『わたしはロランス』『トム・アット・ザ・ファーム』などのカナダの俊英、グザヴィエ・ドラン監督が母と息子を題材に描く人間ドラマ。架空のカナダを舞台に、型破りなシングルマザーと問題児の息子、そして隣人の女性が織り成す人間模様を映し出す。『マイ・マザー』などのアンヌ・ドルヴァルが母親を演じ、息子を『わたしはロランス』のアントワーヌ・オリヴィエ・ピロンが熱演。
あらすじ:ギリギリの生活を送るシングルマザーのダイアン(アンヌ・ドルヴァル)は、15歳のスティーヴ(アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)と二人で生活している。彼女は最近矯正施設から退所したばかりの注意欠陥多動性障害の息子の扱いに手を焼いていた。やがて母子は隣の家に住む、今は休職中の高校教師カイラ(スザンヌ・クレマン)と親しくなっていき……。
<感想>弱冠26歳ながら国際的に高い評価を受けているドランは、監督第5作「Mommy マミー」が現在、日本公開中だ。また、俳優として主演したサスペンス「エレファント・ソング」が、6月6日から日本公開されるそうです。
テーマの選び方から撮り方まで、トータルでここを観てくれ、こう観てくれということを分かりやすく形にして見せるのだ。その演出スタイルもドキュメンタリー風に解説した、YouTubeの短編は一目瞭然だ。本作の最大のインスタ画面を模した1:1のアスペクト比だろう。
どこか懐かしい昔の映像フィルムのような、そのフレームをオアシスの楽曲と共に加工するなんて、ある意味ダサいことを具体化できるのがこの監督の強みといっていい。
矯正施設から戻って来た息子と母親の日常を、年上女と若い男との愛の日々のように描いた映画で、特に息子の描き方が監督自身を彷彿とさせているようで、ある時は不良少年のような悪賢さで母を脅し、またある時は乳房を求める赤子のような純粋さで愛を求めて来る。
青年期の移り気な感情を丹念に描けたのも、監督自身が同世代ということでもあることが頷ける。年上の男が母親に近づいて来れば、母の耳元で「あんな老いぼれの何処がいい」と、ピチピチとしたたるみのない体の息子の俺がいるだろうと囁く。
父親を失って、母と子の二人になった親子は、それだけでも閉鎖的な男女の関係であり、ここから逃げ出そうとしても血縁で結ばれた関係は固く、互いの人生の一部を失う結果となるからなのだ。
母と息子の生活が社会に受け入れられて、それは同性愛者のカップルがごく普通にスーパーに入り、これから夕食の相談をしているのと同じような風景で、それらはここ数十年の社会の変化であることは間違いない。
それが母と息子の母子家庭を、年上女性と若き青年の愛の巣といった風景に変え、息子の青年らしい愛情表現に、まるでベッドの上で身悶えする女性のように胸弾ませて、息も絶え絶えに息子との生活を満喫しているかのように映る。
2015年、架空のカナダで新政権が問題児を抱える親は法的手続きなしで子供を施設に放り込んでいいという、実際にはあり得ない法案を可決したことにして、母と息子の断ち切れない糸を、規則の名の下に、一旦は、断ち切ってみせるのだ。
つまり、最後に母親が出した決断とは、自分が自由になるためには、息子を矯正施設にまた入れることなのだ。苦渋の決断だが、今までは自分が自由に夜に遊びに行くのも、隣人のカイラに息子を頼んで遊びに行く。それが、カイラが転居するということを聞き、自分の自由を選び謳歌するためにまたもや、息子を施設へ入れることに。喚き立て、母親をなじる息子の怒鳴り声を耳にしながらも、自分自身を責めながらも選んだことなのだ。
普段は優しい知的な少年だが、狂暴な野獣と化す息子15歳のスティーヴ。そして、奇抜なファッションと言動だが、自由を求める誇り高き母親ダイアン。自らの病(吃音)を持つが、たちまちこの母子の心を掴んでしまう隣人のカイラ。母親には「マイ・マザー」などのアンヌ・ドルヴァルが、カイラには「私はロランス」のスザンヌ・クレマン。
グザヴィエ・ドランの作りだした三人の主人公たちは、真に独創的で、まさにそんな個性の持ち主なのだ。
三人の信じがたい名演と、優れた映像感覚が相まって、衝撃的かつ陶酔の時間でありました。
