5月5日。
世間様では子供の日。
そして、土方歳三さんの誕生日と言われている日でございます。
命日を、数日後に控え、年に一度の和泉守兼定の公開も行われているという絶好の機会。
かねてより、本当に見てみたくて、待ちにまっていただけに心踊るのでございました。
(公開日や、時間などは、土方歳三資料館のHPで確認して下さいね)
この日の公開は昼の12時からということで、まずは、土方さんのお墓がある、
『石田寺』を目指します。
今回宿泊したのが、立川にあるホテルだったので、こちらからスタートです。
「立川南駅」から多摩モノレール(多摩センター行き)にのって「万願寺駅」下車。
約10分くらい。
石田寺までは、少し距離がありまして、徒歩、10~15分くらいでしょうか。
駅をでて、大きな路のある方へ少し歩く(「いなげや」というスーパーを左手にして立ち、サイゼリアがある方へ)。
と、信号のあるその路で、右手の方を見ると、「土方歳三資料館はこちら」的な看板が向こうの方に見えるのですが、
その大きな路を、あえての反対側(左手?)に向かって歩きます。
信号はわたっておくといいですよ。
で、その路をまっすぐ行くと、右手(東)に鉄塔があるので、そこで右に曲がります。
あとはまっすぐまっすぐ。
左っかわには、浅川水再生センターとか住宅ではない敷地で、右っ側は、住宅地という路なので、比較的分かりやすいかもしれない・・・。
まっすぐまっすぐぽてぽて歩きつつ、時々、右手に現れる横道を除きつつ歩いてみたら、いずれその横道に、ちょっと寺っぽいんじゃない?という瓦屋根の建物が見えるので、そこに入れば、間違いなく、石田寺!!
(分かりにくい説明・・・ごめんなさい)
この門を潜り、右前方に「明治100年祭 土方歳三義豊之碑」がありまして、
その近くの場所に、歳三さんのお墓がありました。
土方家の墓がたくさん密集していまして、迷うのですけども、歳三さんのお墓には、御写真が飾られています。
近くには、お父様や、お兄さんのお墓などもあります。
その墓石の前までいって、お参りさせて頂けることはとてもありがたいことで、
本当に、これから行かれる方にも、マナーよく、いつまでもこうしてお参りさせて頂けるようにしてもらいたいなぁと、とっても思います。
アニメや、ゲームなどで火がつくと、史実の方と、二次元の区別がつけれない方も時折あらわれるようで、墓前で大騒ぎする方とか、ゴミを捨てていってしまう方などもいて、お寺さんにも、ご家族の方にも嫌な思いをさせるような話をよく聞きます。
沖田さんのお墓などは、まさにそんな状態で今では一般の人が、墓前に手を合わすことはできないようになっているようですしねぇ。
なので、墓前にたたせて頂けることを感謝しつつ、心静かに、手を合わせて参りましたよ。
二次元ではいろいろと、失礼きわまりないほど、遊ばせて頂いているので、お詫びもしつつ、誕生日という日でもあり、いろいろな思いを込めて。
ちょっと、まだ時間が早かったので、その後は、サイゼリヤでお昼を頂きつつ、時間をつぶして、いざ、土方歳三資料館を目指しましたよ。
資料館へは、看板をたててくれていたりして、本当にわかりやすくて助かります。
路を曲がって、生家の前を見ると、なかなかの人の数。
さすが、刀身の公開かつ、誕生日。
中も大混雑ということで、しばし、玄関を入りつつ、並んで待ちます。
歳三さんの像が御出迎えしてくれておりまして、
資料館の入り口には、建て替える前の家から残して、使用したという、歳三さんが、相撲の稽古をした大黒柱が使われています。
そんな門をぬけていよいよ中へ。
入場料は、500円。
中の撮影は駄目ですが、外の撮影は、自由にということで、「どうぞどうぞ」ととっても親切に言って下さる暖かい資料館。
↑多分、石田散薬に使われる牛革草。(まだここが見えない時に、説明をされていたのですけども、その時指をさされていたのがこちらだったのであってるとは思うのですが・・・・)
入り口付近には、石田散薬にまつわる資料や、あの行商のクスリ箱、石田散薬を作る為の道具や、広告なども飾られています。
さらに進むと、豊玉発句集に、目録、手紙なども置かれています。
目録は、歳三さんが、逆賊になってしまった為、守り残し伝えるためにと、歳三さんの名前を削って、違う名前をうえから描かれているのがとっても生々しい・・・。
歳三さんの義豊から、「豊」そして、近藤さんの昌宜から「宜」の字をそれぞれとって、作られた名前が描かれていて、それがまたなんとも言えず、歳三さんへの家族の思いの深さを感じれる気がしました。
歳三さんではなく、友、近藤さんもまた一緒に残してもらえているようで(T▼T)
他にも、刀があたった跡も残る鉢金や、使い込んだ鎖帷子、誠の隊証などなど。
そして、いよいよ、奥には刀身を露にした、和泉守兼定が。
こちらの兼定は、まさに、歳三さんが最後に使っていた、刀。
刀身は奇麗に直されていて、戦いの荒ましさを見ることはできないのですが、生の刀身であるということは、ちょっと、緊張します。
でも思うに、刀身が奇麗になおされているからこそ、そのままにされている、酷使された鍔や、柄の痛み具合が、より生なましく酷使された様を映し出しているように見えました。
子孫の方が、展示物の説明をして下さったりして、その中でもでてきたのですが、
柄い巻かれた革の痛み具合から見て、歳三さんは、どちらかというと、鍔に近い部分を両手ともに握るスタイルで刀を振るっていたのではないかとの様子が見えてきます。
本当に、柄に近い部分が特に剥げたりしていました。
とっても去りがたくて、足がなかなか資料館から外へ向かわず、子孫さんのお話を二回も聞いてしまいました・・・・。
込んでいるのに、本当に申し訳ない限り・・・。
お土産グッズたちもまたいろいろ目移りしちゃいまして。
こちらはまた、後ほど、旅レポ恒例の「おまけ」にて・・・。
資料館の中からでても、まだまだ、いろいろ、歳三さんに触れることができます。
中に飾られている、歳三さんが剣術の練習に使っていた木刀をレプリカにしたものがおかれていて、実際に、その太さや重さを体感できたりもします。
いや本当に、あれは、太い・・・・そして重い!!
さらには、歳三さんが、武士を夢見て少年時代に植えた矢竹も残されています。
その横には、石田散薬ののぼりも!
個人的に、むしろ、こののぼりをぜひ、お土産化して欲しい・・・・と思ったりします。
入場に列ができていたとはいえ、12時にここについて、でたのが、13時半を回っていたという滞在ぷり。
おかげで、この後の予定が、巻きに巻いて、ちょっとした、マラソン状態になりました(汗)
<土方さんの故郷訪ね旅3「5/5日野宿本陣~八坂神社 編」へ続く>
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