独創的な作風で世界中から注目を浴びる韓国の鬼才キム・ギドク監督による、第69回ベネチア国際映画祭金獅子賞に輝いた問題作。昔ながらの町工場が並ぶソウルの清渓川周辺を舞台に、天涯孤独に生きてきた借金取りの男の前に突如母親と名乗る女性が現われ、生まれて初めて母の愛を知った男の運命を描き出す。主演はテレビドラマ「愛してる、泣かないで」のイ・ジョンジンと、ベテラン女優チョ・ミンス。二人の気迫に満ちた演技と、観る者の予想を超えたストーリー展開に圧倒される。
あらすじ:身寄りもなく、ずっと一人で生きてきたイ・ガンド(イ・ジョンジン)は、極悪非道な借金取り立て屋として債務者たちから恐れられていた。そんな彼の前に母親だと名乗る女性(チョ・ミンス)が突如現われ、当初は疑念を抱くガンドだったが、女性から注がれる愛情に次第に心を開いていく。生まれて初めて母の愛を知った彼が取り立て屋から足を洗おうとした矢先、女性の行方がわからなくなってしまい……。
<感想>この映画もだいぶ前に鑑賞したもの。思い出しながら書いてます。内容は、以前に鑑賞した「息もできない」の残酷な方法で肉体的痛みを与え、債権者から借金を回収することで生計を立てているガンドという男が主役です。彼は、暴力を振るうのになんの感情も持たず仕事として遂行してきたが、ある日、30年前に自分を捨てた母親だと名乗る女が現れ、執拗に追い掛け回されるようになる。
残虐な機械のような若者と、その母親を名乗る女性との心理的衝突を描く前半部分には、胸がつぶれるような思いにさせられる。
だが、若者に人間的な心が芽生えるあたりから、彼の動揺を反映するかのごとく、演出モードがズレ始め、観る側もかまえて鑑賞モードを模索することになります。
やがて死せるキリストを抱くマリアにあたる人物が、この映画に複数存在することが明らかとなるころ、母親的なものは、無償の愛などといった美しい言葉には回収され得ない、不気味なものとして立ち現れ、ガンドに復讐の矛先を向けてくる。
この作品は人間を理解する過程を描いたもので、キリスト教的な映画とも取れる内容で、人生を理解する過程つまり生から死までの人間の軌跡を追ったものと言えるでしょう。
そして、自殺です。この作品の中ではたびたび描かれますが、しかし、ガンドはなぜ自殺をせねばならなかったのか?・・・彼は仕事に忠実であっただけで、悪いのは彼ではなくその仕事だったのではないでしょうか?
ガンドは、仕事を選べない状況にあったわけで、それでも自分の行為に恥をしらないでいたことは、許されないと思ったのでしょうね。ガンドは、母親だと信じていた女性が、実は母親ではなかったことを知ると同時に、その女性が息子の復讐のために自分に近づいて来たのだということを知り、初めて深い罪悪感に陥ります。
しかし、人間であれ動物であれ、生きるためには他者の血を必要とするわけで、この映画の中でも殺された動物がかなり出てきますが、動物がそうであるように、人間も時に他人の血や自分の血を犠牲にしなければならない。
ガンドも生きるために、ニワトリやウサギを殺してしまう。その行為はガンドの性格を表現するために、動物をあんなふうに殺してしまうガンドは、同じように機械で人間を傷つけてしまう。彼にとって動物を殺すことと、人間を傷つけることは、殆ど同じ行為なんですね。
ですが、突然現れた女が母親であることを受け入れる前には、生きた魚を捌きますが、母親を受け入れた後では、すでに誰かが捌いた魚を持ってくる。この違いは、ガンドの変化を意味していて、彼は母親の力によって人間性を回復したということなのですね。
それとともに、今まで信じていたものがガタガタと崩れ、彼自身の魂も死んでしまうのです。ラストシーンの衝撃なトラックに引きずられるガンドの自殺行為は、監督の意図とすることで、残酷な描写ではありますが、きっとガンドのような人間を生んでしまったこの世の中とは、どういうところなのか。それを観客へのメッセージと捉えてもいいでしょう。
