如意吉祥

祀り継いで千年余にもなるという”わしらが郷の大日如来”地縁が、或いは地縁を育んだ象徴・・・に思いを馳せて

河津桜 石廊崎 土肥桜

2025-02-28 22:42:51 | 日記

      

 令和7年2月26日 河津桜を見ようということで6時に家を出発した。当初駿田湾フェリーを利用し、行き慣れている河津ではなくて南伊豆町下賀茂の青野川湖畔に植樹されているという河津桜を見てみようと思っていたのだが、あいにく4月17日迄フェリー欠航ということなので、東名高速を利用し、天城超えし、河津桜を横目に見ながら、東海岸の道路を南進して下田を経て目的地に至りました。

 例年だと、この時期には葉桜となっていてもおかしくはないのだが、概ね四分咲きといったところか、咲き方もまばらで満開に近い木もあれば、日当たりの悪い木など、歌を忘れたカナリヤ然としている。この分だと、三月の2週くらいまでシーズンとなるだろう。

 地球温暖化はいつまでたっても気温か上がらないものらしい。この日はおかげさまで、平年並みの気温であったと思います。この青野川湖畔の桜並木は、結構な数が植樹されていて、歩きでがありますが、植樹されてから左程の年数が経っていので、迫力には欠ける。まあ、河津町の二番煎じといった風情であるが、地形がとても似ていて、近い将来どっちがそっくりさんか識別できなくなることだろう。

 伊豆半島最南端の地勢であろうか、西風が強いという印象は残ります。

         

 これぞ伊豆半島の先端石廊崎。なんともこじんまりした灯台だこと。この岬の先端自体がご神体なんだろうか、石室神社だという熊野神社系の祭神ということだ。この日、おそらく風速15メートルほどの強風に晒されていた。気を付けないと帽子や持っているカメラが風に持って行かれそうだ。足元も気を付けないと老人がよろけたりしたら、即骨折である。

 雄々しい自然を感じさせてくれる貴重な場所だと思う。訪れる人も、それなりに途絶えることはない。自意識過剰であるが、私たちと同年配のカップルが多く見かけられる。おそらく、河津だの南伊豆で桜見物をした後で、一度行って見ましょうよということなんだろう。そうです「何はともあれ、自力で動ける内が花」なんですよ。

 

    

 西海岸経由で帰宅することにした。眠気覚ましに土肥金山駐車場で休憩する。思いも掛けないことであったが、土肥桜が葉桜状態で咲き残っていたのには驚きました。土肥には極早咲きの桜があると聞いてはいたのだが、まさかこの時期に咲き残っているとは、思いもよりませんでした。初めて拝見しました。色はピンク、花は小さめであるが、花数は多いようだ。満開の時、どんな色合いで、どんなシルエットになるんだろうか。一度見たいという気のなりました。

 

 


接木

2025-02-17 20:48:20 | 日記

 

 恥かしながら、「つぎき」を接木と書くとは、いい年になるまで知りませんでした。意味合いから、言って継ぎ木とばかり思っていました。この写真は、3年前のこの時期に、岸山を散歩中、えらく早咲きの桜の木が路傍にあるのを見つけ、一枝折って頂いてきたものを、自宅の河津桜の気に接木し、現在に至ったものである。複数種類があるのだろうが、寒桜の一種には違いなかろうと思う。花弁の色は濃いピンク、花自体は大きめであるが、下向きに遠慮がちに開く。とても不幸なことに、人間には分からないないのだが、小鳥が好む匂いを発するのか、或いは花びらの色に依るものか、とても小鳥の餌食になり易いし、落下しやすい。開花期間は長いのに、鳥害に見舞われ易いのがとても残念です。

 「接木」という表記の仕方、とても言い得て名だと思います。つがれる台木を母木つぐ方を穂木というのだそうです。接木という表現には、母木、穂木の相性を吟味しなさいよという意味が込められているのと同時に、樹皮と木部の境目にある穂木の「形成層」と母木の「形成層」をうまく合わせなさいよという意味を含んでいると思います。

 この時、河津桜の枝5か所に接木して成功したのは、2か所。枝に接木して大きく成長させるのは無理かもしれない。だって、接がれる穂木は異物なんだし拒否反応が起こって当たり前かもしれません。

 


夜麻登波 久爾能 麻本呂婆

2025-01-28 20:14:42 | 日記

  

  yamato wa qunino majorova tatanazuku aoguaki yamagomoreru yamato shi uruwashi

    大和は國の中心 折り重なる青垣のように連なる山々に深々と抱かれた大和は 本当に麗しい (倭建命 辞世)

 倭建命(やまとたけるのみこと)とは第十二代景行天皇の息子ということで、史実とすれば、考古学的には4世紀前期から中期に存在した人物ということである。東方征伐の帰路で、現在の三重県亀山市能褒野で命尽きたとされる。

