ひとりごと

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最近内容が「ひとりごと」から外れてる時多いです〜

長い介護生活 最後の1年間振り返って(短編小説なみに長いです、汗)

2018-01-26 14:20:37 | 介護

 昨年11月30日に亡くなった母。

私の家と徒歩5分の距離で、長い間 近距離介護をしてきました。

ケアマネさん、ヘルパーさんに助けられ

15年ほど、骨折、食道静脈瘤による吐血を繰り返し

そのたびに入退院しながら なんとかやって来ました。

 

2015年4月、大量の吐血で救急で運ばれた後

退院後 自宅に帰っての一人暮らしには限界を感じ

かかりつけ病院から車で10分ほどの所にある介護付き老人ホームを探し

無事、退院と同時に入居することが出来ました。

このホームで2015年5月から亡くなる2017年11月まで

2年半お世話になりました。

 

原発性胆汁性肝硬変が悪化して肝硬変末期状態で非常に疲れやすい上に

肝臓から来る 食道静脈瘤からの吐血

重症の骨粗しょう症で何度も骨折したため

背骨の変形による痛みに常に悩まされていましたが

寝たきりになりたくない、と

歩行器で歩行運動を毎日かかさず頑張っていました。

 

2016年秋

誤嚥性肺炎で入院。生死を彷徨いましたが

奇跡的に回復。

セリー食から始めたリハビリもぐんぐん進み

数か月後には普通のご飯が食べられるようにまで回復しました。

 

その頃から

どうしたことか

今までほとんどわがままを言った事のない母が

色々困らせることを言い始めます。

在宅介護の時も喧嘩などしたこともなかったのに

言い合いになったり、

行くなり険悪になり30分程で帰ったり

妹とお茶すれば母の文句の言い合い、

「こんなん言われて腹立った~」と言えば

「あー私も同じ~あれなに~~?めちゃ気分悪かったわ~」

という状況になってきたのです。

 

もっと来てほしい(5日前に来たのに「元気にしてたの?何してたの?」怒られたり)

部屋でおやつが食べたい(一人で食べることはナースから禁止されているのに)

私と妹がしゃべってたら聞き取れず自分にわからないからと不機嫌になり怒鳴られたり

などなど。。。

何かイライラしてる事が増えたようでした。

 

月一の通院の時は、近くのスーパーのお菓子売り場で

買う、ダメ、のすったもんだ。

カフェに行ってお茶したい

ステーキが食べたい

あれが買いたい、これが欲しい

喫茶でお茶したいからと連れて行くと

急に「みつ豆」が食べたいと言い出し

かあさん、みつ豆なんてここにはないわよ、と言えば

仕方なしにアイスを頼み

アイスは食べたくなかったのか、スプーンですくっては私と妹の口に交互に入れて来る(苦笑)

色々振り回されました。

 

一度誤嚥性肺炎をしているだけに

食べることは命取りにつながるので

慎重にならざるを得ず

ついつい「ダメ」と言ってしまい

母、不機嫌に・・・の繰り返しっていうのが

多かったですね。

 

はあ~~と妹と疲れ果ててきた頃

ホームでいつも、親身になって診て下さってた看護師さんが

お辞めになられたのです。

部屋で一人で食べたらだめですよ~~って言って下さってた方が辞められたのをきっかけに

 

私と妹に考えるきっかけが出来ました。

80歳超えて辛い入院を繰り返しながら頑張って生きている

そこへ食べたいものも我慢してまで長生きしたくない、

という母

(確かに、私もやっぱり食べたいものを食べたいだろうな~!)

この年まで生きれたら食べたいモノ食べて、それで寿命が縮まっても

構わない、

という母。

(私もそうだ、妹も「そう思う」と)

じゃあ、悩むことはないのでは?

食べたいものを食べさせてあげよう!

