アリアンス・フランセーズ(フランス協会)は世界各地に拠点を持つ団体であり、日本においては1903年10月に横浜で結成された。
東京・横浜在住のフランス人居留民が中心となって文芸や演劇関係の講演等を行うサークルとして、居留地の娯楽活動の一端を担っていたようである。
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1906(明治39)年1月16日火曜日、ブラフ178番地に建つヴァン・スカイック・ホール(フエリス和英女学校講堂)にてアリアンス・フランセーズの定期会合が開催された。
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今回のテーマはフランスにおけるロマン派の代表的詩人にして政治家としても活躍したラマルティーヌ。
会合の議長を務めるコグラン氏自らによる、この詩人の代表作『瞑想詩集』に関する研究発表と、それに続く演奏会を目当てに少なからぬ人々がホールの客席を埋めていた。
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冒頭、コグラン氏は次のように述べた。
当初は散文と詩作を含むラマルティーヌの作品全体について概観することを意図していたが、研究を進めていくうちに『瞑想詩集』が最も興味深い部分だと気づいた。
その作品にこそ詩人の天才的特質が見事に表れているのである。
そして次のように続けた。
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ラマルティーヌは生来の詩人というよりも、歌い手として生まれついたのである。
彼の詩はほとばしるナイチンゲールのさえずりにほかならない。
それは、夜明けを、薫る風を、銀色の月を、木々の小枝の上に生まれた恋人たちの喜びと幸福を、そしてそれがなえていく時の悲しみを褒めたたえる。
ラマルティーヌの『瞑想詩集』を研究するために、書物の最初から最後まで目を通す必要はない。
あてずっぽうに本を開けばいずれのページにも、どのような情念が彼のことばに霊感を与えたかはっきり見て取ることができる。
なぜならそれらはその瞬間に生まれ出た嬰児だからだ。
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一つの例を挙げると、詩人は2人の友人とともに漁師のボートに乗って、ブルジェ湖に漕ぎ出した。
すると激しい嵐が起こり、湖の対岸にある小さな島の岩の上に打ち寄せられた。
ボートの修理が終わるまでの数日間、島の古城に住む老紳士が彼らに宿を貸してくれた。
その後ラマルティーヌは 「湖」という詩を書き、漁師に託してかの紳士に贈った。
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もうひとつの「瞑想」は、彼の心から涙とともに生まれた。
それは芸術家の想像力の産物ではなく、ジュリーの死によって呼び起こされたものであったように思われる。
ジュリーの臨終に立ち会った友人のM. de V.は、彼女が死の間際に唇の上に置いていた十字架を詩人のもとに届けた。
ラマルティーヌは、1年のあいだ沈黙を守り、悲しみのうちに喪に服した後に「十字架」を書いた。
詩人は二度とその詩を読むことはないだろうと言われていた。
書いただけで十分だったからだ。
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ラマルティーヌは革命前にブルゴーニュの丘や森で一人の修道士に出会った。
革命後に彼は還俗して一市民となった。
彼は広大な領地の持ち主で、詩人は手元不如意になったとき、またジュリーを失った悲しみを癒したいと願ったとき、そこに足を向けるのが常だった。
そこで彼は「夕暮れ」を書いた。
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「一輪の花へ」「幼子へ」の二編の朗読の後、コグラン氏は、詩人とその姉妹が子供の頃、天使の音楽と呼んでいたものがどのように演奏されていたかに思いをはせた。
それはラマルティーヌ自身によって語られている。
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子どもたちは柳の枝を弓形や半円に曲げてその両端を留め、ラマルティーヌは姉妹の長い髪から数本を抜き取り、ハーブのように形作り柳に結びつけてつるした。
夏のそよ風が、眠りを誘う様に、また目覚めさせるように、時にやわらかく、時に力強く弦を奏で、それは松の枝に吹く風の音のように、柔らかく甘美な和音を奏でた。
