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ところが見逃すより、年々、行きたくても行けなくなる。
であるから行きたいと思い立ったなら、まずは何をおいてもそこを一番の目標にしてまずは行動することを若い方々(50歳以上70歳未満)にはお勧めしたい。
「今はできない」ことはこれからもできなくなる可能性があると思うから。
幸にして私は、人生を100年どころか50年と思い生きてきたところがあって、現在とても長生きしている。
22歳で父52歳を亡くしたのは私の人生に大きく影響した。
仕事を50歳で辞めてしたい放題。
協力してくれた夫や母がいてくれたからこそできたの一言である。
振り返ると、そこからの人生が楽しかった。
ようやく大人の社会に船出したと言ったら良いのだろうか、未熟者なのだ。
余りの人生、残り物に福とは言わない?
自分で決めた余りの人生の方に「成長」があったなどと顰蹙を買いそうな、誰にも言えないことをこうして誰かわからない方々に聞いてもらっている。w
私は、能力がなかったから仕事だけをして30年を過ごしたようなもの。
強い母がいたからすっかり甘えて子どもを任せ、料理も洗濯もしないで30年を過ごした。
最近では台所でスムーズに息ができるようになった。
以前は、キッチンに立つと、苦しくなり酸素不足に。
息を止めて作業をしているようなのだ。(貧血のせいかも)
考えながら料理をしていると息ができず、ハッと我に帰り、深いため息をついては酸素を補充していた。
キッチンは緊張する場であり、いつまでも初心者であった。
レシピを見ても数字に弱いことと経験不足の私は、小さじ1の塩の量も大さじ1の砂糖の量も想像できないでいた。
であるからとんでもない間違いをしたりする。
数字が記憶に残らないので繰り返し数字を呟きながら、それでも間違えていた。
夫より早く退職した私は夫のためにと、子どもが幼稚園時代の1年間以来、作ったことのないお弁当を作りはじめた。
でも、数ヶ月後には、お昼は自分で買うからいいからと・・・。
味が淡白というか、味がないに等しかったのではと想像する。
出汁は入れたの?とよく言われていた。
夫は調理師免許を持つ公務員。
現職中にその免許を活用することはなかったが、退職後には大変助かり恵まれた妻となる。
医者や栄養士は世間に役立つだけでなく生活に必須な知識や実務だとつくづく思う。
生まれ変わったなら頑張って医者になろうかな、などと冗談にも思ったりする。
病気の不安というのは大変つらい。
自分ではなく家族が病気になった場合である。
医学的な知識を持っていたなら、やみくもに心配をしないで済むだろうな〜と。
ほとんどの生活習慣病は、栄養士の知識で病気にならずに済むのかも知れない。
などと、おかしなことを考えてはクヨクヨしている私である。
タイトル写真の絵は、母の従兄弟であるHideさんの「ピンクのチューリップ」
このピンクがなんとも言えず好き。