今日、お風呂で身体を洗っててふと乳ガンの傷跡を見てしまって、
あ~、乳ガンの手術したんやった~、、
って、改めて思った。
お風呂に入っても傷を見る事ってあんまり無い。
そう言えばこのブログでもあんまり乳ガンの事は書いてないしな~。
咽頭ガンの治療が壮絶だったので乳ガンが影をひそめてしまってるけど、乳ガンも怖い病気だよね。
乳ガンが見つかったのは耳鼻科で受けたMRIとCTで、右のおっぱいに影が写っていたから。
念のため検査をする事になった。
その後の検査はここ乳ガン術後一年経ちましたの日記で書いた通りなんやけどね。
「やっぱりガン細胞がでました」
って言われた時は、すでに咽頭ガンも告知されてたから「え?また?」って感じ。
それも浸潤性のガンでじわじわと他に広がっていく種類のガンです、みたいな事を言われた。
あと図に書いて色々と説明してくれはったと思うんやけど、あんまり覚えてない。
その時の図を今見てもよくわからん。
咽頭ガンの治療は抗がん剤と手術と放射線で短くて半年かかるって言われてた。
半年も待ったら乳ガンが転移する可能性があるから先に乳ガンの手術をしましょうって事になった。
でも普通は切った後はおっぱいに放射線をするんだけど、それに費やす時間が私にはない。
術後の治療が何一つできない。
って事は再発の確率も普通よりはUPするって事、やんな??
放射線もホルモン剤もできないので乳腺の主治医も悩んではったけど、とにかくこれからは咽頭の治療に専念して乳ガン術後の治療はそれから考えましょう!って言ってくれました。
ホルモン剤を飲み始めたのは乳ガンの術後7ヶ月目でした。
よく言われているホルモン剤の副作用は私はあんまり感じてないな~。
生理は止まったけど、色々言われてる更年期の症状もでてないしな。
お薬効いてんのやろか、、、って思ってしまう。
私ね、ガンと告知されても病院でも家でも泣かなかったんですよ。
不安やったけど、ガン=死 って言う事はまったく頭になかった。
どんな治療なんか、手術後は痛いんやろか、、ばっかり考えてた。
乳ガンの手術で、最悪の場合は右の乳房全摘しますと言われた時も
手術の後が痛いんちゃうやろか~~って事をずっと考えてた。
とにかく痛みに弱いんです、ワタシ。
付き添ってた母は、
「先生、ちょっとでも広がってたら潔く全部切ってください。な、そうしてもらいや」
って言うねん。
誰のおっぱいやと思てんねん(;^ω^)なぁ。
でも診察室から出て来て、看護師さんから乳ガンのパンフレットを渡されて
「これからは普通のブラジャーも出来ないし、地下の売店で乳ガン用のブラジャーを買って来てね」
って説明を受けてる時にポロポロ涙が出て来た。
何でかわからんけど、やたら悲しかったわ~。
手術の結果はリンパ節にも転移はなく、腫瘍も広がっていなかったので温存手術で傷口は5センチくらいかな~。
ちょっと切った所が凹んでる感じ。
手術が終わってから一晩は回復室で過ごして、次の日の朝病室に戻って来ました。
戻って来た日の夜は激痛で目が覚めました。
やっぱり痛いのはいやや
あ、そうそう。
手術の前の日?やったか、股関節の動脈から血を抜かれたんやけど、ワタシ、「どうせ手術の時はおパンツも脱ぐんやし捨てて帰ろ~」と思って一番ヨレヨレのおパンツを履いてたんですわ。。。
なに?股関節??あ!おパンツ!!
