オヤジっちの週末超スローライフ

毎年思うこと...。

先日ザリガニと山岳ランに行ったとき、何だかとても心地よい気分になった。ロードでは感じないあの感覚。多分、山にいることに喜びを感じていたのだろう。

毎年この時期になると、あの時の思いが蘇る。だぶん一生そう思っているのかも。

学生時代にザリガニと山に登っていたことがある。今、思うと懐かしいと言うよりは「俺が山に行っていたのか?」といった感覚だ。


北アルプス 槍ヶ岳山頂(標高3180M)にて。左がオヤジっち、右がザリガニ。たぶん和田峠より寒かったと思う...。

だいぶ前にザリガニの奥さんが「あんたとは合わないよ。彼(オヤジっち)はブルジョアみたいだから」と言っていたそうだ。その話をザリガニから聞いた時に「ふん~」と思ったが嫌な気分にはならなかった。自分のなかで「山」という文字は既に消えていた。

「ヒーロー伝説」という言葉に憧れた時期があった。ザリガニと二人で映画を見に行った。植村直己を神として慕った。「人間死ななければ何でも出来る」本当にそう思っていた。

北鎌尾根から槍ヶ岳の山頂に登れば一般登山者に迎えられてヒーローになれる。そう信じて二人で登攀したが天候が悪く山頂には誰もいなかった。

第一尾根を北穂の山頂に向かって登攀すれば一般登山者に迎えられてヒーローになれる。そう信じてまた二人で登攀したが、ペースが遅くて小屋番に「大丈夫か~」と山頂から声を掛けられる始末。山頂に着いた時には誰もいなかった。

ジャンの飛騨尾根に行ってみたいと思た。実際に行ってみると意外にアッサリ登れてしまった。そこでロバの耳に登ってみることにした。あまり聞いたことの無い登攀ルートだった。登ってみると岩盤がもろく、撤退してる時に岩を抱いたまま落ちてしまった。生まれて初めてダメだと思った。ザリガニはのんきに谷底に落ちて行く岩を眺めていた。


ジャンの飛騨尾根を登攀するオヤジっち。(撮影 ザリガニ)

すべて良い思い出なのだが、どうしてもあの時の思いが蘇る。

なんで引き返したのか?

全ての条件は良かった。体調もよかった。独標を越えるのに雪が多くて手こずったが、モチベーションも維持できていたしトラバースの判断も良かった。東面の雪稜を超える時も迷いは無かった。誰も居ないバージンスノーの稜線に二人でトレースを刻んで進んで行くのは最高の快感だった。

その地点から山頂までは往復しても1時間程度だったと思う。何故が雲が気になって風向きが変わったのが気になった。少しずつ薄れて行くトレースに自信を失いかけていたのかもしれない。「天候が崩れる。戻ろう」。ザリガニは「何言ってんだコイツ」といった表情で「行けるだろ」と言い返して来た。ヤツの意見は間違いなく正しかった。

ベースのテントに戻って来た時、まだ晴天は続いていた。天候が崩れたのは陽が落ちてからだった。狭いテントの中で気まずい雰囲気を感じた。勝手にそう思っていたのかもしれないが。

翌朝、再び山頂を目指してアタックすることにした。ザリガニは呆れていた。外は一面ホワイトアウト。それでも行こうと言った自分に付いて来てくれた。独標の登りは昨日の倍くらい雪が積もっていて胸までのラッセルとなった。30分経ってもほとんど前進出来なかった。

そんな時「もう帰ろう」とザリガニが声を掛けて来た。自分の未熟さと不甲斐無さに落ち込んだ。その後ヤツは昨日の判断ミスを責めることは今まで一度も無かった。

もう二度とピッケルとザイルを持って山に行くことが出来ないのは分っている。山に行くにはそれなりの準備と絶対の自信が無ければ行っていはいけないことも分っている。

だから今は、自転車を通じて山を楽しみたいと思っている。谷に落ちてビーチクが取れかかって縫い合わせたこともあったし、圧迫骨折しても「転んだだけ」と言い張って澄ました顔で仕事をしていたこともあった(本当はスンゲ~痛かった)。

それでも、やっぱり山に行きたいと思うのは何故なんだろう~。何か不思議な魅力があるんだよね~。

最後に断っておきますが、私はMではありませんから!

最近の「ひとりごと」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事