「世界のオザワ」が逝った。指揮者の小澤征爾さんが心不全のため、6日に都内の自宅で亡くなったことが9日、分かった。88歳だった。 小澤さんは桐朋学園中3年時に、指揮者の齋藤秀雄氏に弟子入り。52年に齊藤氏の肝いりで設立された桐朋女子高音楽科(男女共学)へ第1期生として入学、57年に桐朋学園短大を卒業した。 59年に成城学園中時代の友人の父でフジテレビ、産経新聞の社長だった水野成夫氏らの援助を受けて渡仏。同年にブザンソン国際指揮者コンクール第1位となり、翌年に審査員だったシャルル・ミュンシュ氏に師事。ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインに師事した。 61年にニューヨーク・フィルハーモニーの副指揮者に抜てきされるなど、若くして世界のクラシック界で活躍を始めた小澤氏だが、62年には「N響事件」が起きる。同年6月からNHK交響楽団(N響)と半年間の指揮契約を結んだが、27歳の小澤氏に対して「生意気」「態度が悪い」などの感情的反発で演奏をボイコットされた。これをきっかけに日本に見切りをつけ、世界のみに目を向けたと言われる。 その後はシカゴ交響楽団、トロント交響楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、サンフランシスコ交響楽団を指揮いて「世界の小澤」と言われるようになった。71年には新日本フィルハーモニー交響楽団を創立。73年にはアメリカ5大オーケストラのひとつ、ボストン交響楽団の音楽監督に就任。88年には長野冬季五輪では音楽監督を務め、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章した。 師の齋藤氏の没後10年となった84年には、メモリアル・コンサートを東京と大阪で開催。それを母体に、サイトウ・キネン・オーケストラを結成し、92年からは、国際的音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」を開催し総監督を務めた。15年からは「セイジ・オザワ 松本フェスティバル(OMF)」に呼称が変更された。昨年9月の同フェスでも、指揮はしなかったものの、車いす姿で登壇。指揮を務めた「E.T.」「スター・ウォーズ」作曲家ジョン・ウィリアムズ氏と握手し、会場を沸かせていた。 08年に文化勲章を受章。10年には食道がんと診断され、食道全摘出手術を受けたが、その後、演奏に活動に復帰していた。 ◆小澤征爾(おざわ・せいじ)1935年(昭10)9月1日、満州国奉天市(現・中国瀋陽市)生まれ。41年帰国して、東京・立川へ。45年ピアノを始める。夫人は元モデルの入江美樹。長女はエッセイストの小澤征悦征良、長男は俳優の小澤征悦。ミュージシャンの小沢健二は甥にあたる。(日刊スポーツ) |
1度生で聴いてみたかったです。
ご冥福をお祈りします。