 

そう決めて

夏ごろから

お部屋の引き出しに

母が食べたいというチョコレート、ポテトチップスなどを入れてあげました。

食堂でご飯食べて部屋に帰って来て歯磨きする前に

ちょっとだけ食べるそれらのお菓子が【至福】だと。

食堂でスタッフさんが見守る中でなら食べても構わないというと

そんな一人だけでなんて嫌だと言う。

まあ、そんな気持ちもわからなくはないかな~

という事で

部屋で一人のおやつ

食べたくて食べたくて仕方なかったのね。

 

私の目の前で美味しそうにポテトチップスを食べる母。

今日はこれくらいにして続きはまたあした・・・

「明日朝起きたら、またポテトチップス食べれると思うだけで

ワクワクするの。寝るのが楽しみよ~。」

ポテトチップスだけで、生きる楽しみを見つけたような・・・

子供の様に嬉しそうなその顔を見ると

こちらも嬉しくなりました。

 

その後、ステーキが食べたいと言われれば

最高のお肉買って来て母の家に帰り

高いお肉だから1枚だけ(笑)

母は3切食べて満足。残りは私と妹でおこぼれを(笑)

フライドチキンが食べたい。ケンタッキーに買いに走り

カニが食べたい。カニ鍋作り

大喜びで食べていました。

何度も吐血してるし胃も弱ってるので

食欲のない事が多い母なのに

驚くほどの勢いで食べてくれて

後が心配になるほどでした。

 

11月10日 フライドチキンを食べた後、

いつもはすぐに帰るのに

急に「管理人さんに挨拶したい」というので

マンションの管理人室に連れて行きご挨拶。

 

そしてその翌日から少し風邪を引き

妹が2度病院に行ってくれたのですが

お薬を飲むもスッキリせず

11月19日 お昼を少しだけ食べたあと嘔吐。

その時に誤嚥した模様で

その後急激にサチュレーション(酸素飽和度)低下

酸素吸入して下さったにもかかわらず

「64から上がらないんですー来て下さいー」と看護師さんから電話。

夫と二人で駆けつける。

日曜で病院休診。

かかりつけ病院に診て欲しいと電話したけど

当直が整形の先生なので無理ですと、

ホームの看護師さんはすぐ救急車を呼びましょうと言われたけど

救急車だとどこの病院に行くかわからない、

不自由な身体だけに、すべてわかってくれてるかかりつけの病院がいい、

以前にも救急で運ばれた病院は

研修医の若い先生が担当になり

一生懸命なんだけど

高齢者にはきつ過ぎる検査をすすめられたり、とか

検査検査で

辛い思い出しかなく

いつものM病院に変わりたいってずっと言ってた記憶が蘇ります。

 

私は「朝を待ってかかりつけ病院に連れて行きたい」と言ったけど

夜中に何かあったらどうするんですか!と看護師さんに叱られ

仕方なく救急車要請を・・・

 

行った病院はとても良い病院だったけど

母、なぜかよそいきな言葉で緊張してる。

「痛いところはありませんか?」

さっきまで顔しかめて痛い痛いとい言ってたくせに

「いいえ、痛い所はありません。にこっ」

なんじゃらほい( ̄▽ ̄)

 

そんな中、先生から呼ばれて説明。

肺炎は抗生剤で少しマシになって来てます。

が、この画像みていただくとわかりますが

この3センチの丸い部分は、肝臓がんだと思われます。

 

えええええーーー!

肝臓に癌?

 

はあ、もうがっくり。

この上、まだ癌の苦しみまで?

それはないでしょー涙

と一気に心がずっしりと重たくなりました。

 

母にはとても言えやしない・・とどんよりしてたその時

 

お話も終わりかけたその時、夫が先生に言ってくれたんです。

「こちらの病院に来てから

とてもよくしていただいていますが

初めての病院はどうも緊張してるようで

何度もお世話になってるM病院には看護師さんもPTさんたちも

みなさん、顔なじみで仲良く友達みたいで

本人がそちらの病院を希望していますので

できれば願いを叶えてやりたいと思うのですが。」

 

やはり、「M病院に行きたい」という母。

死ぬときはM病院かホームがいい、と言ってた母だから

私もそうできれば、と思ったけど

なかなか言い出せず諦めてたその時だったので

ビックリしましたが

先生は気持ちよく

「わかりました、M病院の先生に連絡をとってみましょう」と言ってくれて

11月28日、転院が叶いました。

こちらの病院もとてもよくしてくださいましたが

やっぱり母のあのよそ行きの様子を見てると

切なくなり

慣れ親しんだ病院に転院出来る事、

夫と、先生方のご配慮に

ただただ頭が下がる思いで感謝で一杯でした。

 

転院の前日、たまたまその日は私と妹が病院で鉢合わせ

母と娘の3人組が復活しました。

ただ、今までとは違いおしゃべりもせず静かに横になってる母でしたが・・・

 

