







生まれて15年を過ごしたダムのある公園。
その中に社宅があった。
人里離れた山と川のある風景。
今は、鬱蒼とした山間に思い出だけを残した社宅跡になってしまった。
ダムが出来て10年後に両親が住みはじめた。
子ども心に大きかった木々は、半世紀以上も過ぎて巨大な樹木になった。
子どもの頃の記憶は春の桜祭り。
桜並木を通り、広場に集う人々の声が賑やかに我々の住む高台の社宅まで聞こえていた。
子ども心に、もみじの記憶はない。
しかし、今では、かつての桜並木の美しさは面影も無く、逆に晩秋のもみじが年々美しくなっている。
そしてその美しさを知る人も少ない。
故郷の紅葉は子供時代を過ごした者の静かな楽しみでもある。
必ず訪れる。
ふるさとの晩秋を感じるために。
そこには、懐かしい家族を思い出させるたくさんの自然が残るから。