「海近きホームに結ふる願ひ事バックパッカー深呼吸せり(新作)」
「同じ駅同じ夕陽を現在(いま)ひとりあの眩しさはうそではなかつた(新作)」
「ジオラマでのぞみを操る少年の停まることをば考えざる夢(新作)」
海岸線の長い国に住んでいるので、往復するだけで小旅行の気分である。
(おわり)
不尽
「特急の赤きシートで童等(わらべら)は弾け跳ねたり夏休みかな(新作)」
「見慣れたる海岸線を行く列車君とは異なる君想ひだす(新作)」
「滑かなる弧を描き岐かるる引込線行手は叢(くさむら)夏の盛りよ(新作)」
(つづく)
「四年後を持たざる者と持つべき者渇く涙と渇かす涙(新作)」
パリ五輪が終了したが、リアルタイムと録画を含めて、30分も視聴しなかった。
実況アナウンサーの五月蝿い絶叫を聞かされると思うと、見る気が失せる。
いきおい、ニュースやハイライト動画で済ませてしまった。
歌意はありきたりだが、3句の「べき」は、ある意味残酷かつ無責任な歌といえようか。
てな訳で、五輪短歌は、一首のみ。
不尽
「ハイーハイゆるり宥めつ遠き道馬子唄合の手澄みわたりゆく(新作)」
馬子唄(民謡)の゙合いの手の余韻に聞き惚れる。
(俳句)
馬子唄の合いの手労(いたわ)る夏の坂
無季で詠むと
馬子唄の合いの手人馬労(いたわ)れり
短歌から引っ張ってくると、無季がいいと思うのだが。
こんなとこが、季語による世界の制約を感じるか、拡張と見るか、延ては、俳句と短歌を取るかの分岐点かもしれない。
不尽