玖波 大歳神社

神社の豆知識

幸魂・奇魂

2016-12-08 12:33:42 | 日記

幸魂・奇魂

 一説には、幸魂とは、狩猟・漁猟などにおける獲物(さち)をもたらす霊魂で、奇魂とは、人に健康をもたらす霊魂とされている。
 別の説としては、本居宣長らによるもので、幸魂・奇魂は、和魂の徳用・機能の称で、荒魂・和魂のような単独の霊魂を表すものではないとするものである。
 また、一霊四魂説(一霊は直霊(なおび)、四魂は荒魂・和魂・幸魂・奇魂)では、それぞれに固有の性質や機能を持ち、また補完し合うものとして、並列的な存在とされている言い方と和魂が幸魂・奇魂に分かれるという言い方とがある。
 また、幸魂・奇魂は魂魄であるとする解釈もある。
 山崎暗斎は、大己貴命の瓊を被って、長隠給いしは、大己貴命全体の御特で、これをお祀りした所が、出雲大社であり、和魂であるとし、それに対して、三輪山に留められた幸魂・奇魂は、只一筋に朝廷守護の覚悟から行われたことで、これは計りの心であるから荒魂であるとしている。つまり、全体を祀った場合は和魂で、何々のためとか祟りを鎮めるために祀った場合を荒魂と言っている。(荒魂・和魂の傳)
 幸魂・奇魂は大己貴命の心神であり、天つ神の霊であり、臣民の本体である天つ神の御魂でもある(神籬磐境伝を参照)が故に、大己貴命は、幸魂・奇魂との対話の後に、三輪山に留められたことにより、天つ神の御心と一つになって葦原中国を平定し、やがて天つ神の命令によって、その国土を天孫に奉還し、天孫と共に、わが国一貫の生命である皇統守護の任に就くことになる。
 出雲国造神賀詞では、国譲りのとき、「己命の和魂を八咫の鏡に取り託けて、倭の大物主云々」とある様に、幸魂・奇魂ではなく、和魂としている。

 記紀において唯一の用例が、大己貴命と幸魂・奇魂の対話の後に、三輪山に留められた場面のみでありながら、和魂を分けたのが幸魂・奇魂としているのが多数であるが、山崎暗斎の説も説得力がある。とすれば、荒魂・和魂それぞれに幸魂・奇魂の性質や機能があると解釈すべきではないだろうか。

参照 神籬磐境伝

五大神勅とは次の通りである。
1.『宝祚無窮(ほうそむきゅう)の神勅』
葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。
2.『同床共殿(どうしょうきょうでん)の神勅』
吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。
3.『斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅』
吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。
4.『神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅』
高皇産霊尊、よりて勅して曰はく、吾は則ち天津神籬及びまた天津磐境を起樹てて、當に吾孫の爲に齋ひ奉らむ。汝、天兒屋命・太玉命、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中國に降りて、亦吾孫の為に齋ひ奉れと。
5.『侍殿防護(じでんぼうご)の神勅』
天照大御神、天兒屋命・太玉命に勅すらく、惟はくは、爾二神、亦同じく殿の内に侍ひて、善く防ぎ護ることを為せ

以上をふまえて
神籬磐境伝
 天神地祇八百万大神の元であられる大元神(天照大御神)の御子孫たる天皇と天神地祇八百万大神の流れである国民の関係は、本末の関係となり、あたかも、"皇本民迹"(天皇が個々の国民として現れた、国民は天皇の分化化身)となる。
 神籬と磐境というのは、「天子は日を守り(神籬)、臣下は君を守りて誠を尽す(磐境)」ことで、この君臣道の根本が日本に於いては、天照大神の御誓約によって確立され、その齋奉を天児屋命、太玉命に託せられた。
これが神籬磐境の神勅で、唯一神道において神道の根元となるものである。
 そして顕露には「万人」は,天皇を守ることに於いて,その霊を長く高天原の「日之少宮」に留めることが出来るのであり、人間として,自己の生命の根源がそこにあることを謹みをもって見つめ敬虔に天皇を崇敬しなければならないということである。
また、隠幽には、三種神器を本とする、十種神宝により、自分の魂を鎮魂したものは絶対的な善となり、神として神我を顕現させることができるのある。
 つまり、顕として、皇室に帰一し臣民としての本分を尽くし、自分の適性個性を活かして社会貢献することにより天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、幽として、皇室に帰一し、十種神宝により、自分の魂を鎮魂し、さらに帰神して神人合一し、神として神我を顕現させることが、本来の自分たる神に帰ることであり、神力を発揮することである。


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