ひとりごと

難聴 Auditory Neuropathy
人工内耳
オカリナ
最近内容が「ひとりごと」から外れてる時多いです〜

軽度難聴の憂鬱

2013-07-12 12:18:07 | 難聴

軽度難聴、「始まりの人」 と 「行って戻って来た私」

この2者、現在の聞えの程度はよく似てるんだけど

その心の重さは全く別。

 

ここ3年くらいで徐々に聞こえが低下した軽度難聴のAさん。

はっきりした聴力はわからないけれど

私とよく似た聞こえだ。

中音域は30dBくらいだそう。

静かな部屋で少人数の会話は全く不自由なし。

 

低音域はそれより少し悪いらしく

男性との会話だと時に不自由を感じるそう。

 

煩いお店で多人数で食事などすると

相手が女性でも全然話にならない・・らしい。

ふと思いついた話題を出したら

「たった今までその話してたじゃない。」

って言われた時には、顔から火がでる思いをして

もう自分から話題を持ちかけるのはやめよう・・と

どんどん消極的になっていったという。

 

息子や夫の声がだんだん聞こえにくくなってきて

家でも「え?」「え?」が増えてるらしく

 

パートの仕事もなんとか出来てるけど

たまに聞こえてなくてフォローが入ることがあって

今後もし聴力がさらに低下することがあれば・・・と考えると

お先真っ暗どんより憂鬱な気分に・・・と。

 

う~~~ん、その道をすでに通ってきた私としては

気持ちはわかりすぎる。

あの頃を思い出しても胸はキューンと痛くなる。

 

私の今の聴力は、人工内耳を付ければ彼女とよく似た35dBあたり。

 

聴力悪化( )が始まった彼女と、 悪化は行き着き 人工内耳である程度回復 現在横ばい中 (  ) と、たどって来た私とは、

現在の聞こえはよく似ていても、その心の中の違いはとてつもなく大きい。

 

 

私も難聴になりかけた初期の頃・・・

言いようのない不安と憂鬱におおわれていた。

 

どうやってそれを乗り越えて行けばよいのか・・・

乗り越えるというのは、難聴を改善していくというのではなく

難聴になったために落ち込んだ心をどう前向きな気持ち、明るい気持ちに戻して行くか・・という事だけれど

前に進もうと思っても、大きな山が立ちはだかり心が動かない。

何もやる気が起きず、どんよりとため息な毎日。

チャレンジという言葉がどんどん消えていく。

 

私はどうやってその「どんより山」を乗り越えてここまでやってきたのだろうか。

 

難聴の先輩として、

悩める彼女にいいアドバイスをしてあげたいところだけど

全くもって適当な言葉が見つからない~~~(情けなや~~~)

 

「気にしなくても、全然難聴だなんてわからないよ、今もよく聞こえてるじゃない。」

こんな事はいくら聞いても何の気休めにもならない。

 

結局私は、山を乗り越えてきたんじゃなくて

下がる聴力に身を任せてたら自然と行き着いた場所が 今 なのかしら???

 

もう、どうしようもない・・っていう 「 諦め 」が

私をこの場所に導いてくれた・・・

そんなだから、いつまでも難聴を受け入れられず、

適当に聞こえをごまかしながらの日々が何年も続くはずだよね(苦笑)

 

で、それだと 「もっともっと悪化していくと、気持ちは楽になるわよ。」ということになるんだけど

 

「聞こえが治ることはないだろうけど、なんとかこのまま横ばいでいて欲しい。」と言う彼女に

結局 

「わかる~~~~」 しか言えない無力な自分

 

落ち込んだ心をのどように乗り越えて行くのか

人によって色々あるんだろうけど

 

誰か、支えになってくれる人の存在なんかも大きいかもしれないし

周りの理解も・・・

なだらかな道を探して、うまく楽に超えて行く人もいるかも。

 

最初から乗り越える山もなく、スイスイ今まで通りの道を前進出来るなんて人はいるのかな。

 

