日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

美しさと現実

2012-06-28 20:46:24 | 日記
あなたがたが誘惑に遭う時には、それに屈してしまわないように出口を教えて下さいます。(コリント人への手紙第一10章13節)

今私は信州で見た余りにも美しい風景に今だ抜けず、撮影も1度紫陽花に行った切で、腕はダメですが、うっとりしています。久し振りに信州へ行けた事も、大きな衝撃だったのでしょう。近辺のものを撮る気になれず、難儀な事です。

でも~昨日は「誘惑に打ち勝つ」というテーマを学びました。これはもううっとりと言う訳には行きません。この世は余りに邪悪で、誘惑に満ちています。悪魔は巧妙に襲いかかりますが、どうすれ良いのでしょう。自分は絶対に誘惑に負けないと思っていても、人の心は無防備です。お金、性、etc,,,小さな事ではダイエットをしようと決めても続かず、つい好きな物に手が行く。結局繰り返す。これ私です。。。深刻な誘惑も同じくつい負けるという事でしょう。

誘惑から自分の注目を他のものに向かう。また聖書の御言葉を心に蓄え対抗する。もし誘惑に巻き込まれ、どうしようも無くなれば、自分一人の力では立ち直れない。信仰の友に気持ちを打ち明け、祈ってもらう事です。そして自分は弱い存在だと認める必要があり、誘惑されやすい状況に身を置かない事でしょう。

厄介なのはプライドです。すべて「うまくいっている。」と見せたいのが私達です。誘惑はつけ込みます。クリスチャンなら何でも話せる小グループや信頼出来る信仰の友が絶対必要です。

学びで現実に目が覚めました。

何とかして下さい。

2012-06-24 19:46:03 | 日記
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。(ローマ人への手紙12章)

1昨日に奈良県との境、木津町加茂にある岩船寺へ紫陽花を撮りに行きました。久し振りの花撮影。三脚ナシでブレ止めの無いマクロ撮影は息を止める様に撮影する。ピントの位置が微妙で、1ミリ違っても全く写真が変わりますから。2時間程いましたが、花撮影は疲れます。

私の撮影頻度は週に1度位でしょうか?礼拝、小集会等の合間を縫って出かけます。撮影は案外疲れるものです。どうしてか解んないけど、、、重い物を持って、歩き、集中してる為でしょうか。早朝撮影の宇治田原は近いのでそうは疲れないです。花と違い、息を詰めてとはしないですから。だから教会の集いのある日の前日には行かない。頭の悪い私は、集会で話す事も多いので、頭が疲れで回転せず、どうも具合が悪い。撮影は気候も考えないと駄目なので、いつ行くのか考えるのは骨が折れます。

今日の礼拝は歩くのも困難で、骨と皮の様になった方が来られ、隣の席に座った。こんな体で来られるのは必死に救いを求めてられるのでしょう。時々胸に水が溜まり抜いてもらう為に入院の繰り返し。時々ゼーゼー言われ、苦しいだろうな、と思う。

毎日その方の為に祈ってますが、神様!何とか救って下さいと。救いは本人と神様との関係からですが、祈らずにはいられないです。心開かれる事を切に祈ります。

山下 清 放浪美術館へ

2012-06-20 18:26:54 | 日記
自分の宝を地上にたくわえるのは止めなさい。(マタイ6章19節)

八千穂高原からの帰り、ネットの地図で諏訪湖畔に山下清さんの美術館がある事を知り、時間があるので寄りました。TVドラマで優しくユーモアに溢れた人柄で大変面白く見てたのです。そして貼り絵てどんなものだろう?と興味があったからです。また放浪て障害のある彼がどうして出来たのでしょう。

多くの貼り絵、油絵、水彩、スケッチが展示してある。やはり貼り絵には目を見張りました!これだけ綿密に、また色彩豊かで、やはり天才です。日本のゴッホと言われたとか。TVでは放浪のロマンだけ見てましたが、全く違う面を見ました。真似出来ない才能に圧倒されます。特に花火の絵には紙を紙縒りにして旨く利用したものです。お札を千切って描いたのもありました。

TVで見た彼とは少し違い、小さい時苛められ反抗して、手に負えず施設に入ったのでしょう。その施設で彼の才能が開花したのだから人生何が幸いか解らない。どうも同じ場所が苦痛なのか、また出て外の自然が見たいのか、るんぺんして食に困らず、寝るのは駅のベンチや様々でしょう。抜群の記憶力があり、放浪で風景を鮮明に覚え、何気なく施設に帰り貼り絵を描き、また暖かくなれば出かける。

彼には育てて下さった先生にも恵まれた様です。抜群の才能の為おのずとそういった人が現れるのだと思います。絵の才能と抜群の記憶力、根気には本当に感心します。反面欠落したものがあったでしょうが。

現在では駅で寝たりしたら警察に通報されるでしょうし、物貰いなどしてもくれないし、不審者として捕まるかも。戦前戦後のドサクサで許された面があり、人々もおにぎり位は差し出す要素があった気がして、時代背景を感じます。有意義な美術館でした。

八千穂高原

2012-06-17 18:31:30 | 日記
山は緑 谷も緑 森も原も 畑も ほめたたえよ ほめたたえよ ほめたたえよ 御神を (新聖歌478)

八千穂高原は8年位前の秋に家から車で出かけました。10月初旬で丁度白駒池の紅葉が見頃で他はまだ早かったので、いつかもう1度行きたいと思ってました。ネット友がよく行かれ、白樺とレンゲツツジのとっても綺麗な風景を撮ってられ、憧れてしまい、お互いに都合が合えば現地で会いましょうと申し合わせていました。日程の都合は付かなかって残念でしたが、色々情報を教わりバラエテイに富んだ旅が出来ました。

13日から全て電車で出発し(車では行けません。年齢を感じます。(>_<))諏訪湖からレンタカーを利用しました。懐かしい麦草峠。暫く走ると霧がやって来て回りの景色は一変。気温はグンと下がる。宿へ着けば冬の気温です。オー寒い。宿は半纏を貸して下さった。

翌14日は早朝4時置き。近場の白樺林へ。オー憧れの白樺とレンゲツツヂが咲いている。まだ5分咲きでしょうか。日が指しなかなか良い風情。直ぐ駒出池へ行く。小さな池ですが、山ツツジが満開で、池面には白樺が映りこんでいる。池端にはクリンソウが咲き、少し離れた所にはベニハナイチヤク草が咲いている。この花に出会いたかった!愛しい花。周囲が余りにも美しく感動。

ネット友に紹介して頂いた某高原にセットする。ここは入口が2か所ある様で、予期しない場所から入った様です。行けど行けど解らない。林道に入って少し不安にはなったが、やっと集落というか町に出ました。小海とか野辺山とか、清里とか聞いた事はあるけど来た事のない場所へ入った様です。旅はこういった全く予期しないとこへ来れるのがいいですね。目的のとこへは来れないけど、某所で白樺とレンゲツツジがあるではないですか!またその周辺の雄大な事。畑の産物に皆ビニールが被せてあり、農業の方々の熱心さが解ります。レタスが多いみたいですが、信州の気候に合った美味しい野菜が出来そうです。

15日はやはり4時起きで近場の白樺林へ行く。何とカメラマンが多く、レンゲツツジも満開のも出て来ました。朝日に照らされ感動。その後が大変。花木園のクリンソウは綺麗ですが、ベニハナイチヤクソウの群生は鹿にやられたとか。凄く残念!自然園へ行く。ここはアップダウンがきついですが、大きな滝がありびっくり。白駒池も登りがきつい。その割には夏は面白さが無い。16日の早朝は雨で、これも回りが白っぽくなって良いかも?と出かける。更にカメラマンが多い。霧が出ていい風情。

16日は帰り。アチコチ寄り道はしましたが、無事帰れ良かったです。しかし足は棒になり、でも何とか帰り感謝しました。

父の日に思う

2012-06-12 09:11:01 | 日記
父たちよ、あなたがたも、子供をおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。(エペソ人への手紙6章4節)

昨日の小集会で取り上げられた聖書箇所です。メッセージでは無いですし、少ない人数ですが、父はどんな人であったかを語りました。この箇所の要約は、私の解釈ですが、父は権威を持つべきであって、神様を信じているのがベストですが、子供を怒らせるとは?自分の考えや感情で無く、神様の御言葉から権威を持って子供を叱るのが大切でしょう。でも信じてない父が多いです。まず子供の気持ちを理解し、権威を持って叱る事でしょう。やはり包容力が大切と思います。自分の感情や自分中心で叱ったら子供を怒らせるでしょう。

皆さん揃って父は怖くて、母の影に隠れ小さくなっていた方が多い。また幼く父を失い両親を失い、姉に可愛がって育てられた、という方もあった。両親は優しく怒られた事が無い人も。また父は有名人で尊敬して素晴らしい方だった人も。父は素晴らしいクリスチャンで父のもと、幸いだった方もおられる。

私の父は、、、恥ずかしい話ですが、父の権威なんて無かった。厳しい母が両方を担ってたような。母は確かに若い時は男性的で、世間には有力者。母としては優しすぎる父に任せられなかったのかも。だから私は父には怒られず、母は厳しく私を躾けた。(その割にはづぼらな私です。)でも晩年の母の頑固さや、体の衰えによる、老を受け入れられなくてヒステリーな面を考えると父は死ぬまでしっかりしていてよく動き、父の存在を考えさせられる。

頼りないと思っていたけど、大きな農家の重労働は半端ではなく、よく働いてくれた。やはり一家の主でした。自己主張が少なかったけども、私の事を1番に考えてくれていた様に思う。
最後の頃に神様を信じ、安心して天に召された。返って母より賢かったのでは。だから人間はあの人は駄目とか賢いとは言い切れないものを感じる。

旅を前に出席がシンドかったけど、出られ良かったです。

一日一日を大切に

2012-06-08 18:07:02 | 日記
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネの福音書11章25、26節)