ふと、母の爪が伸びてる事に気づき

ベッドの右側と左側に私と妹が腰かけて手の爪、足の爪と

交代で切って行きました。

プチン、プチン、と可愛らしい音をさせて

スッキリしていく爪、

そして娘2人両脇に座って爪を切ってもらえて幸せそうな母。

とても穏やかであたたかな時間が流れました。

 

翌日、お世話になった看護師さんたちに丁寧なお見送りを受けて

母と夫と3人で救急車(有料の・笑)に乗り

M病院に向かいました。

有料だけあって乗り心地は抜群!笑

全然揺れずにすーーーっと走るんです、苦笑

救急車って普通はすっごく揺れますよね(^^;

母も心地よく乗ってくれて

あっという間にM病院に。

個室しかあいてないって事で個室に入ったのだけど

次々顔見知りの看護師さんたちが来てくれて

そのたびに感動のご対面~~

ここのところ、あまりしゃべらず母らしくなく静かに寝ていたんだけど

M病院では我が家に帰ってきたようにニコニコと嬉しそうで

は~~良かった~ってホッとしました。

 

そんな中、新規入院ということで

また一から入院手続きのやり直し。

たくさんの書類に書いて書いてハンコ押して、ってしていると

質問検査表が一枚、

その中に「あなたは今幸せですか?」という質問があり

母に尋ねると

「はい!!私は今幸せです!!」と。

最高の笑顔で言ってくれました。

 

そして

もう暗くなってきたし、帰るよ~

また明日来るね。って

そう言って病院を後にしました。

 

それが母との最期の会話になりました。

 

翌日昼頃、そろそろお昼食べて病院行こう!って思った時

電話が。

急変したのですぐに来てください。と

 

慌てて飛んで行くと

サチュレーション60くらいに下がり

もう会話もできない母の姿でした。

その時は酸素マスクを外し、何か話そうとしていましたが

外しちゃだめよ~~ってなだめて

落ち着くまで静かに寝ててね~って

そう言うしかありません。

 

状況が良くないので

ナースルームに併設してる病室に変わり

その夜、孫たちが仕事帰りに順次来てくれたけど

誰ももう会話することも出来なくなっていました。

ただ、おばあちゃん~って手を握ってくれていました。

 

母の急変は

やっとこれで安心して逝けるよ~って

慣れ親しんだ先生が部屋に来てくれた時は

「せんせい~~会いたかったです~~」って手をあげて喜んでいました。

ホッとして

やれやれ~って

あの世に行く準備に入ったんだ、って

そんな風にも思いました。

 

 

翌日朝から顎呼吸に入り、

その日の夜、少しずつ脈、呼吸低下

夜の10時5分

そのままピーの機械音が響く中

ゼロになったモニターの数字が

死を教えてくれました。

 

苦しまずに、意識なく眠ったまま永眠しました。

 

あの癌の画像を見てどんよりだった私は

(父が肝臓がんで苦しんで亡くなったので)

眠るように逝けたことに心から安堵しました。

 

亡くなった母に一番最初にかけた言葉は

「母さん、良かったね~~」

「楽に逝けて良かったね~」

「長い間よく頑張ったね~」

「でも、もうおしゃべりできないのは寂しいねぇ」

 

寂しさはじわじわ湧いてくるよ、と言われましたが

どうなのでしょうか。

母は、心の中で生きているようで

いつも話ができて

かあさ~~ん、って話しかけています。

でも、やっぱり返事はかえってこなくて

それはやっぱり淋しいですね。

 

でもね、

最後に聞いた「私は幸せです!」

この言葉が

もう

すごくすごく

私へのご褒美で

あの質問表がなかったら聞けなかったことなので

感謝なんだけどね

今まで、一生懸命介護してきて

その最高のご褒美をもらえたって

 

私の心は今、安堵と感謝でいっぱいなのです。

 

皆さんにはたくさんお見舞いの言葉頂き、

本当にありがとうございました。

 

母の介護をするにあたって

夫の協力はいろんな場面で有り難くて

何度窮地を救ってもらえたかわかりません。

夫様、本当に感謝です。ありがとう!

