監督デビュー作となる前作「ゲット・アウト」でセンセーションを巻き起こしたジョーダン・ピール監督が贈る衝撃のサスペンス・スリラー。ごく普通の幸せな4人家族の前に、まったく同じ顔をした不気味な4人組が現われ、自分たちの命を狙って襲いかかってくる不条理な恐怖とその驚愕の顛末をスリリングに描く。主演は「それでも夜は明ける」「ブラックパンサー」のルピタ・ニョンゴ、共演にウィンストン・デューク、エリザベス・モス、ティム・ハイデッカー。
あらすじ:幼い頃にふと迷い込んだ遊園地のミラーハウスで、自分とそっくりな少女に遭遇した、という恐怖体験がトラウマとして残るアデレード。今は夫と2人の子どもたちと幸せな家庭を築いていた。夏休みに家族と共に幼少期に住んでいたカリフォルニア州サンタクルーズの家を訪れた彼女は、ある出来事をきっかけにかつての恐怖が甦り、説明のつかない不安に襲われる。その夜、家の前に自分たちとそっくりな4人家族が現われたかと思うと、突如アデレードたちに襲いかかってくるのだったが…。
<感想>“わたしたち”がやってくる…! 新感覚の“骨まで凍りつく映画”何かがおかしい…? 最大の恐怖と驚がくの結末が、極限へと導く自分たちにそっくりな“わたしたち”とは、果たして何者なのか? どこからやってきたのか? 一体、何が目的なのか? 恐怖のなか張り巡らされた伏線は、驚がくの結末へと収束し、観客を興奮のうずへと導いていく。
午後11時11分。アデレード(ニョンゴ)ら一家4人が過ごす別荘に、自分たちと瓜二つの“わたしたち”が現れた。横一列に手をつなぎ、肌を粟立たせるような“うめき声”を発しながら近づいてくる。一家は、不可解な集団との対峙を余儀なくされる……。
奴らは、まるで儀式的な意味があるかのように、大事そうにハサミを抱えている。その服装は真っ赤なつなぎで、アデレードに似た女は意味不明の言葉をブツブツと繰り返している。根源的な恐怖は一家の思考を鈍らせ、やがて取り返しのつかない事態へ陥っていく。
物語は、ふたつの時代を行き来しながら展開してゆく。アデレードには、幼少期のトラウマがあった。1986年に、両親と移動遊園地を訪れた夜、ミラー・ハウスに迷い込んでしまったのだ。無数の鏡に取り囲まれた少女は、あまりの心細さに後退りする。ふと、背後に気配を感じたアデレードが、振り返って見たものとは、自分そっくりの「自分」と出会う。
映画の冒頭、“ハンズ・アクロス・アメリカ”のCMが映し出される。1986年、貧困層の救済を訴えるべく実施され、米西海岸から東海岸まで、約600万人が手と手をつないだ慈善イベントだ。“わたしたち”も、手をつないで現れた。この符合は何を意味しているのか……。
ピール監督は、前作の完成前からドッペルゲンガーに関する次回作の構想を練っていたという。人間にとって最大の敵は自分という着想から、アメリカとその国民性にも及ぶテーマのスリラーにしたかったとか。ロケ地はアメリカ西海岸のサンタクルーズで、ピールが愛するアルフレッド・ヒッチコック監督の映画「めまい」などの雰囲気を彷彿とさせ、観客にホラーの中でバカンス気分味わってもらうためだとも言うのだった。
本作でアデレードと彼女のドッペルゲンガーともいえるレッドの二役を演じ分けているルピタ・ニョンゴ。彼女が幼い時に、移動遊園地のミラー・ハウスに迷い込み、そこで自分とそっくりさんに遭遇する。ここがヒントだったのですね。もしかして、ここでもうすり替わっていたりしてね。
だから、真夜中に自分たちの家に、赤い服をきた自分たちとそっくりな人間が現れて、“わたしたち”が家に侵入したシーンにはどっきりとした。アデレードとそっくりのレッドが両手を広げると、それが何かの合図だったのか、白いマスクを被った子どもが床を這いつくばるように現れる。その白いマスクを取ると、顔の口の周りが火傷の後のように崩れていた。だからジェイソンはそんな傷跡はないので、ちょっと不気味だ。
その子供は息子のジェイソンにそっくりで、ジェイソンもいつも不気味なお面を付けていたからだ。子どもが暖炉に火をつけ、“わたしたち”が横に並んだ姿を見たジェイソンは、思わず「イッツアス(僕たちだ)」とつぶやくのだった。得体のしれない存在と初めて対峙する、緊迫感あふれるシーンになっている。
だからアデレードの家族たちは、自分とそっくりの赤い服を着た人間を殺さなければならなかったのだ。自分が自分を襲うという、先の読めないスリラーになっていた。壮絶な戦いの末にアデレードは、暖炉の火かき棒を手に自分そっくりな相手と闘い、生き残るのだが外へ出て見れば、赤い服を着た人たちが手を繋ぎ延々と長く続いていた。
ドッペルゲンガーの動きはある虫を参考にしたという。「レッドの動きを表現するうえで、ジョーダン(・ピール)が使った言葉の一つが“ゴキブリ”だった。レッドをゴキブリの生命力と関連付けるのはすごく有益な方法だったという。ゴキブリはあちこち動き回るし、素早いから退治するのが難しい。そうかと思えば、気付かれずにじっとしていることもできる。それに、驚異的な生命力と回復力を持っているの」と明かしている。
それと、劇中にはハサミが印象的なアイテムとして登場する。その理由について、ピール監督は「ハサミはこれまでにも古典ホラーで使用されているから、本作の中心的なイメージとして起用することで敬意を表したかった。ハサミには言葉のうれでも物質的にも二面性がある。2つの部分から成り立っているし、日用品と恐ろしい凶器という境界線上に存在する物でもあるからね」とアイテムのこだわりを語っている。
ドッペルゲンガーとは常に恐怖の源である。人間が感じている死の必然性と繋がっているからだと思う。あらゆる神話を通して、ドッペルゲンガーは悪兆や、自身の死の暗示として描かれているからだ。
果たして笑っていいものか、それとも怖がるべきなのか、その悩ましさの先にあるものは、現代のアメリカ社会の姿でもあるのかもしれませんね。
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