池田清彦氏が
週刊朝日1/4・11号の
「机上の放論」
というコラムで
霊長類学者、山極寿一氏が
子どものために
書いたという
「15歳の寺子屋 ゴリラは語る』(講談社)
を紹介されています。
この本のテーマは、
殺し合いを避けるゴリラ社会の生態です。
ゴリラは、
不満を解消する装置として
「争い」と「仲裁」を
尊重すると言います。
そう言えば、
福島が抱えている
放射能の影響という問題を論じるに際して、
「避難組」と「残留組」に
県民が二分され
対立しているという、
否定的な受け取り方をした
報道のみがなされ、
そうやって
議論し、ときには激しくぶつかることで
仲間意識を確かめ合っている、
という争いの肯定的な側面を見ない
歪みがあるように思えます。
仲裁をする
女性、子どもの視点が
欠落しているから、
そのような
認知の誤りが
生じるのではないでしょうか。
ところで、
山極氏によれば、
人類が戦争をする理由は、
次の三つとのことです。
いわく、「所有」と「過剰な愛」、「言葉」だ云々。
一つ目の「所有」はいいですね。
持つ国に対して
持たない国々がしかける争奪戦です。
アヘン戦争が
その典型ですかな。
このときは、
中国の富が
世界中から狙われました。
最近の例なら、
「大量破壊兵器保有の可能性」という
表向きの口実はともかく、
石油資源の争奪が
目的である
イラン、イラク戦争が
それですかね。
二つ目の「過剰な愛」は、
愛が見せる幻影に惑わされてする戦争です。
聖地奪還とか
そういう名目でする
争いでしょう。
クレオパトラを巡っての
ローマとカルタゴの戦いも
これに含まれるのかもしれません。
三つ目が面白いです。
人間は、
「言葉」故に戦争するんだそうです。
ちょっと解説が必要ですね。
コラムの筆者である
池田氏は
次のように説明されています。
味わい深い文章なので、
そのまま、引用します。
「人間は
ほとんど機能的な意味を持たない国境であっても、
命を犠牲にしてまで死守する
不思議な動物である。
竹島や
尖閣諸島は
命をかけてまで守るほどの
価値はない。
それでも
一度決まった同一性を
死守しようというのは、
我々が言語をもち、
言語は
同一性をねつ造するからだ。
本当の世界は
言語で切り取り可能な確固としたものではなく、
もっと茫漠として
いい加減なものだと思う」と。
そうですね、
ある日、
突如として地殻変動があり、
竹島が消える・・・
どころでなく、
日本が中国や
朝鮮と地続きになるやもしれません。
そうなったら、どうします?
多分、そのときは、
日本人が民族として
受け継いでいるトラウマ、
「蒙古襲来」
の恐怖が
ただちに影響しない形で
蘇ることでしょう。
今からでも遅くないはずです。
このアジアにおいて
日本が、
領土権は領土権として
主張しつつ
率先して
和を保つようで
あればいいですね。
2013年素敵な年になられますように。
昨年は仲良くして下さってありがとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
本年もどうぞよろしく
昨晩は、年越しそばを食べ、紅白歌合戦を見ましたよ。それにブログ記事も書きました。
しかし、年賀状はまだ・・・です。というわけで、また今年も、ぼちぼち始めます。初詣が楽しみですね。
>言語は同一性をねつ造するからだ。
本当にそうだと思います。
でも国民の教育の仕方のよってはそれぞれの国の国民は
捏造と思っていないのがやっかいなことではないでしょうか。
国によって正しい歴史が違うってことも多々あるようですし・・
いい加減なもの・・なるほどその通りだなあって思いました。
今年一年、忠太さんにとって好い年になりますように!
そうですね。
テレビで見てましたら、ドイツとフランスは、歴史ついて同じ教科書を使っているそうです。見方が違う部分は、両論併記の形になっているという話でした。
いつの日か、アジア一帯で使う子どもの教科書が一つに統一されたらいいなと思います。
言葉に込められる意味が違うとしても、どう違うのか分かるだけでも争いが避けられるでしょう。