それにしても、あらゆる映画が、金、金、金の世界は間違っていると語っているようだ。キム・ギドクの作品にみなぎる暴力性には馴染めないが、この作品の“母親”の存在は大変興味深く感じました。
2013年劇場鑑賞作品・・・259 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
あらすじ:身寄りもなく、ずっと一人で生きてきたイ・ガンド(イ・ジョンジン)は、極悪非道な借金取り立て屋として債務者たちから恐れられていた。そんな彼の前に母親だと名乗る女性(チョ・ミンス)が突如現われ、当初は疑念を抱くガンドだったが、女性から注がれる愛情に次第に心を開いていく。生まれて初めて母の愛を知った彼が取り立て屋から足を洗おうとした矢先、女性の行方がわからなくなってしまい……。
<感想>この映画もだいぶ前に鑑賞したもの。思い出しながら書いてます。内容は、以前に鑑賞した「息もできない」の残酷な方法で肉体的痛みを与え、債権者から借金を回収することで生計を立てているガンドという男が主役です。彼は、暴力を振るうのになんの感情も持たず仕事として遂行してきたが、ある日、30年前に自分を捨てた母親だと名乗る女が現れ、執拗に追い掛け回されるようになる。
残虐な機械のような若者と、その母親を名乗る女性との心理的衝突を描く前半部分には、胸がつぶれるような思いにさせられる。
だが、若者に人間的な心が芽生えるあたりから、彼の動揺を反映するかのごとく、演出モードがズレ始め、観る側もかまえて鑑賞モードを模索することになります。
やがて死せるキリストを抱くマリアにあたる人物が、この映画に複数存在することが明らかとなるころ、母親的なものは、無償の愛などといった美しい言葉には回収され得ない、不気味なものとして立ち現れ、ガンドに復讐の矛先を向けてくる。
この作品は人間を理解する過程を描いたもので、キリスト教的な映画とも取れる内容で、人生を理解する過程つまり生から死までの人間の軌跡を追ったものと言えるでしょう。
そして、自殺です。この作品の中ではたびたび描かれますが、しかし、ガンドはなぜ自殺をせねばならなかったのか?・・・彼は仕事に忠実であっただけで、悪いのは彼ではなくその仕事だったのではないでしょうか?
ガンドは、仕事を選べない状況にあったわけで、それでも自分の行為に恥をしらないでいたことは、許されないと思ったのでしょうね。ガンドは、母親だと信じていた女性が、実は母親ではなかったことを知ると同時に、その女性が息子の復讐のために自分に近づいて来たのだということを知り、初めて深い罪悪感に陥ります。
しかし、人間であれ動物であれ、生きるためには他者の血を必要とするわけで、この映画の中でも殺された動物がかなり出てきますが、動物がそうであるように、人間も時に他人の血や自分の血を犠牲にしなければならない。
ガンドも生きるために、ニワトリやウサギを殺してしまう。その行為はガンドの性格を表現するために、動物をあんなふうに殺してしまうガンドは、同じように機械で人間を傷つけてしまう。彼にとって動物を殺すことと、人間を傷つけることは、殆ど同じ行為なんですね。
ですが、突然現れた女が母親であることを受け入れる前には、生きた魚を捌きますが、母親を受け入れた後では、すでに誰かが捌いた魚を持ってくる。この違いは、ガンドの変化を意味していて、彼は母親の力によって人間性を回復したということなのですね。
それとともに、今まで信じていたものがガタガタと崩れ、彼自身の魂も死んでしまうのです。ラストシーンの衝撃なトラックに引きずられるガンドの自殺行為は、監督の意図とすることで、残酷な描写ではありますが、きっとガンドのような人間を生んでしまったこの世の中とは、どういうところなのか。それを観客へのメッセージと捉えてもいいでしょう。
それにしても、あらゆる映画が、金、金、金の世界は間違っていると語っているようだ。キム・ギドクの作品にみなぎる暴力性には馴染めないが、この作品の“母親”の存在は大変興味深く感じました。
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