東映の時代劇ややくざ映画で活躍し、バラエティー番組でも親しまれた俳優松方弘樹(まつかた・ひろき)さん(本名・目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)が21日午前11時26分、脳リンパ腫のため、都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。 松方弘樹さんは「映画スター」の印象が強いが、歩みは一筋縄ではいかない。10代半ば、歌手志望だった。一緒に歌を学んだのが五木ひろし。その歌声を聞くうちに自信を失い、父に連れていかれた東映で俳優人生をスタートした。 ライバルといわれた北大路欣也が東映のスター候補生として王道を歩んだのに対し、69年から2年間、ライバルの大映にレンタルされた。急死した市川雷蔵さんの穴埋めを期待されてのことだったが、大映が傾くと倒産寸前の71年に東映に復帰。73年にスタートした「仁義なき戦い」シリーズで敵役・悪役として存在感を示し、芸域を広げた。二枚目の北大路に対し、二枚目半の幅広さが定着した。90年代からはプロデュースにも関わり、主演も兼ねた「首領(ドン)になった男」は3億5000万円の借金をして製作。2億円余りの利益を残したが、出資者らをチャーター機に誘い、ハワイや台湾を旅行して豪快に使い切った。 85年にスタートしたバラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」では「大物スター」の意外な一面が笑いを呼んだ。細長く畳んだハンカチの端を両手でつまみ、額の汗を拭く独特のしぐさや、頭に抜けるような高い笑い声でお茶の間の人気者になった。 時代劇俳優の近衛十四郎さん、女優の水川八重子さんとの間に長男として生まれ、弟は俳優目黒祐樹。最初の妻は元モデルの夏子さんで長男・目黒大樹の他に2女がいる。2度目の妻となった仁科亜季子との間に克基、仁美をもうけた。 仁科との交際も不倫関係から始まった。仁科の父、歌舞伎俳優の岩井半四郎さんが激怒する騒動となり、仁科は不倫発覚の77年に芸能活動を休止。2年後、松方さんとの結婚を機に引退した。仁科は離婚後、99年に芸能界復帰した。離婚のたびに多額の慰謝料を支払い、身ひとつから再起するのが「松方スタイル」だった。 趣味の釣りは父親譲り。父と同じヘラブナ釣りからスタートしたが、近年はマグロ釣りで注目され、山口県萩市で実行委員を務める大会で08年に305キロ、09年に325キロのクロマグロを釣り上げている。 (日刊スポーツ) |
釣り好きのおもしろいオジサンのイメージが強いです。
ご冥福をお祈りします。