祖母はよく、日蓮大聖人のような顔をしたお坊さんを若いころに見たという体験を私に聞かせました。
それは以前の「相手は変わらない」というお題で書きましたが、再度母に祖母の体験の話をきくと、出来事は一緒だけれど、違いがあるとわかりました。同じ3次元にいるのにそれぞれ見えているものが違うんだなあと思いました。
祖母は亡くなっているのですが、まだ30代で若く、母から聞いた話では、遊び人の祖父の借金を返すため切り花を売って生活し貧乏ながらも歌をうたって明るく生活したようです。祖母は小学生の母を連れて仏教の話をするため何件か知人の家をまわり、のどが渇いたねといって水汲み場へ行きました。水汲み場は鉄官でできていて、深い土の中にうまっているので滅多に倒れるはずはないのだけれど、鉄管に手をかけた瞬間に鉄管が右のほうに倒れてきました。祖母も同時に右側に鉄管が多い被るようなかたちで転び、泥だらけになったそうです。当時今のように各家庭に水道が通っていなかったので生活水は町の中にある水汲み場でした。
水汲み場にいた主婦たちに起こしてもらい、「気味が悪いので鉄管のことは水道局に連絡するから、早く帰ったほうがいい」と皆に言われ、水を飲んで帰るのをあきらめて母と二人で自宅へ帰る途中、袋小路にある自宅まで数メートルのところで、見たこともないきれいなお顔をしたお坊さんとすれ違ったのです。
「隣の家で葬式でもあったのかな」と祖母は考えながら娘と一緒に家に入ろうとすると、借金の取り立て屋が来ていたそうです。祖母は取り立てが訪問した時は、いつも借金を返すことができず謝るばかりでしたが、「奥さんが悪いわけじゃなく全部旦那さんが悪いから借金の残りはもう返さなくていい」と言って、祖父を説教して帰って行ったという話でした。借金ができてしまったのは、祖父が外では女性にごちそうしたり、困っている人にはお金をわたして作ったもので、総額は当時で家を3件も建てることが出来るような金額だったそうです。
大正生まれの祖母は、お見合い結婚で離婚がなかなか許されなかった時代だったそうです。
母からも祖母は苦労して大変な生活だったと聞いていましたが、祖母が生きているときに何度も聞かせられたこの話も母なら詳しく知っていると思い聞いてみたところ、鉄管が倒れてきたところまでは、祖母と全く同じだったのですが、お坊さんとすれ違ったのは母は見ていないそうです。
同じ場面なのにどうして祖母だけがお坊さんを目撃したのかとても謎です。
私自身も、昨年の秋ですが自宅へ戻る途中に奇妙なことがありました。横断歩道で信号待ちをしていました。横断歩道の向こう側には中年の女性と若い20代くらいの女性と高齢の男性の3人がこちらを向いていて同じく信号待ちをしていました。その日は小雨で自分は傘を持っていなかったのですが、女性二人は傘を持っていて、中年女性は紺色、若い女性はクリーム色の傘をさし服装はどちらもスカートでカバンを持っていました。若い女性は花柄模様の袖の洋服で痩せていました。
信号が青になり、二人の女性とすれ違ったときに向かえの建物のガラスの扉に自分の姿しか映っていないのですぐに後ろを振り返りましたが、二人の女性も男性も誰もいませんでした。すれ違って3秒しかたっていないのにどこに消えたのか後ろを振り返り探しました。信号を渡り切っていないので後ろを振り返りながら歩くと右折や左折してくる車に迷惑がかかるから信号を急いで渡り切りました。
十字路の他の信号にも姿がなく3人とも向こう側の歩道のどこにもいないのです。私が見た人は、信号待ちの空間に設定された架空の人だったと思うようになりました。母に話すと、「雨の日だったから電磁波とか水の影響によって、亡くなった人が出てきたのでは?」という考えです。自分しか体験していないということが寂しいです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます