このオミクロン株の発表があってから、ワクチン接種に来院する人が再び増えたような気がしています。週4日で、多い日には300人近く接種していたものが、だんだんと少なくなり、ワクチン接種希望者への接種はほとんど済んだのかな、と思われていたところでした。週4日の接種日も週1日にしていました。増えた人たちは、きっとこれまでワクチンは様子見だったり、ワクチンに反対だった人たちかな、と推測します。このオミクロン株の登場でワクチン接種に踏み切る人が増えたとすると、これは公衆衛生的にはとても良いことだと思います。
日本政府は、今回、このオミクロン株の発表に即応し、空港検疫を強化しました。12月の日本への帰国便の新規予約を全て停止させました。WHOの言うことを全く聞いていません。善し善しです。そしてその迅速さも最高でした。南アの発表を無意味なものにしていません。最高の対応だと思います。
ただ、海外の日本人の帰国も止めたことに批判が集まりました。そのため、すぐに、日本人の帰国にあたる人は予約できることに修正しました。修正すると、たちまち朝令暮改に批判が集まりました。
でも、このことで日本政府を非難しすぎるのは、私はちょっと同意し難いです。いろいろきっと意見があると思いますが。(私は、ゴルフの石川遼選手への報道機関の猛批判もやりすぎなのでは?そこまで必要?と感じる人間です)
オミクロン株は未知です。
世界を支配したデルタ株を完全に凌駕する感染力を持つことが疑われるウイルスに喫緊で対峙しなければなりません。何が危険で、何が安全なのかすら、まだわからない段階です。その上で、まず国内を防御する、と優先順位の大原則を決めたのだと思います。大原則を決めてくれれば、各省庁、各機関が動きやすくなります。なにしろ時間との勝負ですから。そこで国交省が動くことができて、一旦予約ストップまで発表したのだと思います。それを修正しただけで、なんらおかしいと思えません。
迅速に行動するためには、修正には寛容でなければなりません。修正したことをあげつらって、間違っていたじゃないか、としつこくいつまでも非難するのであれば、素早く何かを決めることはできません。素早く決めろ、でも間違えるな、というのは都合よすぎます。この二つは、トレードオフの関係にあるものです。
ですから、帰国者は予約を認める、という形に修正になったのですから、問題ないと思います。熟慮した上での法案だったら別ですが、今回は緊急事態での通達ですから。日本政府は海外の日本人を蔑ろにしている、とかって、ことさら思いません。仮に私が海外に住んでいてもそう思わないでしょう。修正してくれたらそれで十分です。その上さらに、その修正への批判に時間を使うのは、馬鹿馬鹿しいことです。今、オミクロン株に対して求められているのは、スピードですから。
日本政府は、日本国民が最も守られる方策を考えたのです。今も、オミクロン株とわかれば症状に関わらず入院対応、と大原則を決めてくれました。私はとてもよいと思います。そして、実はそれほど病原性が高くない変異株だった、とわかれば、その時初めて緩めればいいです。そのときに、無駄な政策をやった、と騒いで政争の種にしようとする政党とかはほっとけばいいと思います。ホットケナイノカナ,,,
似たようなことを、再び増えたワクチン接種の行列を見て思います。
ワクチンに反対だと思った人も、考えが変わってワクチンを打とうと思ったら、素直に打てばいい。一生ワクチンをうたない!って勢いで宣言してしまっていたって、打ちたいと考えれるようになれば打てばいいし、そこの壁は低くていい。考えの修正に寛容でいいのではないかと思います。なにしろ未知のウイルスに対峙しているのですから、予想がはずれることがあっても自然でしょう。はずれていることがわかったら修正した道へ進み直せばいいことです。
マスクも同じ。何があっても、どれだけ感染が広がってもマスクはしない!と感染初期にテレビで宣言した愚かな感染症専門家がいました。私は、その色んな意味での愚かさに腹が立って仕方ありませんでしたが、彼ですら、もし考えを改めてマスクしていたら許容します。それで周りの人が安全になるからです。いつまでも非難するつもりはありません。
今でもゼロコロナを掲げて、PCR検査すら協力しようとしない病院もあります。コロナが始まってもうすぐ2年になろうとしているのですから、その間に生まれた知見に沿って、修正することは恥じることではないはずです。初めに立てた方針を、まるで操のように守ろうとするのは、本当の全体の利益にそぐないません。
この感染症対策であくまで大事なのは、全員で助かる、全体で助かることです。そのために、それまでの考えを修正する医療機関や専門家や個々人がいたら、全体が助かるためのことだったら、ウェルカムで迎えなければいけないと思うものです。
第5波が収束した時、これからはワクチン未接種の人たちを守らないといけない、と書きました((参考)拙ブログ「ワクチンパスポートは誰のため 4」)。あまり同意できない人も多かったかもしれないのですが、これは病院で感染対策をしていて感じたことなのです。 この新型コロナウイルスは、自分だけが助かろうとすると、狙いすましたようにその狭い魂胆に寄生してくるように感じたのです。
例えば、当初の大規模クラスターは、ゼロコロナを掲げるような病院で起きました。そうした病院は、自分の病院だけ助かろうとしていたのです。その結果、コロナから逃げることで感染対策がゆるくなり、容易にコロナに入り込まれてクラスターとなってしまったと考えられました。逆に、地域医療を考えて、コロナ患者を受け入れる決意をした病院では、その緊張感から感染対策がしっかりと実践され、クラスターは発生しませんでした。自分の病院だけでなく、地域を丸ごと助けようと動いた病院は安全だったのです。地域の風評では、コロナ患者の受け入れをしている病院は危険だと言われて避けられましたが、実際の病院内での安全性は風評とは逆だったわけです。
そうしたことから、自分だけでなく、周囲全体で助かろうとすることが、回り回って全体の大きな利益になる、そのことを強く感じたものでした。
ちなみに、このブログの題名の「少しだけOne for All」というのもそこから付けました。みんなのために少しづつ自分のできることを差し出し合って、チームとしてこの感染症から助かりましょう、という意味を込めたものです。それが、このコロナ感染対策の重要な秘訣のように感じたものです。
そうしたことから、「これからはワクチン未接種の人たちを守らないといけない」、と書いたものでした。ワクチンを接種した人が、ワクチン未接種の人を守る気持ちを持てば最強だと考えたものでした。
今、日本のコロナが収束しているのは、ワクチン接種をした人たちが、分け隔てなく感染対策をゆるめていないからだと強く感じています。ワクチン接種完了の人は、デルタ株に対して重症化しにくいと考えられるため、自分のことだけと割り切ればマスクはいらない、と考えることもできないでもないのです。それが今でも感染者数が増えている国々の考え方だと思います。
私たちの国の感染者数が抑えられているのは、自分のことだけではなく、周囲も含めた思いやり、「少しだけ One for All」を自然に実践している人たちであふれているからだと私は思っていますし、感じています。あまりに自然に実践しているから、実践していることに気がついていない人も多いくらいです。それがこの国の大きな武器だと確信しています。マスコミ等からのいわれのない批判や、安易で都合のいい海外との比較などで、自分たちのやっていることを疑わないで欲しいと思います。正しいことをどれほど続けてやってきたか、それを自分たちにわかるようにしたい、そう思ってこれまでのことを振り返っていくつもりでいます。微力でしかないですが、自分なりの One for All を大事に、大切に、今まで通りのこのままで、これからのオミクロン株にも勇気を持って対峙していきたいと思います。