された。
今日の控訴審判決で東京高裁の藤井敏明裁判長は、無期懲役とした一審宇都宮地裁の裁判員裁判判決を破棄したうえで、再度、無期懲役の判決を示した。
一審判決では、勝又氏が当時7歳の女児を、「2005年12月2日午前4時頃」、「茨城県常陸大宮市三美字泉沢1727番65所在の山林西側山道」で殺害したと事実認定された。
殺害場所は遺体が発見された場所とされた。
ところが、控訴審では検察が起訴事実を変更した。
検察は、殺害時刻を「2005年12月1日午後2時38分から同月2日午前4時頃」、殺害場所を「栃木県か茨城県内とその周辺」に変更したのである。
一審裁判員裁判では、自白以外に有罪を裏付ける有力な客観的な直接証拠が存在しなかった。
日本国憲法第38条第3項は、
「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」
ことを規定しており、この条文に反する判決が示されたとも言える。
公判の過程で、客観的な事実が、検察が起訴事実とした、遺体発見現場での殺害と明らかに矛盾していることが明らかになった。
このために、裁判所が促すかたちで、殺害の場所と日時を大幅に拡大する訴因変更が行われたのである。
一審の裁判員裁判では、客観的な直接証拠がなく、判決文には、
「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれているとまではいえず、客観的事実のみから被告人の犯人性を認定することはできないというべきである」
と明記された。
つまり、客観的な直接証拠が存在せず、被告人の自白のみを根拠として有罪判決が示されたものと言える。
検察は勝又氏の自白場面の録音・録画情報を証拠として提出し、これが有罪判決の決め手になったと考えられる。
しかし、その自白内容に重大な矛盾が含まれていることが明らかになった。
第一は、胃内残留物から推定される殺害推定時刻が12月2日午前4時よりは大幅に前の時点であった可能性が高いこと。
第二は、遺体発見現場の状況から、殺害現場が遺体発見現場付近であるとは考えられないこと。
第三は、遺体に勝又氏のDNAが付着しておらず、遺体に残された遺留品の粘着テープから、有希ちゃんでも勝又氏でもないDNAが検出されたこと、
である。
検察の訴因変更は、有罪判断の唯一の根拠としてきた勝又氏の自白供述の信用性を自ら否定するものである。
犯罪の立証の根幹が崩れているのである。
検察が示した起訴事実自体が公判に耐えられるものではなくなったために、検察は訴因変更を余儀なく迫られたわけだが、このこと自体が、犯罪立証の唯一の根拠であった自白の信ぴょう性を否定するものなのだ。
したがって、東京高裁は、一審を破棄して無罪を言い渡すか、百歩譲っても、一審に差し戻す判断を示すべきであった。
刑事司法の鉄則は冤罪を生まないことである。
「たとえ10人の真犯人を逃しても、1人の無辜を処罰してはならない」
これが「無辜の不処罰」と呼ばれる刑事司法の鉄則である。
しかし、日本の現状は違う。
「たとえ10人の冤罪被害者を生み出しても、1人の真犯人を逃すな」
になっている。
被告が真犯人であることに合理的な疑いが存在する場合には、無罪の判断を示さなければならない。
これが刑事司法の鉄則である。
これが完全に踏みにじられている。
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