小説 今回は純文学
ホテル食パン
ナガイケン
私、高木洋が25歳、戦争が終わり、まさに奇跡的に戦地から日本に帰り。
復興を遂げたこの田舎町に、小さなパン屋を開いて10年が経った。
まだまだ貧しさの残るこの日本の街で、商売を成り立たせていくのに必死で働いた。
私の作るサンドイッチが評判になり、繁盛してきた昭和40年、
店員として働くようになった真美に出会った。彼女は真面目に非常によく働くので、ほどなくしてお互いを愛おしく感じるようになり結婚をした。
2年後に娘の舞が生まれた。
創業して約15年が経った昭和45年
いつも通り朝の仕込みを始めた午前5時くらいだったろうか。
店のシャッターをコツコツと叩く音が聞こえた。
シャッターを開けるとそこには小学校2年か3年ほどだろうか?
痩せ細って、うっすらと汚れた服装の小さな男の子が立っていた。
かなり貧しい暮らしをしていることが見てとれた。
その男の子は私の顔を見るなりこういった
「おじさんパンの耳が残っているんだったら分けてもらえませんか?」
貧しい家で生活に困窮をして空腹に耐えかねて来たのだろうか。
ましてや、そんな言葉を初めて会う知らない人に言うのに、どれだけの勇気が必要なのだろう。
「うっ!」私は思わず目頭が熱くなるのを抑えて
「いいよ持っていきな。ほらこの袋に入ってるから」
お腹が空いてるのか。そうか、と思い
「朝来たら、何も言わなくてもおじさんが袋に詰めて置いてあるから時々取りに行きな」
と言って送り出した
少年は何度も何度も頭を下げながら、パンの耳の入った袋を嬉しそうに抱えて帰っていった。
その後、この男の子は安心したのか、週に1回か2回だろうか私の準備していたパンの耳を取りに行きてはうれしそうに持って帰る日々が確か3年ほど続いただろうか。
時々は妻の真美が少し余計に作ったポテトサラダやコロッケなども持たせていたようだった。
いつしかその少年も、引っ越してしまったのだろう、来なくなり、そんな少年のことを忙しい日々の中でも
時々思い出していた。
第二章
時は過ぎた。早いものだ
激動の昭和も終わりを告げ、平成という時代が来た。
経済的にはこの日本の国もずいぶん繁栄する国へと変わってきている。
私のパン屋のほうも順調に経営を続け、市内に5つの支店を作り、順調に成長している。
ある日1人の青年が紙袋を抱えて店にやって来た。
平井公一と名乗り、こう切り出した。
「私は今から10数年前に朝パンの耳をもらいに来ていた男の子です
あの時は本当にありがとうございました。おかげで家族4人飢えをしのぎ、何とか生命を繋ぐことができました」
と
私はそれを聞いて思い出した。
「君か!元気にしていたのか!よかった!今どうしているんだい?」
と聞くと、彼はこう言った。
「あれから中学を出て、家が貧しかったから、進学をせず、就職をすることにしました。東京都内で新聞配達をして住み込みで、朝早くから一生懸命に働きながら製菓の専門学校に通いました」
「そうだったのか。よかった!それで今は?」
と尋ねると、
彼は、「自分の作ったパンです」
と言いながら袋を渡して来た。
「私は社長さんに、パンの耳をいただいていた時から社長さんのような温かい心の人間になりたいと思い、すぐに将来の仕事をパン屋に決めました。
本気でお菓子作りパン作りを学ばせていただきました、そしてようやく練馬にお店を開くことができ、今では軌道に乗り、ケーキやパンを作りながらご飯を食べていけるようになりました。 これも社長さんの温かい心に学ばせていただいたと思い、今でも感謝を忘れない気持ちで仕事をしております」
「そうだったのか。よかった君がどうしているかと時々思い出していたよ。話を聞いて、本当に本当に安心したよ」
「そしてこのパンは私が丹精込めて焼き上げた食パンです!ぜひ社長さんにひと口味わっていただきたいと持って参りました」
私はそのパンを受け取ると、袋に手を入れて少し千切って口にほおばった。
そのパンの味は私の作るホテル食パンと同じじゃないか!