庭には今年も紫陽花が咲きました。雨に濡れ鮮やかさを増します。間もなく梅雨が訪れるでしょう。青い紫陽花が最も紫陽花らしく大好きです。

青色が好きなのか会えば決まって青い色の服を着ている友人が入院手術で驚きましたが、成功した様で安堵です。明るい彼女。きっとこれからも病と仲良く、明るく生きて行くでしょう。

昨日の婦人会で、多くの兄弟姉妹が病で、これも驚きですが、40代位なら仲間が連携で夕食届けたりしたものですが、教会も高齢化してそうもいかなくなりました。今の日本の現状と同じです。

初めて教会へ通う様になった時、皆が夕食届けたり、訪問したりして、親戚でも無いのにこんな世界もあったのか!と驚いたものです。助け合いをよくしました。それが段々と、、、

本当に1日1日の恵みを数え、感謝して生きて行きたいものです。上の聖句の様に神様を受け入れる事により、永遠の命が与えられてるのですから。こんな事言ったら「アホかいな!」と思われる人も多いでしょうが、真理です。またこの事を信じられた事をとっても幸いです。

もし今信じていなかったら、心の平安、生きる喜びも感じなく、空しく不平不満多く過ごしてる事でしょう。イエスキリストを信じる狭き門。狭き門に入れた事、人生で1番幸いな事です。

燃えたひと時の青春

2012-06-05 19:43:10 | 日記
示したまえ 深い主の御心を 御神の時の 流れの中で すべては益となりぬ (新聖歌333)

3日は大阪の某ホテルで例年のごとく「Gちゃんを偲ぶ会」に今年も出席出来ました。親の介護、夫の病気、自分の病気で段々人数が少なくなっていきますが、内容は濃くなっていきます。仲間と集うと一挙にGちゃんに燃えた青春が蘇り、我々も年齢を忘れ、青春時代へ。

集う仲間の内では私が中間の年齢でしょうか。祇園の友人は81歳、そのお連れも何と83歳。随分年齢差があるけども同じく燃えた青春時代があったのです。今もDVDやカセットで夫が無くなって一人住まいでも楽しく退屈しないとのこと。晩年青春だ!これもGちゃんを好きだったからこそです。

TV放送の更生をTVに掛かっていて、宝塚の男役時代のGちゃんの素晴らしさを相手役だったKさんが、素直に語ってられる。音楽学校時代からその才能はずば抜け、誰も真似出来ない。声が低いのが幸いして、声量、歌唱力、芸の確かさはあっ晴れ。ダンスもセリフ、歌詞メロデイも1回で覚えてしまうという。これって天性のものなんでしょう。いくら努力しても芸術には天性のものが無いと伸びていけないと思う。

Gちゃんの男役。哀愁があり神秘的で劇場が割れんばかりの迫力のある歌声に酔って燃えました。私生活でもエネルギーを貰って、随分慰められました。夢の恋人Gちゃん、今も心の中に薔薇色の青春時代として息づいています。ロマンチストだった。これは花写真に役立ってるかな?

また私達可愛いものだな、と思う。不倫とか世の毒々しいものでなく、可愛いものです。
Gちゃんの性格は舞台と180度オフは違い、超無口!悪く言えば変人!?楽しませてくれたらそれで良し。また来年も元気で皆さんに会いたいものです。

眼の検診

2012-06-02 09:01:23 | 日記
もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。(箴言24章10節)

この2~3か月、網膜の血管が脆いのでしょう。滲出物が溜りひと月づつの検診になってしまいました。レーダー治療をすれば、何と視力が良かったのが先月は落ちてガッカリ。目薬を頂き、1昨日はその薬が効いたのか元通り補正してですが視力1,0。滲出物も減って来てるとか。やれやれです。左は異常が無いので助かってます。両眼の人もあり、その事を思えば楽なものです。

しかし私は検査に使われる瞳孔を開く薬に弱い。悪い右目だけなら左がよく見えるので良いですが、両眼される事が多い。凄く眼がぼやけて、フワフワ宙を歩いてる様。この病院は眼科の評判がよく凄い患者!だから家を6時過ぎに出て、7時過ぎに着き、整理カードをもらう。8時に点呼があり、番号順に並び機械で受付を済まし、診察室へ行く。8時15分位から視力検査。機械で網膜検査。診察は9時20分位からです。8時過ぎに受付なら12寺過ぎてしまう。こんなに早くても殆どが11時に診察が終わりますが、1昨日は珍しく患者が少々少なく、10時迄に終わりました。

食事してから三条サクラヤの古都ギャラリーへ。お得意さんを集めての展示会があり、この1年程夫と共に出している。出展料は入用ですが、受付、搬入搬出も何も無く気楽。年3回もある。出すのは好きでは無いので止めとこうか、と思うのですが、「出しまへんか?」と電話が来るとつい、、、今出展中で、検診の帰りに寄った。ガレージからはだいぶ歩かなきゃならない。眼は薬でフワフワ。気持ちは悪いし光が凄く眩しい!(三条サクラヤさんは京都なので誰にも知らせず、用事でよく通る友人一人しか知らせて無いです。それに1点だけですから。)

帰ってからもシンドクテ!瞳孔開く検査後は余り歩くのは良く無いのでしょうか。