HITO-OMOI(ひとおもい)

ひとを、ひととき、ひとへに想ふ短歌がメインのブログです。作歌歴約二十年、かつては相聞(恋歌)、現在は専ら雜詠です。

5217首目・・・96(バウアー)が

2025-02-01 00:00:00 | 日記

「96(バウアー)が再び光臨せんと知るザ・プロフェッショナルわくわく止まじ(新作)」


ま、バウアーが来たから即27年ぶりのセ・リーグ制覇できると思うほどお人好しではない。

けれども、あのスリリングなパフォーマンスをも一度見ることのできるワクワク感たるや。

不尽

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5216首目・・・書道展にて

2025-01-30 00:00:00 | 日記

ある日のコンベンションホールのアトリウム。市内に在る高校書道部の作品展に出くわした。

揮毫(きごう)してあるのは、自作の短歌。50点ほどあったろうか。気に入った歌を、4点書き写す。


今入れた麦茶のグラス結露する速さで高二の夏を占う

色褪せた剣道防具しまう時夢の後先自分に問うた

僕の名を祖父が忘れてしまうほど時の流れは人を待たない

ブーケトス任されたって結婚の幸せの意味まだわからない


最後の歌が一番好きだ。完成度では一首目だろうし、二首目の上の句の静謐な感じも捨てがたい。

だが、四首目の一切の理屈が無くて苛性に読み下した若さの勢い。口語の軽みがそれを引き立てている。

「わからない」ことの潔さとともに、(いずれ?)「わかる」ことへのとまどいを感じる。


、、、三首目を本歌取りして私の一首。

「逆縁(ぎゃくえん)の後に呆けし祖母「母に似てゐますね」と問はれし病室(新作)」


子(私の母)に先ただれて10余年後に、祖母が(お見舞いに行った)孫の私に発した言葉。(もちろん「母」とはいわずに母の名前を言ったのだが。)

私は我慢できずに、病院のトイレに籠もって涙をポロポロと零した。

不尽

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5212-5215首目・・・高野山・吉野行(その3)

2025-01-28 00:00:00 | 日記

(金峰山寺・蔵王堂)


なすすべもなしと思はば拝むのみ蔵王権現漲りをりて




*仁王門は修理中

ありさまは異ならざりぬ塔尾(とおのおの)陵(みささぎ)異形の王と言へども


(如意輪寺本堂)


(後醍醐天皇塔尾陵)



(楠公親子像)

九字切る帝を思ひ北闕門(ほっけつもん)畏れ多くも都を思ふ


(吉水神社)








(北闕門)

山峡(やまかい)の吉野を訪(おとな)ひ行き行けば正閏(正閏)問ふは厭わしきかな


(吉野朝宮阯)




(061111-13)

(おわり)

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5208-5211首目・・・高野山・吉野行(その2)

2025-01-26 00:00:00 | 日記

(金剛峯寺、大玄関・小玄関)


観光客(ツーリスト)カタコトで問ひ片言で答ふる僧侶大本山よ


(金剛峯寺、正門)


(金剛峯寺、主殿)



(金剛峯寺、蟠龍庭)


タペストリー求むるならば道筋を説く金剛界曼荼羅ぞかし

印相と御面相との様相を篤と眺むる霊宝館よ


高野山霊宝館内は、すべて撮禁。


宿坊の精進料理とて些(いささ)かに箸使ひをば気遣ひをりて


(宿坊西方院)



(061111-13)

(つづく)

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5204-5207首目・・・高野山・吉野行(その1)

2025-01-24 00:00:00 | 日記

(壇上伽藍・根本大塔)


参道に列々たるや供養塔苔深々と重々しきや

(奥之院)





杉木立抜けて聖域燈籠堂灯は明明とあたたかきかな


(奥之院、御廟橋)

これ以降撮禁エリア

金色の大日如来源(みなもと)のかくも然も々々ありぬべきかも


(壇上伽藍、中門)


相応しき土地は何処と唐土(とうど)より投げし三鈷を受け止む枝よ


(壇上伽藍、三鈷の松)

(061111-13)

(つづく)

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5199首目 大学ラグビー選手権決勝 ○帝京33-15早稲田●

