発条式

らくらくのんびり日記。

Survive

2005-06-17 09:06:12 | Movie
以前から「ミリオンダラーベイビー」を鑑賞したかったのですが、
大人気で混雑必死らしいとの噂。
平日客の少なそうな昨日の雨の日を狙って行ってみました。
そうしたら全然人がいなくて、早く行ったこともあり整理番号002!
以前「殺し屋1」で001取ったときもかなり嬉しかったけれども、ここでも一桁とは。

ヒラリー・スワンクを観た事がない僕はストーリーもほぼ調べないまま行って、
素直な感想を出そうと思いました。
モーガン・フリーマン好きってだけで行ってしまった面が大半を占めていたりするのですが、
映画を観て、思わず溜息が出ました。

シーンからシーンへの移り変わりのカメラワークと、
台詞の言い回しが嫌味なほどにさっぱりとしていて淡々と物語は進んでいくのです。
内容としてはとても大変で辛いはずなのに、夢であるかのように淡々と。
ただのボクシングの熱情のドラマではなく、生きる事にただただライトを当てて人物を描いていました。
ボクシングを題材に選んだのは劇中でも云う通り、再起不能の文字が常に付き纏うからでしょう。
死と隣り合わせ。
リングの上で己を守れるのは、己のみ。
それがボスの教えで、最大で最高の願いでした。
しかしいつも暴れ馬のマギーはそれを聞けなかったのです。
彼女が死んだあとの描写も加工の無い写真のように生々しさを残して、
言い切れない哀しみを瞳で語り合っていました。
信頼する人に対しての死の要求。
いつも要求するばかりで何も聞かないマギーの最後の願い。
フランキーはいつもリングサイドでボクサーのやる事を観ていて、
最良の選択をして来たのでしょう。
だから、「そう」した。
彼女を血とし、愛していたからこその名前と共に。
血が無ければ生きられない、二度も愛する人を失った喪失感からフランキーも死んでしまったのでしょう。
生きて、死んだ物語。

単純で、凄まじい1年半の叙述は僕に生きている意味を思い出させました。
学生の頃、社会に出たてのときに思っていた事。
社会と馴れ合いながらではなく、やりたい事をやっていなければ死んでいるのと一緒だと云っていました。
その頃の魂が再び彼女のように輝くのはいつの事でしょうか。