2015年劇場鑑賞作品・・・125映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
</font>
あらすじ:ギリギリの生活を送るシングルマザーのダイアン(アンヌ・ドルヴァル)は、15歳のスティーヴ(アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)と二人で生活している。彼女は最近矯正施設から退所したばかりの注意欠陥多動性障害の息子の扱いに手を焼いていた。やがて母子は隣の家に住む、今は休職中の高校教師カイラ(スザンヌ・クレマン)と親しくなっていき……。
<感想>弱冠26歳ながら国際的に高い評価を受けているドランは、監督第5作「Mommy マミー」が現在、日本公開中だ。また、俳優として主演したサスペンス「エレファント・ソング」が、6月6日から日本公開されるそうです。
テーマの選び方から撮り方まで、トータルでここを観てくれ、こう観てくれということを分かりやすく形にして見せるのだ。その演出スタイルもドキュメンタリー風に解説した、YouTubeの短編は一目瞭然だ。本作の最大のインスタ画面を模した1:1のアスペクト比だろう。
どこか懐かしい昔の映像フィルムのような、そのフレームをオアシスの楽曲と共に加工するなんて、ある意味ダサいことを具体化できるのがこの監督の強みといっていい。
矯正施設から戻って来た息子と母親の日常を、年上女と若い男との愛の日々のように描いた映画で、特に息子の描き方が監督自身を彷彿とさせているようで、ある時は不良少年のような悪賢さで母を脅し、またある時は乳房を求める赤子のような純粋さで愛を求めて来る。
青年期の移り気な感情を丹念に描けたのも、監督自身が同世代ということでもあることが頷ける。年上の男が母親に近づいて来れば、母の耳元で「あんな老いぼれの何処がいい」と、ピチピチとしたたるみのない体の息子の俺がいるだろうと囁く。
父親を失って、母と子の二人になった親子は、それだけでも閉鎖的な男女の関係であり、ここから逃げ出そうとしても血縁で結ばれた関係は固く、互いの人生の一部を失う結果となるからなのだ。
母と息子の生活が社会に受け入れられて、それは同性愛者のカップルがごく普通にスーパーに入り、これから夕食の相談をしているのと同じような風景で、それらはここ数十年の社会の変化であることは間違いない。
それが母と息子の母子家庭を、年上女性と若き青年の愛の巣といった風景に変え、息子の青年らしい愛情表現に、まるでベッドの上で身悶えする女性のように胸弾ませて、息も絶え絶えに息子との生活を満喫しているかのように映る。
2015年、架空のカナダで新政権が問題児を抱える親は法的手続きなしで子供を施設に放り込んでいいという、実際にはあり得ない法案を可決したことにして、母と息子の断ち切れない糸を、規則の名の下に、一旦は、断ち切ってみせるのだ。
つまり、最後に母親が出した決断とは、自分が自由になるためには、息子を矯正施設にまた入れることなのだ。苦渋の決断だが、今までは自分が自由に夜に遊びに行くのも、隣人のカイラに息子を頼んで遊びに行く。それが、カイラが転居するということを聞き、自分の自由を選び謳歌するためにまたもや、息子を施設へ入れることに。喚き立て、母親をなじる息子の怒鳴り声を耳にしながらも、自分自身を責めながらも選んだことなのだ。
普段は優しい知的な少年だが、狂暴な野獣と化す息子15歳のスティーヴ。そして、奇抜なファッションと言動だが、自由を求める誇り高き母親ダイアン。自らの病(吃音)を持つが、たちまちこの母子の心を掴んでしまう隣人のカイラ。母親には「マイ・マザー」などのアンヌ・ドルヴァルが、カイラには「私はロランス」のスザンヌ・クレマン。
グザヴィエ・ドランの作りだした三人の主人公たちは、真に独創的で、まさにそんな個性の持ち主なのだ。
三人の信じがたい名演と、優れた映像感覚が相まって、衝撃的かつ陶酔の時間でありました。
2015年劇場鑑賞作品・・・125映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
</font>