2025-01-14 00:00:00 | 日記

桐蔭学園の同級生同士が両チームのキャプテンとなった決勝。

後半風下になったことで冷静にプレーした帝京の勝利。

四連覇おめでとうございます。


「いたずらにフェイズ重ぬるばかりにてゴールラインはじわり遠のく(新作)」

不尽

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5194.5195首目・・・大学ラグビーと箱根駅伝

2025-01-04 00:00:00 | 日記

毎年一月の2日と3日は、ラグビーと駅伝でテレビの前から離れられない。


紺と白というお互いセカンドジャージでの見慣れない姿の戦い。

テレビで見る限り前半の早稲田のラインディフェンスとダブルタックルは完璧だった。


残念ながら、京産は見事に昨年のリベンジを早稲田に食らってしまった。 


「アタックがさも単調に思ほゆる紺を阻みし白き壁なり(新作)」


さすがは、対抗戦全勝優勝のチーム。さて、ファイナル。帝京が同じチームに連敗するかどうか、、。


「背負ふもの大きならむや駅伝の六区の走者(ランナー)震へる腿よ(新作)」


さて、箱根駅伝は、珍しく母校の露出度?が高く、その意味では結構楽しめた。

まぁ、結果は青学が横綱相撲を見せつけたが、、。

不尽

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5182首目・・・柴田淳~14thオリジナル・アルバム『901号室のおばけ』~

2024-12-13 00:00:00 | 日記

ほぼ4年ぶりのアルバムリリース。

決して短くはないブランクの事情はある程度わかってはいたものの、変わっていなくて、(是非は措くとしても)「まずは安心した」が、正直なところ。

大仰すぎる悲しみソングが少なくて、その裏返しの妙に明るい歌もない。次第に確かなことを歌いながら、エンディングとなる構成はまずまず。



メジャーデビューから数えて24年目に入ったしばじゅん。

3年目からリアルタイムでチェイスしてきて、彼女も、アラフィフ(48歳)になったか、と小嘆息。

(ちなみに同じ年の女性歌手は、一青窈、hitomi。2001年デビューでは、中島美嘉。)

応援し続けて参ります、、やっぱり。



「直ちにはおかえりなどと言ふもんかたつぷり味わうまで言ふもんか(新作)」

待ちくたびれ(忘れかけ?)てたんで、ちょっとセンシュアルな歌になった。

不尽

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5172首目・・・田山花袋を更読みする。

2024-11-27 00:00:00 | 日記

田山花袋は、明治4年(1871年)生、昭和5年(1930年)没、60歳。

今や「蒲団」で自然主義の先鞭をつけた記録のみが残り、記憶には残らないかの如き明治の文豪。

また、芥川龍之介や正宗白鳥などから「下手くそ」呼ばわりされ、やはり不憫な感が拭えない田山花袋を更読みする。

テキストは『定本花袋全集』、時系列に主だった作物40作を読む。

全体の感想は、筋は派手な展開はないし、表現もケレン味もなく、乾いた感じ。まぁこれが花袋が標榜した「平面描写」なのだろう。

花袋は小説家として名をなす以前に紀行文の名手として知られていたそうな。平面描写の下地は充分あったといえよう。


四つ星以上をつけた作物は「縁」・「田舎教師」・「時は過ぎゆく」。 

「縁」(明治42年)は、「生」や「妻」と共に「蒲団」(明治40年)以後の花袋「自然主義三部作」の一。蒲団の後日談だが、かの女弟子美知代のジェットコースター人生が淡々と描かれる。

「田舎教師」(明治43年)は、さしたる事件は起きないが、それでいて世相や仲間から取り残される主人公の焦燥感がじわりと心に凍みてくる。評判どおりの名作だ。

「時は過ぎゆく」(大正5年)は、明治維新以降の人心、風俗、主人公の眷属などの有為転変を淡々と描いた滋味深い傑作で、充実した読後感だ。

次点は、些細な行いから暗転していく兵隊の運命を坦々と書いた「一兵卒の銃殺」(大正6年)、美知代の実子千鶴子の短い一生を描いた悲しき小編「幼きもの 」(明治43年)といったところ。

花袋は元芸者の愛人飯田代子(よね)を抜きにしては語れない。二人が出会った時、花袋37才、代子17才。関係は花袋が亡くなるまで23年間続く。

彼女がモデルである作物は70余りあるそうで、花袋は「情痴小説」家でもある。

幾つかの情痴小説を読んだが、花袋は20才差の女に溺れるというより保護者の如き佇まいだ。そのせいか?あまり面白くない。(苦笑)

比較するのも何だが、徳田秋声が書いた「順子もの」のほうが溺れてる感の哀切がある。

ただ、最後の長編小説となった「百夜」(昭和2 年) は、長年に及ぶどん詰りの愛欲生活をだらだら描くだけなのに、妙〜な充足感がある。(汗)