 

同じ30dBの聞こえでも

その心は色々。

 

私の場合

今は聞こえる音に感謝の毎日だけど

初期の頃は、聞こえない音に気落ちする毎日だった。

 

この気持ちの変化は、「悪化」 によって得られたのかも。。。。

 

う~~~~ん 難しくて切ない問題やわ。。。

 

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22 コメント

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Unknown (タク)
2013-07-12 21:24:57
ウーン「わかる」・・・切ないね。
自分なんかはもっと残酷なことを言っていることがあります。
難聴が進行していて不安を持っていて人工内耳の選択を考えている方に対して、「今の聞こえだったら、まだ、大丈夫。」と言ってしまっていることがあります。
いったい、『何が大丈夫』なのか、その方の不安に対して答えていない自分に気づくことがあります。
気持ちと言葉が一致していないもどかしさ。
なんと言えばよかったのか、あとで考えてしまうことがあります。
返信する
タクさんへ (ぷーどる)
2013-07-13 09:37:33
おはようございます。

聞こえで悩んでいる人に対する声掛けは、難しいですね。

とても繊細でデリケートな問題です。

結局本人が一番聞きたいのは
「大丈夫、貴方の耳はよくなる治療法があるので治ります。」という言葉。
後は何を言っても気休めにしかならないのかもしれません。

自分が通ってきた道とはいえ、あの時自分はどんな言葉で元気がでたんだろう、と考えても
やっぱり思い浮かばないのです(苦笑)

難しいですね~。

タクさん、お忙しい日々をお過ごしだと思います。
猛暑が続いていますから、お身体ご自愛くださいね。
返信する
真っ直中。 (西)
2013-07-13 18:21:56
サークル関係者とコミ不足からボタンの掛け違い・・・と言うより、意識の違いが明確になってきた。のかな?

長い間難聴者と向き合ってきている方なのですが、
結局は難聴者の事をほとんど理解しておられなかった事が判明。

なんだか息苦しさを感じてしまった。
息苦しいのに何で義理立てしてまでお付き合いしなければならないのかと思った瞬間、
めんどくさくなってしまった。

その原因が、私の難聴が進んできたため。
相手の方の発言を聞き分けられない状況が強くなってきている。
それを説明するのですが捲し立てるように話しをされても・・・。
話し合いの席を設けたにもかかわらず、結局は話し合いにならず、私の事を話し合っているのにまたまた私は『ツンボ桟敷』の『蚊帳の外』。

辛いですね~!
自分が関わっている事とは言え、またまた引きこもりたくなってきている自分が居ます。
外界との接触を断ち、自分の好きな仕事だけをし、
甲冑でがんじがらめに防御し、
自分の今を受け入れてくれる方達とだけ関わって行けばいいかななんて思っている今週一週間を振り返っている週末です。
返信する
Unknown (ナオ)
2013-07-13 18:53:42

こんばんは。
なんだかすごい雨だったけど、大丈夫でしたか?
この頃こういうゲリラ雨が多いですね

Aさんの件は、本当に身につまされます。

<もう自分から話題を持ちかけるのはやめよう・・と
<どんどん消極的になっていったという。

 コレ、本当によくわかるわ~。
私もそう言われても 「わかるわ~」 としか言えないかも。
「諦めることも大事だよ」 とか 「時間が解決してくれるよ」 とか
そんなことは求めている答えじゃないかも知れないもんね。

自分が通ってきた道だとはいえ、結構辛い時期を過ごしてきたんだなあと
なんだか自分が可哀想になってきました

この間の野球部の壮行会でも、やはり聞き取りは難しく
輪から少し外れて皆さんを見ていたのですが
気の付くお母さんが輪に入れて下さって
それでも聞き取れないので、困りながらも結局聞こえるふりを
してしまったのでした

結局、本人が色々と体験しながら落としどころを見つけるしか
ないのかもしれませんね(ため息)
返信する
西さんへ (ぷーどる)
2013-07-14 08:51:04
おはようございます。

その方、長い間 難聴者と関わりながら、
西さんの聞こえが悪化してくると、コミが成り立たないって????

