Ⅰ 季節はずれの「エドヒガンザクラ」 中日新聞から
桜の名所が見ごろ?
季節外れの花を咲かしたエドヒガンザクラ=日立市で
桜の名所として知られる日立市で、
エドヒガンザクラが季節外れの花を咲かせ、地元の人を喜ばせている。
見ごろを迎えているのは、同市神峰町の市営高松台団地脇にある10本。
5年前、団地の前に市道ができたことを記念し、
住民グループ「中小路を住みよくする会」などが植えた。
毎年、春には薄ピンク色の花を楽しめるが、
今月に入って突然、開花したという。
植樹に携わった男性(69)は「なぜこんな時季に…」と驚きながらも、
うれしそうな様子。通りかかった子どもたちは「見て、見て!」と、大はしゃぎだっ
た。
(生島章弘)
http://www.chunichi.co.jp/00/ibg/20061026/lcl_____ibg_____003.shtml
Ⅱ 秋に咲いた桜には古代史に有名な話がある。
仁徳天皇の息子で、第17代履中天皇は履中元年(400)に即位し、
都を大阪から、磐余(現在の大和桜井町の近く)に移し、宮殿を新築した。
即位の翌年11月(現在の12月)、宮殿が完成したので、落成式をした。
落成式の余興に、天皇は宮殿の前の池に舟を浮かべて楽しんでいたら、
何処からともなく、桜の花が飛んできて、盃に花びらが舞い落ちたと言う。
天皇は時ならぬ桜の花に吉兆だと喜び,完成した宮殿を「稚櫻宮」と名付けた。
あとで、桜の花が舞い落ちたのは宮殿の建設に従事した役人の一人が
山に咲いていた桜の枝を採ってきたからだと判り、
天皇は桜の枝を採ってきた役人に、「稚櫻部造」という号を賜ったという。
後に「稚櫻部造」は志摩と若狭の国司となったので、
「稚櫻部造」の名前から、若狭の国の名前が生まれたと言われている。
履中天皇は各地に国司を置き、各地の歴史を編纂させた事でも有名な天皇
大阪,堺市にある日本で三番目に大きい古墳に葬られている。
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/017/index.html
http://megasite.cool.ne.jp/Mega/Kodaishi/kodai05/Mozu/Map_Mozu.jpg
天皇の盃に舞い落ちた桜は現在の「十月桜」ではないかと言われている。
前にも書いたが,秋に咲く桜は現在の日本には大きく分けると4種類ほどある。
どの桜の花が天皇の盃に舞い落ちたかのか現在ではわからない。
Ⅲ 晩秋に花を咲かせる桜がある理由
第一の理由は日本の桜の先祖返りである。
日本の桜の先祖はヒマラヤ地方に咲いている桜だと言われている。
ヒマラヤ桜は秋に咲く桜なので、秋に咲く桜が日本に存在しても不思議はない。
「ヒマラヤザクラ」について
幹の直径50cmにもなる落葉高木.
ヒマラヤからインド,中国,タイ北部に分布し,
日本では11月から12月頃まで開花する.
現在、東京大学の構内に咲いている「ヒマラヤザクラ」
http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt/kigi/sakrhima.htm
ネパールのサクラと日本の桜は両国の友好の架け橋
-2006年日本・ネパール国交樹立50周年に思う-
パルーンのサクラ 元東京農業大学教授 染郷 正孝
http://www.nichine.or.jp/sakura.doc
第二の理由は狂い咲きである。
植物は秋になり、日照時間が短くなると,冬に芽が出ないように、
葉が根元に休眠を促す物質(成長抑制ホルモン)を作る。
その作用で、芽は葉や蕾が翌春まで開かないように休眠する。
害虫に葉を食べられたり、台風で葉を取られてしまうと
葉の成長抑制物質が作られないので、
季節はずれに若葉が出たり、桜の花が咲いてしまう事がある。
私の経験でも、6月、家の桜に「アメリカシロヒトリ」の害虫が発生した事がある。
ちょうど、木に掛けてあった巣箱に「シジュウカラ」の雛が孵っていた時であった。
沢山の毛虫は孵った雛の餌になると思い、殺虫剤を撒かないでいた。
やがて、桜の木は葉を食いつぶされ見事に丸坊主になってしまった。
梅雨が終わる頃、若葉が芽吹いたが何本かの枝に花が咲いた事がある。
又、秋の台風の影響で葉が散った桜の枝にも、
寒い日が続いた11月の末に桜が咲いた事がある。
今年の秋は我が家の桜も、毛虫が大発生したのか?
葉のない枝が沢山ある、今年は11月下旬に花が咲くかもしれない。
私は履中天皇の盃に舞い落ちた桜の花びらは現在の「十月櫻」「冬桜」ではなく、
宮殿建設の突貫工事の影響で、葉を落とされてしまった桜の枝が
初冬の暖かい日差しのなかで、春がきたと錯覚して,
桜の花を咲かせたのではないだろうかと思っている。
以上
桜の名所が見ごろ?