 

妹とは2人でうまく協力体制が出来て助け合えました。

それも感謝で一杯です。

 

母の事、心配してくださったり、お見舞いくださったり応援して下さった

このブログのお仲間たちにも

ただただ感謝で一杯です。

 

心からありがとうございました。

 

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8 コメント

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読ませていただきました (みーしゃ)
2018-01-27 11:09:04
昨日は寒波の雪で大阪も冷えました。インフルエンザが過去最大の流行だとか、ぷーどるさん、皆さんは大丈夫でしょうか。

ぷーどるさんのお母様と介護記、読ませていただきました。
最後は涙がでました。
読みながら、たくさん気づくことがありました。

私の乏しい語彙ではまとまらないけど、やっぱりぷーどるさんをお手本にさせていただくと思いました。

貴重なお話、ありがとうございます。

返信する
みーしゃさんへ (ぷーどる)
2018-01-27 14:09:50
こんにちは。

みーしゃさん、長い記事だったでしょー?
最後まで読んで下さってありがとうございます。

お手本なんてとんでもないです けど
何かの時に
あー、ぷーどるさんはこうしたって言ってたっけー?って
何か参考にしてもらえたら嬉しいです。

亡くなる前のことを
書きとめておきたいってずっと思ってて、
やっと書けました(^○^)
返信する
幸せだったといえる人生 (あかり)
2018-01-31 18:13:08
ぷーどるさん、こんばんは〜( ˆoˆ )/
15年間に亘るお母さんの介護、お疲れさまでした。
この5年間、ブログからお母さんの様子を聞いていたので、なんだか身近に感じます。
肝臓がんがあったのに、苦しまれることなく旅立たれて、本当によかった。
今ごろは、母子共々よく頑張ったな〜と、お父さんに労われていらっしゃることでしょう。
母娘三人の穏やかであたたかなひととき、至福のお食事、幸せです♡と答えられた母さんのお顔、一生の宝物ですね。
日々の介護は、いろいろ大変だったと思いますが、お母さんをしっかり見送られ、介護をやり切った感が伝わってきます。
お疲れさまでした!

今、若竹千佐子さんの「おらおらで」を読み始めています。
いろんなことの喪失、頭の中にいる大勢の人々、、、、、。

私たち夫婦の親は、四人とも健在?存命?(入退院を繰り返したり、施設に入っている親もあり)
親との死別を体験していないので、どうなるのかな。。。
ぷーどるさんのように、優しく介護できる自信はないです〜(苦笑)
ため息〜〜

ぷーどるさん達とお母さんのこと、なんだか大きな力に導かれている感じがしました。
寒い日が続きますが、どうぞご自愛ください。
返信する
あかりさんへ (ぷーどる)
2018-02-01 09:38:39
おはようございます。

2月になりましたねー。
まだまだ寒い日が続くのでしょうか。
今日は朝から雨模様です。

あかりさん、あたたかなコメントありがとうございます。
今は、母の介護を悔いなくやり切った安堵感があって、ホッとする気持ちが大きいです。
これから寂しさがやってくるのかもしれないですけどね。

母は何度も血を吐いたりとか、症状が過激というか、激しかったし
痛み方も半端なかったし
辛い状態を頑張ってるのをずっと見てきたから
その上の3センチのガンも見ちゃったしね、

最後は眠るように逝けたこと
ホントにホッとして
感謝しかないんですー。

今は父と仲良く再会してくれてたらいいんだけどね。
父が若すぎて面白いカップルになってるかもだけどね(笑)

父も母も死に目に立ち会えて
見送ることが出来たので
有難いことでした。

私は母とは別々に暮らしてたからね、
だから優しくも出来たんだろうなーと思います。

遅い時間や忙しい時間に「来て〜」ってメール来て、えー⁈今から〜?(><)って思っても
メールだから「はーい、今行くわねー」返事して
母の家に着くまでに
深呼吸、ニコニコ顔に変えるんです。

時間があるからそれが出来て良かったですが
一緒に住んでたら
こうはいかなかっただろうな〜と思います(^◇^;)

昨日は赤いお月様見れましたか?
私のところは 雲に隠れて
全然見れなくてー
残念でした(^_^;)

インフルエンザが流行ってるようなので
お互い気を付けましょうね。
返信する
Unknown (ナオ)
2018-02-02 17:59:47

こんばんは~。
本当に寒い日が続きますが、風邪などひいておられませんか?
こんなに寒い冬は初めて!というくらい寒いですね
なのになのに、昨日の朝、家の電気が一部停電して
エアコンもこたつも点かず、家の中で凍えていました。
関西電力の方が来られるのが、どんなに待ち遠しかったことでしょう
来てもらうまでに、あの音声案内の苦行を受けて
やっとやっと電気が繋がった時は、快哉を叫んだものです。
電気のある生活って本当にありがたいと改めて感謝の念が湧きました