また、花袋には「東京震災記」(大正13年)なる関東大震災のルポ的な作物がある。向島に住んでいた代子の安否を訪ねて行き無事を確認するシーンは印象的だ。 

総括すると独創性にはやや欠けるけど、自然描写は上手いし、「蒲団」以外にも再読するに足りる作物もあるので、忘れられそう?なのは惜しい文豪だ。

最後に、(没後に編まれた)花袋全集の序文で盟友の島崎藤村は、「もう一度田山花袋に帰ろうではないか。あの情熱を学ぼうではないか。あれほどの痩我慢と不撓不屈の精神と、こどものような正直さと、そして虚心坦懐の徳を誰が持ちえたろう。」と書いている。



「抱擁をありのまま描き目覚むれば何処を流れて行きしか涙(新作)」


不尽


4259首目 芳子のリボン・・・(田山花袋『蒲団』を読む。) - HITO-OMOI(ひとおもい)

日本における自然主義文学の魁となった作品という「事実」だけが喧伝されている、それでいて多くの人が通読したことがなくてもラストシーンを知っている、そんなちょっぴり...

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5154首目・・・セ・リーグCSファイナルSt勝利!日本シリーズ進出!

2024-10-23 00:00:00 | 日記

慶事、再び!


嬉しいに違いないんだけど、ファイナルStの1〜3戦までは、別のチームかと、、。(これは私の!?ベイスターズではないぞ、みたいな。)


いずれにせよ、進出は投手陣の踏ん張り。


(チーム名『世界一楽しいピッチャー陣』)

ポストシーズンに、2+6+4(+α)も、ベイの試合が見られるなんて、儲けもんの一言に尽きる。


「些(いささ)かに食傷したる咆哮も全き余地なき牧の勝鬨(かちどき)(新作)」

(「き」で脚韻)

不尽

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5149首目・・・セ・リーグCSファーストS勝利!

2024-10-15 00:00:00 | 日記

「CSは勝つが負けよが本拠地の戦(いくさ)を是とす大勝すれども(新作)」



慶事があった翌日は、スポーツ新聞を(最低2紙)買うことにしている。昨シーズンの今永のノーノー試合以来だ。

3位通過のCSでは球団に実入りはないし、例え敗退しても、ファンの前で決着が付くのが区切りとしてはいいかも、な。・・・不遜な発言でございますが・・。(汗)

さて、ファイナルSは、東とウィックが居ないので、スイープ(三連敗)も充分覚悟の上。

(*このスポニチさんの星取表は、17年の対広島のファイナルSの欄が誤っている。ベイスターズに◯がひとつ足りないね。)

でも、フォードがHRをぶち込んだので、ファイナルSでは、筒香に打ち納めの一発を期待するや切。


蛇足だけど、阪神の監督就任ということで、来シーズンは、藤川球児さんの解説が聞けないので、テレビの野球中継を見る楽しみがひとつ少なくなるなぁ。

不尽

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5148 首目・・・映画「ワン・ハンド・クラッピング」を見る

2024-10-13 00:00:00 | 日記

映画の正式タイトルは、「ポール・マッカートニー&ウイングス - ワン・ハンド・クラッピング」。


1974年8月に彼の「アビーロード・スタジオ」で収録されたものの、映像(と多くの音源)はお蔵になっていたもの。

当時、ポールは、32歳。ウイングスのLPでは、「バンド・オン・ザ・ラン」('73)から「ビーナス・アンド・マース」('75)の間の時期に当たる。

この頃は、「ミュージック・ライフ」を毎月、隅から隅まで一文字余さず読んでいた。だが、当時のLPは2200円と購入するには、やはり高価な代物だった。

然りながら、ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」もその前作の「レッド・ローズ・スピードウェイ」('73)も『所有』していた。

リアル・ビートルズ体験はない('70年の解散から2年後あたりから洋楽を聴き始めた)のだが、'70年代を通じてコンスタントに活動していたポール・マッカートニーは、私にとって、最も親しい『元かぶと虫』だ。


さても、本作。感涙に咽ぶとまでは言えずとも、「1985年」が聴けたことと、動く?「リンダ・マッカートニー」を見ることができたのが収穫だった。

「1985年」は、LP「バンド・オン・ザ・ラン」B面のラスト曲。

軽快なピアノのイントロで始まり、次第にヒートアップして、(ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」ばりの)荘厳なコーダ。歌詞は軽くひとひねりしたラブソングなんだが、とてもカッコよくて好きだった。

