住友陽文さんがとても貴重な情報提供をされていた。
以下、書き出す。
まずは、
歴史家・住友陽文さんによる、
一番分かりやすい教育勅語失効についての説明。
彼は、
こう言う。
僕も誤解していたが、
教育勅語は、
新たに国会決議をしても復活させえないことはもちろん、
政権のお得意な閣議決定によって
前になされた
国会決議を否定したところで意味がない。
教育勅語だけを取り出して
それを有効ならしめようとしても不可能だ。
憲法に反するものだからだ。
すなわち、「教育勅語を使えるようにしろ」と要請することは、
実質上、憲法破棄の主張だ。
しかるに、
憲法尊重義務のある
内閣において、
教育勅語にある徳目を殊更に引用するのはなぜか。
――もし朋友を大事に、夫婦仲良くなどの道徳を大事にということであれば、そう言えば終わり。なぜ教育勅語からの引用にこだわるのでしょうか。〔12:39 - 2018年10月4日〕――
という住友さんの疑問は、
至極、当然だ。
憲法改正とセットだから、
あちらで言われることがこちらでも言われる。
例えば、
「すべてアメリカの占領中の事だね」
といった事柄
(野良猫@noraneko2615氏のツイート〔20:35 - 2018年10月3日〕参照)。
それに敏感に反応して、
住友さんが
――占領中は、日本の国会や日本の官僚たちに一切の自律性がなかったと言うのだろうか。こう言う人ほど、憲法制定などの審議内容については何も知らないのだろうね。日本国憲法制定過程のことを研究している人で、そんなことを言う人は誰もいない。〔20:50 - 2018年10月3日〕――
とツイートしておられた。
教育勅語の本当に恐ろしいところは、
その洗脳の力だ。
彼は、
こう述べられる。
教育勅語の謄本の回収なども含め、同勅語の排除が徹底的になされたのは、
憲法が押しつけでなく、自発的なものであった証だ。
もし、ただの押しつけなら、
ここまで細やかな配慮はしなかっただろう。
<追記>
この「悪用された」論や、
といった
「一部いいところはある」論は、
教育勅語を復活させたいがための口実だ。
もし、
わずかにしろ教育勅語の復活を認めたら、
我が物顔に
「お国のために」を
連呼する手合いが出てくるだろう。
所詮、国民騙しの論理って、
そんなものだ。
詐欺師を信じてはいけない。
<追記>
以下、書き出す。
まずは、
歴史家・住友陽文さんによる、
一番分かりやすい教育勅語失効についての説明。
彼は、
こう言う。
1948年の国会決議で教育勅語が失効したと勘違いしている人がいる。違うんだよ。日本国憲法と教育基本法の公布をもって失効したわけだ。1948年の国会決議は教育勅語の排除徹底を行なったもの。ダメ押しなわけだ。いわば、死んで幽霊になったものをお祓いして除霊したようなもの。
— 住友陽文 (@akisumitomo) 2018年10月3日
なので、1948年に衆参で教育勅語の謄本の回収を含む、その排除・徹底が決議されたというわけ。ダメを押したということ。日本国憲法は教育勅語のような主権在民に反する法令を禁じている。この憲法のもとで就任した閣僚は、教育勅語の効力について肯定的に評価するだけで失格だ。
— 住友陽文 (@akisumitomo) 2018年10月3日
僕も誤解していたが、
教育勅語は、
新たに国会決議をしても復活させえないことはもちろん、
政権のお得意な閣議決定によって
前になされた
国会決議を否定したところで意味がない。
教育勅語だけを取り出して
それを有効ならしめようとしても不可能だ。
憲法に反するものだからだ。
すなわち、「教育勅語を使えるようにしろ」と要請することは、
実質上、憲法破棄の主張だ。
しかるに、
憲法尊重義務のある
内閣において、
教育勅語にある徳目を殊更に引用するのはなぜか。
――もし朋友を大事に、夫婦仲良くなどの道徳を大事にということであれば、そう言えば終わり。なぜ教育勅語からの引用にこだわるのでしょうか。〔12:39 - 2018年10月4日〕――
という住友さんの疑問は、
至極、当然だ。
憲法改正とセットだから、
あちらで言われることがこちらでも言われる。
例えば、
「すべてアメリカの占領中の事だね」
といった事柄
(野良猫@noraneko2615氏のツイート〔20:35 - 2018年10月3日〕参照)。
それに敏感に反応して、
住友さんが
――占領中は、日本の国会や日本の官僚たちに一切の自律性がなかったと言うのだろうか。こう言う人ほど、憲法制定などの審議内容については何も知らないのだろうね。日本国憲法制定過程のことを研究している人で、そんなことを言う人は誰もいない。〔20:50 - 2018年10月3日〕――
とツイートしておられた。
教育勅語の本当に恐ろしいところは、
その洗脳の力だ。
彼は、
こう述べられる。
教育勅語というのは中身もさることながら、それ自体が臣民の行動や精神をコントロールするために使われる機能を果たしたということも重要な点だ。戦前の校長たちは行事の際に教育勅語を奉読する時、間違わないか相当なストレスで、間違えばチクられ、処分された。火事になれば命がけで謄本を救出した。
— 住友陽文 (@akisumitomo) 2018年10月3日
教育勅語の謄本の回収なども含め、同勅語の排除が徹底的になされたのは、
憲法が押しつけでなく、自発的なものであった証だ。
もし、ただの押しつけなら、
ここまで細やかな配慮はしなかっただろう。
<追記>
「教育勅語そのものはいいが悪用された」みたいに言う人まででてきたけど、教育勅語それ自体の本質が、国のために死ぬよう国民を教育するための教条だから破棄されたのでは?https://t.co/EWkOnh0Y0q
— 町山智浩 (@TomoMachi) 2018年10月5日
この「悪用された」論や、
それ、ドイツで言ってみろよ。 https://t.co/o4EhjJps8g
— れっどゴルゴ🍤ANTIFA (@RedGolgo) 2018年10月4日
といった
「一部いいところはある」論は、
教育勅語を復活させたいがための口実だ。
もし、
わずかにしろ教育勅語の復活を認めたら、
我が物顔に
「お国のために」を
連呼する手合いが出てくるだろう。
所詮、国民騙しの論理って、
そんなものだ。
詐欺師を信じてはいけない。
<追記>
1936年文部省発行『国体の本義』には、教育勅語の12の「徳目」のすべてが「忠の道」=「天皇に絶対随順する道」と明記されている。「いざという時には天皇のために命を投げ出せ」に繋がることを公式に解説していた。柴山、菅、稲田氏のような「勅語にはいい部分もある」という議論は通用しない。
— 志位和夫 (@shiikazuo) 2018年10月5日
2018年10月6日昼 記
2018年10月5日夜 記
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