「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」などで知られる漫画家の松本零士(まつもと・れいじ)さんが2月13日午前11時0分、急性心不全の為、都内の病院にて逝去した。85歳だった。告別式は近親者のみで既に執り行い、妻で漫画家の牧美也子(まき みやこ)さんが喪主を務めた。後日、お別れの会を予定している。 6歳の頃から絵を描くのが好きだった松本さんは、9歳の時に手塚治虫氏の「月世界紳士」などに衝撃を受け、漫画を描き始めた。趣味が“仕事”に変わったのは16歳の時。漫画雑誌「漫画少年」に投稿した「蜜蜂の冒険」が掲載され、商業誌デビューを果たした。受賞をきっかけに「毎日小学生新聞」の連載を担当することになったが、原稿料は全て父親に生活費として渡していたという。 幼少期から宇宙や機械が大好きだった松本さんは、「いつか自分でロケットを設計して宇宙に行きたい」という漠然とした夢を抱いていたが、家計を支えるために漫画家の道に進むことを決意。高校卒業後は、漫画道具一式と現金わずか700円だけを持って、福岡から上京した。 上京後は文京区の「山越館」で下宿生活をスタート。生年月日が同じで、「仮面ライダー」「サイボーグ009」などで知られる石ノ森章太郎氏とともに憧れだった手塚氏に実力を買われ、アシスタントを務めていた時期もあった。 代表作の「銀河鉄道999」は、松本さんが39歳だった1977年に少年画報社「少年キング」で連載がスタート。無料でもらえる機械の体を求め、アンドロメダ星雲に向けて鉄道の旅を続ける星野哲郎とメーテルの姿を描いた同作は、壮大でロマンあふれる作風で漫画ファンの心を奪った。 連載中の78年に早くもテレビアニメ化されるなど、宇宙戦艦ヤマトシリーズに続き、松本零士ブームが日本中に巻き起こった。 2019年にはイタリア北部のトリノ滞在中に体調を崩し、病院に緊急搬送されたこともあったが、その後は回復して無事に帰国。近年はメディア出演などは控え、画業に専念していた。 今年、画業70周年を迎え、「銀河鉄道999」、「宇宙海賊キャプテンハーロック」はテレビ放送開始から45周年と節目の年だっただけに、日本中が悲しみに包まれた。 ◆松本零士(まつもと・れいじ)1938年1月25日、福岡・久留米市生まれ。16歳の時、投稿作「蜜蜂の冒険」で商業誌デビュー。57年「少女」掲載の「黒い花びら」で漫画家デビューを果たす。68年代に青年漫画誌が誕生し、青年漫画のジャンルで活躍するようになった。2001年に紫綬褒章を受賞。代表作は「銀河鉄道999」、「宇宙戦艦ヤマト」など。 (スポーツ報知) |
ヤマトや999はよく観ました。
ご冥福をお祈りします。