そこでは、朝マラソンを行い、パソコンや、手話や、履歴書の書き方や、面接の練習等、色々な事を教えて貰いました。娘は、今まで普通級に通っていたため、自閉症のお友達の事がよくわからず、ずっと注意しても聞いてくれないと困っていました。けれどもそこで友達もでき、相談に乗ったり、ボーイフレンドもできたりしました。相模原に転居してからはお付き合いも終わってしまいましたが、とても楽しそうでした。そこで、就職面接の練習をしたお蔭かと思いますが、見事希望の就職先に合格できとても良かったです。短大時代にどんな仕事がしたいか尋ねたら、今までお世話になってばかりいたのでそれを返したいということだったのでヘルパーの通信教育を受けさせて、老人ホームで、ボランティアもやらせて頂きました。そこの方も就職を検討してくださったのですが、そこが決まる前に小さなころから大好きで、よく利用していたBookoofのパートの就職が決まり(そちらは殆どがパートの方で社員は数えるほどしかいないので)大喜びをしました。就職面接会も二度目だったので慣れて沢山受けることができ良かったです。
娘の進学した短大は一年生の時は、専攻を決めなくてよく、娘は英文科に進むつもりで進学したのですが、留学生が多く英語の得意な人が多かったので二年に進学時には、専攻を国文科にしていました。娘の在学中に四年制の福祉科ができることになり、今は短大はなくなりました。新百合ヶ丘にあった短大に又、長距離通学をして、学食でランチを食べ、空いた時間は図書館で過ごしていたようです。高校入試の頃は本当に文章が下手でしたが、短大でレポートを書き、それを訂正してもらったせいか図書館で本を読んだせいか、短大時代にとても文章が上手になったと思いました。ダウン症だと娘には幼い頃から話していて、良く意味が解らず、自分の事をダン症などと言っていたこともありましたが、その頃(ダウン症の子供は、親から21番目の染色体を1本余分に貰った染色体異常なのですが)私はどちらから1本余分にもらったのかと聞かれ、本当に自分の事が解ったのだと知りました。その時は高齢出産で多く生まれるから、多分お母さんだと思うと答えました。本当に良い環境で良かったと思いました。短大卒業前に障がい者の就職の合同面接会が有り、面接し、障がい者の職業訓練校も受験しました。就職試験は全て落ちてしまい、受かった職業訓練校に一年通いました。
無事、高校に進学でき、港南台駅から小田原に、遠距離通学をしていた次女ですが、いささか遠かった事と、長女の大変な件もあったので、平塚に転居しました。先生に言われた孟母二遷めです。主人は横浜の勤務先を、平塚から後に相模原に変わった後も毎日通ってくれました。高校は次女の入学時から男女共学になり、制服も可愛らしく変更になりとても良かったです。とても校風が、特色が有り(私は高校時代社会研究部だったのですが、)文化祭が、全て社会研究部の発表のように、社会問題を大きなテーマにしていました。私は娘がお世話になっているので、役員をし、その為小田原によく通いました。一年生の時は、中学の復習の様な勉強だった為、私は高校からは全く勉強を見ませんでした。それでも最下位になることはなく、友人もでき楽しそうでした。高校三年生の頃は次の進学先を英語が好きだったので、英語の専門学校を見学しました。高校から短大の推薦があると聞き、それがはっきりするのが1月頃だと聞き、見学に行った専門学校からアメリカの同時多発テロの影響で、留学を取りやめて専門学校に流れているので、早くしないと一杯になってしまうとせかされたため悩みました。長女が、自分は体調不良で高校を卒業出来なかったのに、別に英語でなくても家政科などの専門学校ならはいれると思うから、夢だった大学の推薦を待ってみたらと言ってくれたのには、本当に涙が出ました。その意見を聞き、無事短大に推薦してもらうことが出来ました。その短大の見学に行ったとき、案内して下さった教授と、大好きな名探偵コナンの話で盛り上がったと聞いたときは安心しました。
長女がいじめたと言われた事を一番引きずっているのは自分だと、主人や長女に言われ、又、君たちはどう生きるかの本を読み、自分をいじめたクラスメートを許して欲しいと言った男の子を見て、やっと書ける気がしました。超早期教育は落ちこんでいる人にやらせようとする事以外は、とても素晴らしい教育だと思います。色々な事があり、中学3年生の時は、勉強を見るどころではなく、ダウン症の先輩のお母さんから、先輩が進学した高校を教えてもらい、校長先生に推薦してもらい、そこの学校の入試が作文だと聞き、出そうな文章を書く練習をさせました。本当に先輩のお母さんのお蔭で入学出来たと言っても過言ではありません。次は、高校時代を書きたいと思います。
中学に入ると勉強は難しくなりますが、公式を使った問題になるので、小学校ので、小学校のので、小学校の文章問題より、公文をやっていたおかげか楽になりました。自分は余り数学や、英語が好きではなかったのですが、娘と一緒に勉強でき、その頃は公式がわかり、英語も聞いて意味が解るようになり、楽しかったです。娘は、何とかついていけて最下位ではなかったです。又、吹奏楽部に入っていた長女が次女を誘い、私は高校受験もあるし、いつもリズムにワンテンポ遅れるので無理かと思いましたが、パーカッションのパートの先輩が丁寧に教えてくれ、又、顧問の先生に最後の頃は練習時間を少し減らしてもらうことが出来、何とかなり今思えば高校入試の推薦にもよかったし、貴重な体験ができたと思います。
そんな風に長女は次女に良いサポートをして言ったした。私はダウン症児の超早期教育は本当に素晴らしいと思うのですが、ただ1つ問題があるとすれば、手伝ってあげることは親切ではない、何でもやらせる事が本当の親切だと長女に教えそれを長女が実践したことです。それがダウン症の次女には本当に良公式を使った問題になるので、小学校遅れる友達を迎えに行き、自分の妹はダウン症なのに頑張っているのだから、貴女も頑張らなければと言い、言ってあげなければと私も言った事がいじめと受け取られて大変な事件になったので、私は中学時代の事をなかなか書けませでした.