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冬コートとクリーニングと洗濯

2023-03-23 22:27:22 | ファッション
私が住んでいる地域は桜が開花した。
上着を冬のコートから薄手のものに交代するとしよう。
この冬の外出は、ダウンコートが重宝した。
次の冬にも着られるように、クリーニング屋に持っていこう。


私の失敗。

ある年のよく晴れた日。
冬物をクリーニング屋に持ち込む前に、ふと思い立った。
コートを家で洗濯できたら、節約になるんじゃない?
洗濯ネットに入れて、一着洗濯機へ。
洗濯が終わって、ダウンのふわふわがなくなり、濡れそぼってぺしゃんこになっているものを取り出す。
洗濯ネットから出して観察する。
ダウンが小さく固まって偏っていた。ハンガーにかけて干すと、ダウンが固まりのまま乾いてしまった。
軽くてふかふきのダウンコートは、洗濯機で洗って干してみると、ふっくらと膨らまず、みすぼらしいコートだったものに成り果てた。
コートだったものは、コートがコートとして次の冬にあるために、クリーニング屋に頼むのは必要経費なんだと私に教訓を残した。


ダウンコートは洗濯機に入れて失敗した。では、ウールコートなら?


15年くらい前に百貨店でカシミヤのロングコートを探したとき、きっと一生物だと思って、何着も試着して、着心地と色合いとデザインが気に入ったものを買った。
5年近く月日は流れて、デザインは気に入っていたけど、私が太ったため窮屈になり、いつか痩せる日がくると箪笥の肥やしにしていた。
更に5年経ち、もう袖を通す日はこないと諦めがついたので、リサイクルショップに売った。
15年の歳月の間、冬のコートはそれなりに入れ替わった。

まだコロナが流行る前、駅ビルのテナントに入っているアパレルショップで、約3万円のグレージュのウールロングコートを見つけた。
色味も丈もサイズも丁度良い。
百貨店で買ったカシミヤのロングコートは、10万円には届かないものの5万円以上した。検討を重ねた甲斐があり、買ってよかったと思えるものだった。

満足のいくコートが約3万円で買えるかもしれない。なんてお得。素晴らしい一期一会。うきうきと試着した。

重かった。
渡されて試着する前に手に持った。ずっしりと重い。
着てみると、持つよりましになったが、全身が重い。
そして、腕を動かしてみると、動きにそわない。
コートが体に一体化しない。
何故?
コートが2次元で出来ているからだと気付いたのは買ってかえってから。
畳まれたコートをショッパーから出すときに、余分な布の膨らみがなく、折り紙のように平坦に畳まれているのは、畳み方の技術が上級なのではと思った。
ハンガーにかけてみた。
ハンガーにかけても平面である。
布は面であり、面を合わせて服になる。
人間の体は3次元である。
2次元を3次元に合わせてもしっくりこないのは、不思議ではない。次元が違うのだから。

重い上に体にそわないので、快適さに欠けるが、それでも着たかった。
色も形も理想的。どんな服装にも合う。
着ているうちに体についてくるかもしれないと自分に言い聞かせて買った。

しかし、快適さに欠ける服は、数回袖を通して、すぐに手がのびなくなった。
見た目が良いだけでは、着続けられない。
着ていても、脱いで持ち歩いても重いので、着ようという気も失せてくる。
とても理想的な見た目なのに、とハンガーにかかったグレージュのコートを眺めながら別のコートを着るようになった。
そのコートは、次の冬を待たずに、クリーニングに出して、リサイクルショップへ運んだ。

恋い焦がれる相手と、安心して身を任せる相手は違う。恋心だけで結婚生活は維持出来ないということなのかもしれない。
相手はコートだが。

傷心のまま入ったリサイクルショップで、真反対の新しいコートを買った。

傷ついた心を癒やすのは新しいコート。

裏地の変色が気になるが、色も形もオシャレ。ベースは水色。白と青の糸で柄になっている生地。
洗えば綺麗になるかな?

買ってかえり、洗濯ネットに入れて洗濯機へ。
なかなか綺麗にならないので、何度も洗濯した。
結果、汚れも変色も薄くはなったが、着用に気にならない程度にはならなかった。
生地が波打つようにゴワっとし、袖や裾がヨレヨレになった。
着る前に処分した。

傷心を慰めるつもりで買ったコート。ついぞ着ることはなかったが、冷静になった。

見た目だけでコートを決めては行けない。買うときに、疑問が解消できないなら、買ってからも満足できない。冬を共に越せないコートを連れ帰ってはならない。

傷心のあまり、条件を妥協しすぎてコートを買うと、お金を無駄にする。

洗濯に使った洗剤や水。勿体ないことをした。

君たちの献身は忘れない。
私の賢さにの礎になってくれて、ありがとう。

勉強料とはこのことを言うのだろう。

同棲を解消した恋人か、金を貢いだのに素っ気ないヒモと別れるときに贈る言葉みたいだが、手痛い損失で私は学んだ。

コートは見た目だけで決めない。
着ても脱いでも共にあることができるものを選ぼう。

クリーニングはコートのための必要経費。次の冬にも着たいコートに、維持費を削ってはならない。

一生物が、言葉通りであることは難しいのだろうか。
人間、生きていれば、横に成長することもある。
縦に伸びる時期が終わってから、横に成長すると、勝手に痩せない。
体型を維持出来るかによって、コートが一生物になれるかが決まる。
一生物になるかどうかは持ち主次第。
私は一生物の持ち主になれなかった。

歳を重ねるごとに顔や髪、皮膚も変化する。
似合っていたものが、似合わなくなる日がくる。
趣味が変わることもある。
入らないという理由以外で、一生物でなくなるなら、世話になった人が栄転するのを送り出すかのように、労いと感謝で旅立たせたい。
だが、私の体型変化についてこられる猛者コートは今のところない。

コートは着たら、その分傷む。
飾りじゃないなら消耗品。
人間とは違う。消耗しても回復しない。
着るか、着ないか。
早めの見切りは損失を小さくする。

冬の終わり、春の始めの一歩は、クリーニング屋へ行く。


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