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昭和とアコギが大好きなおじさんです❗

【もう一度】唄ってみました。

この歌は音友のギタ子さんの弾き語りで知りました。

私の感性にピッタリの歌で、調べてみると《千春》様の《伊東ゆかり》さんへの提供曲だということがわかりました。

《伊東ゆかり》さんの歌も聞いてみましたが、【小指の思い出】にも通じる素敵なものでした。

残念ながらヒット曲にはならかった様ですが、《千春》様のファンの間では、それなりに人気があるようです。

そんな歌、《伊東ゆかり/松山千春》さんの【もう一度】を唄ってみました。

よろしければ、お聞き下さいませ。

コメント一覧

ownr528
@knsw0805 kenちゃん、おはようございます。

返信が遅くなってすみませんでした。

そうでしたか、お父様は54歳と早くに亡くなられたのですね~。

30歳のkenちゃんとはかなり色々な衝突があったのでしょうね。

その後のkenちゃんの頑張りは勿論素晴らしいものだと思います。

志し半ばのお父様の悔しさもかなりのものだったと思われるます。

こうしてkenちゃんが歌詞を書いて、こういんさんが曲を付けてkenちゃんの感謝の思いを・・・お父様に届けられるように歌になった。

素晴らしいことだと思います。

kenちゃん、本当に良かったですね~。
knsw0805
半ちゃん、こんにちは。
こういんさんの作曲聞いて下さりありがとうございました。
私は学生時代、学部の自治会執行委員で次期委員長に指名されるほどの闘士でした。半ちゃんと通じるものがありました。卒業し無難に就職しましたが、結局一人っ子の私は、父が苦しんでいる姿に耐えられず家業を継いだのです。商品の配送や集金が今のように全国的な運送会社やクレジット会社が無い時代でしたから物凄く苦労しました。父が歌詞の通り無口な人でしたから、私は悩み毎日父と喧嘩、それも罵る位激しいものでした。昭和48年頃から急速に新時代の足音が聞こえ出し、流通や回収業務がスムースに行くようになり社業も飛躍的に躍進出来るようになりかけた矢先昭和52年、父は帰らぬ人となりました。54歳、私が30歳の時です。父の跡継いで悩みながらも、父が毛利元就とすれば曲がりなりにも秀吉位までには出来ました。しかし45年間コメントに書いたように父には「ゴメンナサイ」「あなたは偉大です」といった言葉を言えず、心の中にひっかかかるものがありました。今回「フィールド・オブ・ドリームス」を見て突然詩が舞い降りました。こういんさんが作曲して下さって嬉しかったです。今日は晩酌します(笑)
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