季節外れの花を咲かしたエドヒガンザクラ=日立市で
桜の名所として知られる日立市で、
エドヒガンザクラが季節外れの花を咲かせ、地元の人を喜ばせている。
見ごろを迎えているのは、同市神峰町の市営高松台団地脇にある10本。
5年前、団地の前に市道ができたことを記念し、
住民グループ「中小路を住みよくする会」などが植えた。
毎年、春には薄ピンク色の花を楽しめるが、
今月に入って突然、開花したという。
植樹に携わった男性(69)は「なぜこんな時季に…」と驚きながらも、
うれしそうな様子。通りかかった子どもたちは「見て、見て!」と、大はしゃぎだっ
た。
(生島章弘)
http://www.chunichi.co.jp/00/ibg/20061026/lcl_____ibg_____003.shtml
Ⅱ 秋に咲いた桜には古代史に有名な話がある。
仁徳天皇の息子で、第17代履中天皇は履中元年(400)に即位し、
都を大阪から、磐余(現在の大和桜井町の近く)に移し、宮殿を新築した。
即位の翌年11月(現在の12月)、宮殿が完成したので、落成式をした。
落成式の余興に、天皇は宮殿の前の池に舟を浮かべて楽しんでいたら、
何処からともなく、桜の花が飛んできて、盃に花びらが舞い落ちたと言う。
天皇は時ならぬ桜の花に吉兆だと喜び,完成した宮殿を「稚櫻宮」と名付けた。
あとで、桜の花が舞い落ちたのは宮殿の建設に従事した役人の一人が
山に咲いていた桜の枝を採ってきたからだと判り、
天皇は桜の枝を採ってきた役人に、「稚櫻部造」という号を賜ったという。
後に「稚櫻部造」は志摩と若狭の国司となったので、
「稚櫻部造」の名前から、若狭の国の名前が生まれたと言われている。
履中天皇は各地に国司を置き、各地の歴史を編纂させた事でも有名な天皇
大阪,堺市にある日本で三番目に大きい古墳に葬られている。
http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/017/index.html
http://megasite.cool.ne.jp/Mega/Kodaishi/kodai05/Mozu/Map_Mozu.jpg
天皇の盃に舞い落ちた桜は現在の「十月桜」ではないかと言われている。
前にも書いたが,秋に咲く桜は現在の日本には大きく分けると4種類ほどある。
どの桜の花が天皇の盃に舞い落ちたかのか現在ではわからない。
Ⅲ 晩秋に花を咲かせる桜がある理由
第一の理由は日本の桜の先祖返りである。
日本の桜の先祖はヒマラヤ地方に咲いている桜だと言われている。
ヒマラヤ桜は秋に咲く桜なので、秋に咲く桜が日本に存在しても不思議はない。
「ヒマラヤザクラ」について
幹の直径50cmにもなる落葉高木.
ヒマラヤからインド,中国,タイ北部に分布し,
日本では11月から12月頃まで開花する.
現在、東京大学の構内に咲いている「ヒマラヤザクラ」
http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt/kigi/sakrhima.htm
ネパールのサクラと日本の桜は両国の友好の架け橋
-2006年日本・ネパール国交樹立50周年に思う-
パルーンのサクラ 元東京農業大学教授 染郷 正孝
http://www.nichine.or.jp/sakura.doc
第二の理由は狂い咲きである。
植物は秋になり、日照時間が短くなると,冬に芽が出ないように、
葉が根元に休眠を促す物質(成長抑制ホルモン)を作る。
その作用で、芽は葉や蕾が翌春まで開かないように休眠する。
害虫に葉を食べられたり、台風で葉を取られてしまうと
葉の成長抑制物質が作られないので、
季節はずれに若葉が出たり、桜の花が咲いてしまう事がある。
私の経験でも、6月、家の桜に「アメリカシロヒトリ」の害虫が発生した事がある。
ちょうど、木に掛けてあった巣箱に「シジュウカラ」の雛が孵っていた時であった。
沢山の毛虫は孵った雛の餌になると思い、殺虫剤を撒かないでいた。
やがて、桜の木は葉を食いつぶされ見事に丸坊主になってしまった。
梅雨が終わる頃、若葉が芽吹いたが何本かの枝に花が咲いた事がある。
又、秋の台風の影響で葉が散った桜の枝にも、
寒い日が続いた11月の末に桜が咲いた事がある。
今年の秋は我が家の桜も、毛虫が大発生したのか?
葉のない枝が沢山ある、今年は11月下旬に花が咲くかもしれない。
私は履中天皇の盃に舞い落ちた桜の花びらは現在の「十月櫻」「冬桜」ではなく、
宮殿建設の突貫工事の影響で、葉を落とされてしまった桜の枝が
初冬の暖かい日差しのなかで、春がきたと錯覚して,
桜の花を咲かせたのではないだろうかと思っている。
以上