 宇流波斯、万葉仮名ではこのように記載した、現代語では麗しと表記し、美しい、きれいだ、整っているなどどちらかといえば外見を表す場合が多いかもしれない。臨終に当たって単に美しい、きれいも有るまいと思い、広辞苑で調べたところ、感情表現として、かわいい、いとおしいという意味合いを持つようだ。

 

 齢75にもなってから、車の運転とは憚られるのであるが、もう一度行きたい或いは見過ごしてしまった古都奈良の神社仏閣へドライブしてみようと思い至ったのが昨年春のことである

 静岡県島田市から高速道路を利用して四日市から一般道である名阪国道で奈良県天理市に至る。そこから名所旧跡を巡るのである。往復の道のりは概ね750km位になる。高齢者にとって、応える距離である。まあねー 野となれ山となれ、時間に追われないだけ有難い。車の前後に四つ葉のクローバーステッカーを貼り付けて、憚りながら時速100キロを超えないように運転するのです。すると、当然ながら、若い衆らが遠慮なく追い越して行ってくれる。それはそれで当然のことではあるが。距離を置かずに前に割って入ってこられると恐ろしい。何のための枯葉マークなんだろう。

              最初の3枚は纏向の箸墓古墳 邪馬台国卑弥呼の墓ではないかなどと言われている。私はそれはあり得ないだろうと思っている。宮内庁の管理する孝霊天皇皇女ヤマトトトビモモソヒメの墓ということになってるらしい。日本書紀などによれば第7代天皇紀元前341年生まれ紀元前215年死去だという。その皇女が3世紀末の墓に葬られているとは、とてつもないフィクションだと思う。

 7~8世紀に書かれた万葉仮名でのヤマトが夜麻登、3世紀の支那人が日本人の発音を聞いて書いたヤマトが邪馬台。日本書紀を編纂する側からすれば、誠に邪魔な邪馬台だったろう。紀元前660年神武天皇が橿原宮にて即位されたことをもって、國を肇めたとした以上、卑弥呼などに出てきてもらっては困るのだ。どうだろう、記紀を編纂する当時、”親魏倭王”なる金印が為政者側の手の届く処に在ったとしたら、絶対に出て来ないように、始末しただろう。魏の皇帝は卑弥呼の遣わした魏使達にも複数の銀印などを下賜したというが、未だ発見されてはいない。

 そういえば、卑弥呼と重なる歴史上の人物に神功皇后が居られます。仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母、一時は天皇として扱われたことも有ったようです。皇統にとっても重要なポジションに居られる方々です。継体天皇と父系でつながる方々であるからです。日本書紀では神功皇后支那のあの文献の卑弥呼かな?と一応は触れているようです。

 次の5枚は明日香村の石舞台蘇我馬子の墓ではないかと言われている古墳。残りが飛鳥寺、日本最古の金銅仏、飛鳥大仏そして曽我蝦夷の首塚。

 これらは体が動くうちに見ておきたいと思っていたものだ。

       

 橿原神宮  遥か昔、神武天皇がこの宮で即位され、日本国始まりの場所である。

 

       

 薬師寺 昭和39年頃、中学校の修学旅行で一度訪れたことがある、当時は、こんなに多くの伽藍も西塔もなかったと記憶している。また少年時の記憶では薬師三尊がもっと大きな像と思いこんでいて、記憶などというもの、あてにはならないもんだと今更認識しました。法話や写経などと、とても活気のある寺です。

 

       

 唐招提寺 薬師寺から1.5キロ位しか離れていないので、寄りました。

 以上、令和5年6月8日の自前ドライブでの奈良見学。拝観料が馬鹿にならないですが、狭い範囲に多くの

名所、旧跡があって、奈良はコスパ最高だと思う。

 

 令和6年7月6日突然、明日宇治の平等院へ行こうと思い立ち、早めに就寝し4時起きして5時に家を出ました。新東名金谷インターから伊勢湾道、新名神高速を経て宇治へ至ろうと考えていたところ、伊勢湾道で工事のため一般道へ一度迂回せよとの表示が出ていたため、旧名神高速に変更、おそらく20~30キロ距離は伸びるだろうけども、慣れない場所で右往左往するのも嫌だったからそういうこととした。ドライブの道すがら、以前、犬山城、彦根城、安土城跡などいった記憶が懐かしく思い出された。

 あちこちのパーキングで休み休み、それでも10時頃には、目的地「宇治平等院」に到着。今までに、2度ほど訪れたことがある。自分で車を運転して来たのは初めてである。藤原道長の息子、藤原頼道により1053年に創建されたという。世界遺産、国宝にもなっている。10円硬貨の裏側がこれである。端正なシルエットを持つ一見左右対称な建物である。宇治といえば、源氏物語宇治十帖、宇治茶といったところか。木津川の畔の隠居寺といった風情である。

