港の見える丘公園の展望台に立つと、群青色の海の向こうの観覧車に赤レンガ倉庫、そしてすぐ足元の山下ふ頭に停泊する観光船まで、横浜の港の景色が一望できる。
横浜きっての観光スポットであるこの公園から東に広がる山手地区は、瀟洒な邸宅や低層の集合住宅が並ぶ閑静な住宅地でありながら、その合間に外国人墓地や古い教会の点在する観光地でもある。
そしてこのあたりはまた、ミッション系の学校が集まる文教のまちとしても知られている。
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共立学園、フェリス女学院、雙葉学園は女子校、サンモール学園は、肌の色も髪の毛の色もさまざまな子供たちが共に学ぶインターナショナル・スクールである。
先の2校はプロテスタント系のミッションにより、雙葉とサンモールはフランス発祥のカトリック・サンモール修道会によって設立された。
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サンモール修道会の日本における活動の歴史は古く1872(明治5)年にさかのぼる。
次に紹介する1922(大正11)年5月11日発行の英字新聞ジャパン・アドバタイザー紙の記事はサンモール修道会による学校設立50周年記念祭の模様を伝えている。
文中の「紅蘭女学校」というのがすなわち現在の雙葉学園、「外国人学校」がサンモール学園を指している。
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サンモール修道院、半世紀に及ぶ横浜での教育活動を記念して
本日午前より祝賀会を開催
現在生徒数800名の学校も始めはごく小規模
50年前の6月、サンモール修道会のメール・マチルドと同会の4人の修道女が横浜に設立したサンモール修道院は、今週、教員、学生、OBらがともに創立50周年を祝う。
修道院が設立されたのは5月ではなく6月であったが、現在の修道院長であるルース修道女が休暇のため2週間後にフランスに帰国する予定であることから、前倒しで祝賀会を行うこととなった。
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正式な記念行事は本日8時30分から礼拝堂で行われ、東京大司教であるレイ師が数人の聖職者の補佐のもと、ミサを執り行う。
ミサ終了後、参加者は大集会室に移動し、記念行事が行われる。
シンガポールから届いたサンモール修道会総長マーガレット・メアリー修道女の手紙を、ルース修道女が日仏両言語にて朗読する。
総長は最近、先般この施設を訪れたことから、そこで行われている活動について熟知している。
また約300名のOBが出席すると見込まれており、彼女らには記念品が贈呈される予定である。
その後、午後2時からは、日本人生徒たちが太閤秀吉の時代の日本の生活を描いたいくつかの劇を上演する予定。
一連の祝賀行事はレイ大司教による祝福の秘跡を以って終了する。
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今週土曜日にレセプション開催
午後2時より始まるレセプションは外国人生徒OBとその友人らのために行われる。
英語とフランス語の劇が上演されるほか、ピアノとヴァイオリンによる演奏も予定されている。
このプログラムは日曜日の午後2時より高等部である紅蘭女学校の日本人生徒とその友人らのために再演される予定。
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土曜午後の催しには、ローマ教皇庁駐日外交使節代表のジャルディーニ師、フランス大使ポール・クローデル氏、同夫人、在横浜フランス領事P・デジャルダン氏、同夫人が出席する。
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サンモール修道会は、横浜において日本人および外国人を対象とした教育及び社会福祉活動に従事してきた。
これは日本における外国人による教育活動の歴史の中で最も注目すべき、自己犠牲的な取り組みの一つである。
横浜が半世紀の進歩の結果である現在の近代都市からかけ離れた姿であった50年前の頃、この地を訪れたマチルド修道女は、「奉仕」という言葉を胸に抱きつつ4人の仲間に助けられながら活動を開始した。
その働きは今や現代日本の教育の道しるべとして輝きを放っている。
当初、サンモールは、現在のセントジョセフ・カレッジ近くの二軒の家屋を拠点として設立された。
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設立当初は孤児たちのための学校
この修道女らは、主に日本人の孤児を対象とした活動を意図しており、これは横浜とその近郊ですぐに評判となってまたたく間に400人の孤児が入所した。
修道女らは、外国人居住者の子供たち数名についても指導を行った。
学校は約1年半の間、これら二つの小さな家にとどまったが、すぐに手狭になり、現在のブラフ83番地に移転した。
現在の校舎は6棟から成るが、業務が急増していることから、効率的に運営するためにより多くの建物が必要となっている。
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1876年、フランシス・グザヴィエ修道女がマチルド修道女と4人の仲間に加わり、以来、現在に至るまでサンモールにおいて教鞭をとっている。
当時の小さな組織のメンバーで、現在もこの施設に関わっているのは彼女だけである。
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マチルド修道女は1911年、97歳で亡くなったが、その才能と能力は最後まで衰えることがなかった。
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50年前、未だ小さな組織でありながら大きな志を抱いていた時代から教職員の数も増え、現在は教員17名のほか11名の日本人修道女が従事している。
また聖職者以外の男女職員も数名雇用されている。
サンモールの最初の生徒の一人であるメアリー・ホワイト嬢やアンナ・ウードゥア嬢もスタッフの一員である。
現在、修道院長を務めるルイーズ修道女は7年前に来日し、2年前にサンモールの教員となったが、それ以前は東京のサンモール修道院に関わっていた。
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在校生800名
現在、サンモールでは800名の生徒が学んでおり、その内訳は外国人150名、日本人孤児140名、初等及び中等部の日本人生徒450名となっている。
サンモールの教育活動は、外国人学校、初等・中等教育、孤児指導の3つに分かれている。
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日本人孤児たちのための活動は、常に修道院の事業の中で最も重要な位置を占めている。
孤児たちは実用的な教科を学んでおり、放課後は特に裁縫に重点を置いた指導が行われている。
修道院での訓練が孤児たちの自立を可能にし、その価値は数百名の孤児らによって証明されている。
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高等部である紅蘭女学校においては、毎日3時間、英語とフランス語の特別授業が行われている。
このクラスは日本人生徒の間で人気があるため、スペース確保が修道会にとっての喫緊の課題となっており、新校舎建設が急務とのことである。
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サンモール修道会の修道院は、横浜のほか東京・静岡と国内二か所にある。
静岡の修道院ではフェルナンド修道女が院長を務めている。
サンモール修道会はヨーロッパにおいて最も活発に教育活動を行っている修道会のひとつである。
本部はパリ市ラベ・グレゴワール通8番地。
筆者注記
「当初、サンモールは、現在のセントジョセフ・カレッジ近くの二軒の家屋を拠点として設立された」という記述について。
当時セントジョセフ・カレッジは山手85番地にあったが、別資料(斎藤多喜夫『横浜外国人墓地に眠る人々』81ページ)は「(来日当初、マチルドらは)ノールトフーク=へフトから山手五十八番地にあった小さな家を借り」としている。
そのほかにも検証が求められる箇所(「またたく間に400人の孤児が入所した」など)が見られるが、ここでは原文に従った。
図版:トップから
・サンモール学院庭園の一部(写真絵葉書、筆者蔵)
・サンモールの外国人生徒たち(The Japan Advertiser, May 11, 1922より)
・裁縫の実習を行う日本人孤児たち(The Japan Advertiser, May 11, 1922より)
・紅蘭女学校の生徒たち(The Japan Advertiser, May 11, 1922より)
参考資料:
・The Japan Advertiser, May 11, 1922
・斎藤多喜夫『横浜外国人墓地に眠る人々』(有隣堂、2012)
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