難聴のサークルにいながら、難聴者へのコミ方法がわかってらっしゃらないってどういうことでしょう。

なんだか、びみょ~~ですねぇ。。。。。。(汗)

話し合いをしても蚊帳の外ってあんまりじゃないですか

残念な事ですね~。


私だったら、ドーーンと距離おいてしまいそう。


健聴者の集まりでも入って行けず
聾者の集まりにも入っていけないっていうのに

難聴者のサークルでも蚊帳の外では・・辛すぎますよね。

西さん、ご苦労様です。
あまり無理しないで下さいね~。
返信する
ナオさんへ (ぷーどる)
2013-07-14 09:58:17
おはようございます。

暑いですね~、昨日はゲリラ雨が来たんですか?
洗濯物が台無しだし、外にいていきなり来たら困りますよね。

こっちは昨日 ゲリラ雨は来なかったですが
少し前 娘たちと3人で車で出かけた時にすごいのに遭遇しました

高速走行中、目の前に大きな雲が現れたと思ったら
いきなり強烈な雨と雷がきて真っ暗で・・

「きゃ~~~!!」って言いながら運転して
娘たちには 「大丈夫~~~?」 と、やや呆れられましたが・・・

10分ほど走ったら、ピタッと雨やみましたが~~~

「恐怖のゲリラ雨高速走行の巻」でした


さてさて、壮行会のような催しではざわざわして聞き取れなくなっちゃいますよね。
お疲れ様でした。

「はぁ~」ってため息だけど、
難聴初期の頃は「辛さ」と「戸惑い」と「悲しみ」と「落ち込み」と「不安」と・・・いろんな気持ちが混ざってて

今もそういう場ではやはり聞き取り落ちますが
「諦め」「そういうものなんだから仕方ない」と言う気持ちが大きくなったからか
当時ほど「辛さ」は感じられなくなりました。

やはり初期は、これからどうなるんだろう?っていう不安も大きいのかな。


ホント、当時を思い出すと、自分が可哀想になって
「よしよし」って感じですよね。

前にも書いたと思うのですが
よく頑張って来たな~って、自分をほめてあげたいです。

可哀想って言われるのを嫌う障害者の方は多いと思うのですが
私は可哀想に~って言われても
「そうでしょ~、可哀想でしょ~」って
どちらかと言えば嬉しいくらいで・・・

夫に言われた時も
「そうでしょ~(泣)私可哀想でしょう。」
って・・・・

でも、嫌がる人も多いと思うし
難聴になって落ち込んでる人への励ましって受け取り方が色々だから・・・難しいですね。


>結局、本人が色々と体験しながら落としどころを見つけるしかないのかもしれませんね(ため息)


そうそうそう、結局そうなのかもしれませんね。
返信する
Unknown (コリ)
2013-07-14 11:33:20
こんにちは。

いつものことながら、見当はずれのコメント
になってしまいます

以前交響楽「HIROSHIMA」のことが
書いてありました。
テレビでの解説によると(正確に覚えて
いないのですが)
第一楽章、どうしようもない怒り、第二楽章
絶望、そのなかでも人々を支える愛があり
一筋の光がさしてくる。第三楽章、もう一度
生きてみようという希望
とありました。

これを障害を受け入れる過程にしてみると、

① なんで、私だけ、耳が悪いの!
  誰もわかってくれない。(怒)
② あ~~どうしよう、仕事もできない。
  友だちもいなくなる。(絶望)
  ぷーどるさんのブログで、いろいろ
  吐き出す。ただただ聞いてもらう。中難協  の仲間と出会う。(人々の愛)
③ 聞こえなくても聞こえる人と同じように
  社会参加が保障されなければいけない
  のではと思い始める。どうすればいいのか  と考え始める。(希望)