ぷーどるさんの短編小説読ませていただきました。
これだけお母様を見送って安堵感があるって人は
そうそういないと思います。
皆さん、何かしら後悔とかあれをしてあげればよかったとか
色々思われると思うんだけど、ぷーどるさんからはもうやり尽したという清々しさが伝わってきました。

特にお母さんが食べたいものを食べさせてあげたというところ。
あんなにポテトチップスが楽しみでわくわくできるなんて
本当に微笑ましいなと思いました。
食べる楽しみって生きる中で占める割合が多いと思うのです。
だから私も食べるものを制限される生活なら
長生きできなくっていい!というお母様のお気持ちが
よ~~~~~くわかります。

「私は幸せよ!」という言葉が、ぷーどるさんにとっての
最高の勲章ですね。
本当にお疲れさまでした!
返信する
ナオさんへ (ぷーどる)
2018-02-03 10:11:22
おはようございます。

ナオさん、下手な短編小説、読んで下さってありがとうございます(笑)

ホントに、言われてみれば
母を見送って
あれしてあげればよかったーとか全くなくて
ずっと一生懸命やってきてやり尽くして満足な気持ち
安堵感でいっぱいなんですよー

きっといたらなかった点は多々あったでしょうが
最後に聞いたあの満足な顔での「幸せです!」で
すべて帳消しにしてもらえたのかもしれないわね(笑)

ポテトチップス、ホントに最後食べさせてあげれて
良かったなと思います(^○^)
それはそれは美味しそうに嬉しい顔で食べていました。
今も目の前に浮かんで来ます。
あの頃の母、なぜか本能で死を予感していたのか
本人も無意識だったのでしょうが
死に行く準備を始めてたような
いきなりマンションの管理人さんに挨拶に行くって行ったり
アレがしたいここへ行きたい、ってすごくて。
それをすべてやり尽くして
やり尽くすなりバタンと逝ってしまいました。
不思議ですねー。
でも、満足してくれて
見送れて
ほんとに良かったなーと思っています。

3月の初め頃に納骨に出石まで行ってきます。
それが終わればかなりホッとできるので
また遊びに来てね。

ところで、
この寒い時に、停電?┌(; ̄◇ ̄)
なんという事でしょう。
うろたえてしまうわねー。

頑張って電話音声入力で修理を依頼できたのねー
エライー‼️
電気ってないとホントに困るものね。
なおって良かったです!
返信する
Unknown (ある)
2018-02-17 20:39:37
こんばんは。

寒波に次ぐ寒波で今日も寒いですね……!!
風邪など引かれていませんでしょうか。
私の住む地域は吹雪いたと思ったらちょっと回復してめちゃくちゃ寒くなって、また吹雪いてみたいなめちゃくちゃな天気でもう登校すらしたくありません。

ぷーどるさん長い間本当にお疲れ様でした。
私はまだ親や祖父母の介護に携わったことはなく、祖父が亡くなった時は物心ついていましたが割とあっさりなくなってしまったこともあり、介護の大変さや辛さはわかりません。
ですが、ずっと長生きしてほしいですが祖母や母には最後まで幸せだと思って生きてほしいですし、私もそういう最後を迎えたいです。
いつか、最後の時が近い時にはぷーどるさんのように祖母や母を支ええたいと思います。
そのためには今から親孝行、祖母孝行しなくてはですね~~。
返信する
あるさんへ (ぷーどる)
2018-02-18 10:09:35
あるさん
半年の留学が終わり
無事に帰国されたんですね。

おかえりなさい!

お元気そうでなによりです♪

色々日本では学べない事を学べて
良かったですね。
たくさんの事を身につけて
帰ってこられた事でしょう(^○^)

日本は今年、特に寒いでしょー?
インドとは大違いよね。
体調崩さないように
気をつけて下さいね。

誰でも最期は、幸せな気持ちで旅立ちたいですね。
私もそんなふうに最期を迎えられたらいいなーと
思うけど、
さて、どうなるやら(^◇^;)
あるさん、暖かなコメントありがとうね。

これからは 引き続き、院でお勉強継続ですか?
好きな事が続けられるのは
素敵な事ですね。

頑張って下さいね〜♪
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