映像の前半は、ポールのピアノだけだが、終盤はコンサートの映像をかぶせた処理のようだ。でも、ん十年ぶりにお気に入りのナンバーを聞いて、しばしのカタルシス。


さて、当時から雑誌などで、リンダ・マッカートニーの記事を見るたび、彼女には、バンドメンバーしての引け目があるだろうなぁとの思いを禁じ得なかった。

同じくアーチストといえど、元々は写真家で楽器(キーボード)はかなり素人に近かったリンダ。

加えてポールの初婚妻ということでやっかみもかなりあったろう。(まぁ、レノン妻のような出しゃばり感(笑)はリンダにはなかったが。)

インタビューではその点も振られるが、リンダは衒いなく正直にレスポンスする。

10年弱のウイングスとしての活動期間。リンダをメンバーにしたポールの勇気と決断もさることながら、この二人は、リライアブルな関係で、相互にリスペクトがあったのだろう。


リンダは、ポールより一つ年上だが、1998年に早々と天に召された(享年56歳)。映像で見ながら聞くリンダのバックコーラスはより清々しかった。



「ラブソング愛の歌書くジョンかたや恋を書かずにおられぬポール(新作)」


レノン=マッカートニーではなくなってからのふたりのイメージはこうなのだが、、どうだろうか。

かたや、人類愛や夫婦愛が似合う人。こなた、シンプル(気楽な→褒め言葉)な恋歌(「マイ・ラブ」や「心のラブソング」など)が似合う人。

不尽



(レコードコレクターズ1993年5月号)
追記
サウンドのテイストがわかるのは、「タッグ・オブ・ウォー(1982年)」あたりまで、かな。


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5145首目・・・松原みき没後20年 

2024-10-07 00:00:00 | 日記

本日、21回忌を迎えたが、格別のイベントはないようだ。

ただ誕生日(存命なりせば65歳)を前に、逐次アナログ復刻されていたものの残っていた3枚がカラー盤でリリースとのこと。

そんな3枚のうちの1枚、『BL'UE EYES』を久しぶりに聴く。
1985年作品でベストを除くと8thアルバム。ミュージシャンとしてのキャリア全体から見ると中盤あたりだ。


俗に言うジャズスタンダード集なのだが、幾つかの経緯を考えると、みきが一度はやってみたかったこと、なのだろう。

意外とストレートな歌唱、もちろん松原みきテイストではあるけれど、、。

B面1曲目の『Love letters』が断然いい。SmoothでSweetで。リピート聞きしてしまう。


4902首目・・・松原みき20回忌(遅っ、汗)

いま一度、合掌。

  


「小粋にも小生意気にもなる舌ざわりみきが遺しぬスタンダードかな(新作)」

不尽

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5130首目・・・本年も

2024-09-11 00:00:00 | 日記

「本年も名簿すらなき名鑑に応援の気運上がり難しも(新作)」



二部落ちしても、「昨シーズン2位」までなら写真抜きの名簿だけは載るんだけどねぇ、、。

不尽

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5116-5122首目・・・道南(松前・江差・函館)行(その3)

2024-08-26 00:00:00 | 日記

(元町公園からの眺め)
箱舘戦争の゙足跡をいくつか辿る旅。

③函館

「侍の命尽きぬるも函館の顔役なるぞ榎本武揚(新作)」





(五稜郭跡、箱舘奉行所、五稜郭タワー)


「関門は亀田と箱館土方の生死(しょうじ)も分かちし一本木とぞ(新作)」

(一本木関門跡、函館市若松町)

(土方歳三最期之地碑)


「幕末の技術官僚(テクノクラート)三郎助覚悟の最期いといと惜しや(新作)」

(千代ケ岱陣屋跡)


(中島三郎助父子最後之地碑、函館市中島町)



「碧玉となりし御霊をはばかりて弔ふ碑(いしぶみ)されど高々(新作)」


(碧血碑、函館市谷地頭町)
(明治辰己実有此事

立石山上以表厥志)



「寺町の坂を息つき登りけり傷心惨目(しょうしんざんもく)の碑を拝まんとして(新作)」

(高龍寺、函館市船見町)

(傷心惨目碑)


「函館の山はひとつの闇となり街の灯りのあたたかきかな(新作)」








「函館の坂は港とともにあり撮るも下るも上りしのちぞ(新作)」

(旧函館区公会堂)
(バルコニーから)
(基坂)




戊辰戦争の終局としての箱館戦争を辿ってみたが、道南のさいごの武士たちの様々な生き様は興味が尽きない。再訪できれば、いいなぁ。

(060626-28)

(おわり)

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