子供たちはそれを聴いて、まるで天使が歌っているみたいだと言った。
このハープには、少女の巻き毛から抜き取ったばかりの初々しい絹のような毛が使われた。
子供たちはある日、天使は別の人の髪の毛でも同じメロディーを奏でられるだろうかと考えた。
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その様子を見ていた年老いた叔母が、自分の髪にハサミを入れることに同意した。
今度は長い白髪である。
別のハープが作られ、両方ともつるされて風に吹かれた。
片方のハープがもう片方より強く張られていたのか、それとも片方のハープに吹く風がもう片方のハープより弱かったのかはわからない。
しかし子供たちは、空気の精霊が、少女の金髪よりも白髪の弦のほうで、物悲しく、哀れを誘う様に歌っていることに気づいた。
いずれも美しい調べを奏でたが、弦となった髪の毛の持ち主たちの年齢が異なるように、音楽のうちに宿る魂もまた異なっていた。
二編の詩が、人生における二つの時代それぞれを正確に表現している。
--青春時代の夢と喜び、晩年の憂いと悲しみ、人生への挨拶と別れ。
しかし、その別れは、人生の夕暮れ時、最も目に鮮やかな光を地平線上に放つ幻影への厳粛で神聖な挨拶だったのである。
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講演のなかでコグラン氏が触れた作品のうち「十字架」をジャミン氏が朗読し、歌曲としても知られる「湖」と「夕暮れ」をルイナット氏が美しい歌声で披露した。
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第二部となる演奏会の最初の曲「スラブ舞曲」を演奏したのはザンガー夫妻である。
これまでヴァイオリン、チェロまたは歌唱の伴奏者としてのみザンガー氏の演奏を耳にしてきた人々にとって、ザンガー夫人との連弾は素晴らしいサプライズだったろう。
特に二曲目で彼は観客を舞い上がらせた。
彼が伝えようとする、作曲家の魂に深く迫る深く情熱的な洞察力の広がりがみごとなテクニックに込められていた。
そしてその結果はほとんど天啓と言っていいほどであった。
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続くヴァイオリン独奏ではボロウスキーの曲をプール氏が切れ味の良い音色で聞かせた。
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次に登場したアーウィン夫人は「五月の夜」と「ニノン」の二曲を歌い、彼女特有歌い方で観客を魅了した。
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会の掉尾を飾ったのはザンガー、プール、シュミットの三氏による三重奏である。
チェリストとして素晴らしい腕前を披露したルドルフ・シュミット氏は、今後、会の音楽指導者の役割を担う人物である。
コグラン議長は年次総会において、シュミット氏がこの骨の折れる仕事を引き受けてくれたおかげで、アリアンス・フランセーズの音楽部門はさらなる発展を遂げるだろうと述べた。
<パンフレット 表面>
横浜アリアンス・フランセーズ
文芸と音楽の会
1906年1月16日5時15分
ヴァン・スカイック・ホール
<パンフレット 中面>
第一部
A. ラマルティーヌ:瞑想詩集
講演 コグラン氏
a. 「湖」
曲:ニーダーマイヤー
歌唱:ルイナット氏
b. 「十字架」
朗読:ジャミン氏
c. 「夕暮れ」
曲:グノー
歌唱:ルイナット氏
第二部
I. a. スラブ舞曲 No. IV.
b. 同 No. VIII. ドボルザーク
ピアノ:ザンガー夫妻
II. 「崇拝」ボロウスキー
ヴァイオリン プール氏
III. a. 「5月の夜」 G.トーマス
b. 「ニノン」 トスティ
歌唱:アーウィン夫人
IV. 三重奏 作品102 終章 ラフ
ピアノ ザンガ―氏、ヴァイオリン プール氏、チェロ シュミット氏
図版:
・「アリアンス・フランセーズ 文学と音楽の集い」パンフレット(筆者蔵)
・写真 記事に登場するプール氏(右端)が、ドイツ人ヴァイオリニスト アウグスト・ユンケル氏(左端)と弦楽四重奏を共演した際のもの。ユンケル氏はお雇い外国人として東京音楽学校でヴァイオリンと管弦楽の教育にあたり、瀧廉太郎や三浦環ら多くの音楽家を育てた。(アントニー・メイトランド氏所蔵)
参考資料:
・The Japan Gazette, Oct. 22, 1903
・The Japan Weekly Mail, Jan. 20, 1906