とすぐにわかった。
彼は私の作るパンを目標に努力を続けてきてくれたんだ。
ということに初めて気付いた。
その途端、私の目から涙がこぼれてきた。
「よかったなぁよかったよかった」
私は、パンを口に入れ、もぐもぐしながら涙を流しながら、その立派になった彼の顔を見ながら、小学校の時のやせ細っていた彼の姿を思い出して幸せを噛み締めているのだった。
了
ホテル食パン
ナガイケン
私、高木洋が25歳、戦争が終わり、まさに奇跡的に戦地から日本に帰り。
復興を遂げたこの田舎町に、小さなパン屋を開いて10年が経った。
まだまだ貧しさの残るこの日本の街で、商売を成り立たせていくのに必死で働いた。
私の作るサンドイッチが評判になり、繁盛してきた昭和40年、
店員として働くようになった真美に出会った。彼女は真面目に非常によく働くので、ほどなくしてお互いを愛おしく感じるようになり結婚をした。
2年後に娘の舞が生まれた。
創業して約15年が経った昭和45年
いつも通り朝の仕込みを始めた午前5時くらいだったろうか。
店のシャッターをコツコツと叩く音が聞こえた。
シャッターを開けるとそこには小学校2年か3年ほどだろうか?
痩せ細って、うっすらと汚れた服装の小さな男の子が立っていた。
かなり貧しい暮らしをしていることが見てとれた。
その男の子は私の顔を見るなりこういった
「おじさんパンの耳が残っているんだったら分けてもらえませんか?」
貧しい家で生活に困窮をして空腹に耐えかねて来たのだろうか。
ましてや、そんな言葉を初めて会う知らない人に言うのに、どれだけの勇気が必要なのだろう。
「うっ!」私は思わず目頭が熱くなるのを抑えて
「いいよ持っていきな。ほらこの袋に入ってるから」
お腹が空いてるのか。そうか、と思い
「朝来たら、何も言わなくてもおじさんが袋に詰めて置いてあるから時々取りに行きな」
と言って送り出した
少年は何度も何度も頭を下げながら、パンの耳の入った袋を嬉しそうに抱えて帰っていった。
その後、この男の子は安心したのか、週に1回か2回だろうか私の準備していたパンの耳を取りに行きてはうれしそうに持って帰る日々が確か3年ほど続いただろうか。
時々は妻の真美が少し余計に作ったポテトサラダやコロッケなども持たせていたようだった。
いつしかその少年も、引っ越してしまったのだろう、来なくなり、そんな少年のことを忙しい日々の中でも
時々思い出していた。
第二章
時は過ぎた。早いものだ
激動の昭和も終わりを告げ、平成という時代が来た。
経済的にはこの日本の国もずいぶん繁栄する国へと変わってきている。
私のパン屋のほうも順調に経営を続け、市内に5つの支店を作り、順調に成長している。
ある日1人の青年が紙袋を抱えて店にやって来た。
平井公一と名乗り、こう切り出した。
「私は今から10数年前に朝パンの耳をもらいに来ていた男の子です
あの時は本当にありがとうございました。おかげで家族4人飢えをしのぎ、何とか生命を繋ぐことができました」
と
私はそれを聞いて思い出した。
「君か!元気にしていたのか!よかった!今どうしているんだい?」
と聞くと、彼はこう言った。
「あれから中学を出て、家が貧しかったから、進学をせず、就職をすることにしました。東京都内で新聞配達をして住み込みで、朝早くから一生懸命に働きながら製菓の専門学校に通いました」
「そうだったのか。よかった!それで今は?」
と尋ねると、
彼は、「自分の作ったパンです」
と言いながら袋を渡して来た。
「私は社長さんに、パンの耳をいただいていた時から社長さんのような温かい心の人間になりたいと思い、すぐに将来の仕事をパン屋に決めました。
本気でお菓子作りパン作りを学ばせていただきました、そしてようやく練馬にお店を開くことができ、今では軌道に乗り、ケーキやパンを作りながらご飯を食べていけるようになりました。 これも社長さんの温かい心に学ばせていただいたと思い、今でも感謝を忘れない気持ちで仕事をしております」
「そうだったのか。よかった君がどうしているかと時々思い出していたよ。話を聞いて、本当に本当に安心したよ」
「そしてこのパンは私が丹精込めて焼き上げた食パンです!ぜひ社長さんにひと口味わっていただきたいと持って参りました」
私はそのパンを受け取ると、袋に手を入れて少し千切って口にほおばった。
そのパンの味は私の作るホテル食パンと同じじゃないか!
とすぐにわかった。
彼は私の作るパンを目標に努力を続けてきてくれたんだ。
ということに初めて気付いた。
その途端、私の目から涙がこぼれてきた。
「よかったなぁよかったよかった」
私は、パンを口に入れ、もぐもぐしながら涙を流しながら、その立派になった彼の顔を見ながら、小学校の時のやせ細っていた彼の姿を思い出して幸せを噛み締めているのだった。
了