 わびぬれば 身も浮き草の根も絶えて 誘い水あらば ゐなむとぞ思ふ ・・・・・ そういうお気持ちもお察し申し上げよう。

     

 建物内部の阿弥陀如来像や壁画も拝観したかったけれども、待ち時間2時間以上ということだったので割愛した。オーバーツーリズムの弊害だな。でも、びっくりするのは、欧米からの観光客が際立って増えたのには驚きますね。

 

 さて、次はどこへ行こう。・・・・・・ いつか実物を見てみたいと思っていた仏像を思い出した。奈良秋篠町にある秋篠寺の伎芸天だ。ひたすら木津川を下って、鄙びた寺にたどり着く。この寺の創建は古く、光仁天皇の勅願によるものとされる(西暦776年)桓武天皇による平城宮造営と時を同じくしているという。1135年戦乱による火災で多くを焼失し、鎌倉時代に補修された本堂だけが現存しているという。本堂は国宝に指定されている。

 で、現存する伎芸天といえば、建造された当時の部位は首から上の頭部のみだという。胴体その他の箇所は鎌倉時代に作られたという。それでも、重要文化財である。言うのも憚られるのだが、運慶の手による鎌倉時代の補修などといえば天下の国宝となるだろうに。

    

 どこへ、行っても文化財の照明は暗い、老いぼれた視力では、詳細に観察は叶わない。幸いなことにこの伎芸天の写真を売っていたので買ってきました。この像の顔に、もはや朝鮮半島の面影はない。とても写実的で純和風の表現がなされていると感じる。で、この面相は現世なのか来世なのか識別できない。なまめかしい分けでもないが枯れてはいない。悟った瞬間なのか。・・・・・息あるうちにこんな面相を一度でいいからしてみたいものだ。

 

 次に目指すは、国営平城宮跡歴史公園、大極殿、大極門、朱雀門、遣唐使船など目を引く建造物が建っている。寄ってみようと敷地を一周したのだが、駐車場の位置がわからず、割愛した。

 

 名阪国道を経由して帰るつもりだからということで、唐子鍵遺跡に寄ってみることにする。

  

 弥生時代を代表する大規模環濠集落だという。ここに住んでいた人たちが、箸墓でお馴染みの纏向に移り住んだという説もあるようだ。出土した土器に書かれた線描画を基に復元したという二階建ての塔のような建物が印象的だよね。

 

 この時、午後3時頃だったので、前回寄ろうと思って叶わなかった法隆寺に行くことにした。20分も走れば着くだろう。

       

 世界最古の木造建築物と言われ、聖徳太子縁の寺である。最後の写真は、中宮寺の入り口であるが、この日は、門が閉じていて、とみに有名な国宝「菩薩半跏像」を拝むことは叶いませんでした。

 この季節、確かに暑い、しかし、日が長いので、長距離ドライブには向いている。

 

         

 令和6年10月26日、かねてから一度は行きたいと思っていた長谷寺に出向きました。例によって、5時出発到着は10時となりました。奈良県桜井市初瀬にある寺だ。この片田舎によくもこんなに立派な寺があるもんだと感心してしまう。堅牢な屋根に覆われた階段、総欅の本堂や鐘楼、ミニ清水の舞台といった造作である。現在の建物は江戸時代のものらしいが、堂々の国宝である。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            

 


里の紅葉

2025-01-22 13:47:03 | 日記

令和6年11月下旬の島田氏大津の「どうだん原」

 

令和6年12月上旬の周智郡森町の大洞院の紅葉(森の石松の墓所)

 

小國神社

 

袋井市の油山寺

 いわゆる紅葉の名所といわれる処の大規模な紅葉はそれはそれで見応えのあるものだと思う。しかし近隣の鄙びた紅葉も一点物の侘び寂び作品をじっくりと味わう風情がある。

 私は生まれも育ちも島田市(合併前の六合村)大井川東岸であるが、江戸時代を通じて通行の便が制限されていた為か大井川以東、以西で人の気質に違いがあるようだ。駿府文化圏、浜松文化圏の差といったところか。所謂遠州にはモミジやカエデを人の手で植樹した神社仏閣が少なからず見受けられるのだが、以東にはあまり無いと思います。

                 

 


皇紀2685年正月15日齢75歳

2025-01-15 14:45:33 | 日記
 正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし
 孫は来てよし来なくてよしーーー孫がいるだけ有難いというべきであるが、とにかく騒々しく声が甲高い、それが脳天に浸みるから始末に悪い。
また彼らの動きについていけないのだから始末に悪い。ずいぶんと老いぼれたものである。一週間もいられたら、たまったものではない。せいぜい二泊三日程度で十分である。
 新年に当たって願うことは、今年がごく平凡に過ぎて行きますようにーーーそんなところか。