私は何楽章にいるのかわからないけど、②に行ったかと思うと①に戻り、③に行ったかと思うとまた①②に戻ったりしています。

健聴者の中では落ち込むこともあるけど、
健聴者でも、難聴を理解して協力してくれる人もいるとわかりました。

わかってくれない人とは距離を置けばいいと
思えるようにもなりました。

明日は暑気払い。11人出席で健聴者は
5人。こういう中では聞こえにくくて
蚊帳の外ということはないのです。


返信する
コリさんへ (ぷーどる)
2013-07-14 22:24:28
こんばんは。

コリさん、ありがとうございます。
見当はずれなんてとんでもないです。


>第一楽章、どうしようもない怒り
 第二楽章、絶望、そのなかでも人々を支える愛があり
 一筋の光がさしてくる。
 第三楽章、もう一度生きてみようという希望


これ、そういえば覚えています。
ありましたね。

怒り、絶望から始まり
最後は「希望」

おっしゃる通り、難聴もこの交響曲と同じですね。


絶望から始まって希望に至るまで
人それぞれのドラマがあるわけですが

私はどうかな~と考えてみると

なるべくなだらかな道を選び、険しいと思ったら避けてきた・・・かな~。臆病な生き方かもしれませんが
少しでもストレスをためないように、しらずしらずに自分なりに傷が少なくてすむような工夫をしながらやってきたように思います。


コリさんは、今いいお仲間と出会えたようで何よりですね。
聴覚障害者と健聴者、蚊帳の外に出る人がない。
輪の中で一つになれるというのは理想ですね。

要約筆記者もとても活躍されていますし・・・

どこでもそんな風な世の中になって欲しいなと思います。

明日は楽しんで来て下さいね。
返信する
Unknown (コリ)
2013-07-15 09:01:36
おはようございます。

なるべくなだらかな道を・・・
もう何年も、毎日、ときには驚くほどたくさん
の人に気持ちにそったお返事を書き、
そしてブログを更新する。
これは、すごく険しい道だと思います。
誰にでも行ける道ではないです。

ぷーどるさんのお返事に光を感じた方は
何人もいるでしょう。

中難協をリードしている方が、会報に
書いていました。
「30年前、センターの一室で、黒板を使って
話し合っている10人を見た時、暗い山道で
道に迷って、どうしてよいかわからなくなった時、山小屋の光を見つけたときの安堵感
のようなものを感じた。」

初めのころは雑談、親睦が主だったそうですが、聞こえる人といっしょに生きて行くには
どうすればという内容が中心になって
いったそうです。

要約筆記者は難聴のことも研修しますから、
くわしいですよ。
テキストを出して、「30dBだと・・・」
なんてやってます。
知ろうという気のない人に、いくら言っても
ダメだとわかりました。
返信する
コリさんへ (ぷーどる)
2013-07-15 10:29:32
おはようございます。

要約筆記の方にはお世話になってて
手話や読話の講習会でも、私の教える教室でも来ていただいた事はあるのですが
どんな勉強されてるかなど、お話することもなく通り過ぎていました。

30dBの聞こえがどんなものか・・などの勉強もされてるんですね。
難聴者たちより詳しいかもしれませんね(苦笑)

有難い事です~。


私がこのブログを始めたきっかけは
病院に行くことになったので、健忘のための
覚書日記としてなんですが・・・。
ホントすぐ忘れるのでこれは書き留めていかないとマズいかなって(笑)

こんなにたくさんの耳友さんが出来るとは
その時夢にも思わなかったです。
皆さんとお話してて元気をもらえてるのは私の方なんですよ。
いつも感謝しています。


>>「30年前、センターの一室で、黒板を使って
話し合っている10人を見た時、暗い山道で
道に迷って、どうしてよいかわからなくなった時、山小屋の光を見つけたときの安堵感
のようなものを感じた。」


そうなんですね~。
なんかわかる気がします。
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