もう後の祭りです、、、
しっかりヨレヨレ具合を見られてしまい、赤っ恥でした、、、
股関節からの採血は想像より痛くありませんでした。
ここからの採血が一番痛くないそうですよ。
術後は胸にドレーンが入ってて、そこから胸に溜まった血や体液をポンプで吸い出します。
それをシュポシュポするのがわりと楽しかった。
ドレーンを抜く時もあんまり痛くなかったです。
とにかく痛いのだけはごめんです。
その後の咽頭ガンの治療とこの前の小腸の検査ではボロクソ痛かったけどね。
術後は毎日腕を上げるリハビリをして一週間で退院しました。
そして術後2年半経ちました。
傷跡はたまに痛いです。
痒いときもあります。
リンパ節生検をした脇の所も時々痛いです。
右の二の腕はまだ痺れてます。
触ったら感覚が変です。
でも日常生活に差し障りはありません。
どうって事ありません。
唾液が出ないのと味覚障害の方が私にとってはどえりゃ~問題です。
うっかりつまみ食いもできません。
前に水が無い時にスーパーで試食を食べてしまって飲み込めずにティッシュに吐き出しました。
水がないとドえらい目にあいますよ。
気をつけましょう。
さて、明日は咽頭ガン仲間と新年会です。
楽しみでござるよ~~
あ~、乳ガンの手術したんやった~、、
って、改めて思った。
お風呂に入っても傷を見る事ってあんまり無い。
そう言えばこのブログでもあんまり乳ガンの事は書いてないしな~。
咽頭ガンの治療が壮絶だったので乳ガンが影をひそめてしまってるけど、乳ガンも怖い病気だよね。
乳ガンが見つかったのは耳鼻科で受けたMRIとCTで、右のおっぱいに影が写っていたから。
念のため検査をする事になった。
その後の検査はここ乳ガン術後一年経ちましたの日記で書いた通りなんやけどね。
「やっぱりガン細胞がでました」
って言われた時は、すでに咽頭ガンも告知されてたから「え?また?」って感じ。
それも浸潤性のガンでじわじわと他に広がっていく種類のガンです、みたいな事を言われた。
あと図に書いて色々と説明してくれはったと思うんやけど、あんまり覚えてない。
その時の図を今見てもよくわからん。
咽頭ガンの治療は抗がん剤と手術と放射線で短くて半年かかるって言われてた。
半年も待ったら乳ガンが転移する可能性があるから先に乳ガンの手術をしましょうって事になった。
でも普通は切った後はおっぱいに放射線をするんだけど、それに費やす時間が私にはない。
術後の治療が何一つできない。
って事は再発の確率も普通よりはUPするって事、やんな??
放射線もホルモン剤もできないので乳腺の主治医も悩んではったけど、とにかくこれからは咽頭の治療に専念して乳ガン術後の治療はそれから考えましょう!って言ってくれました。
ホルモン剤を飲み始めたのは乳ガンの術後7ヶ月目でした。
よく言われているホルモン剤の副作用は私はあんまり感じてないな~。
生理は止まったけど、色々言われてる更年期の症状もでてないしな。
お薬効いてんのやろか、、、って思ってしまう。
私ね、ガンと告知されても病院でも家でも泣かなかったんですよ。
不安やったけど、ガン=死 って言う事はまったく頭になかった。
どんな治療なんか、手術後は痛いんやろか、、ばっかり考えてた。
乳ガンの手術で、最悪の場合は右の乳房全摘しますと言われた時も
手術の後が痛いんちゃうやろか~~って事をずっと考えてた。
とにかく痛みに弱いんです、ワタシ。
付き添ってた母は、
「先生、ちょっとでも広がってたら潔く全部切ってください。な、そうしてもらいや」
って言うねん。
誰のおっぱいやと思てんねん(;^ω^)なぁ。
でも診察室から出て来て、看護師さんから乳ガンのパンフレットを渡されて
「これからは普通のブラジャーも出来ないし、地下の売店で乳ガン用のブラジャーを買って来てね」
って説明を受けてる時にポロポロ涙が出て来た。
何でかわからんけど、やたら悲しかったわ~。
手術の結果はリンパ節にも転移はなく、腫瘍も広がっていなかったので温存手術で傷口は5センチくらいかな~。
ちょっと切った所が凹んでる感じ。
手術が終わってから一晩は回復室で過ごして、次の日の朝病室に戻って来ました。
戻って来た日の夜は激痛で目が覚めました。
やっぱり痛いのはいやや
あ、そうそう。
手術の前の日?やったか、股関節の動脈から血を抜かれたんやけど、ワタシ、「どうせ手術の時はおパンツも脱ぐんやし捨てて帰ろ~」と思って一番ヨレヨレのおパンツを履いてたんですわ。。。
なに?股関節??あ!おパンツ!!
もう後の祭りです、、、
しっかりヨレヨレ具合を見られてしまい、赤っ恥でした、、、
股関節からの採血は想像より痛くありませんでした。
ここからの採血が一番痛くないそうですよ。
術後は胸にドレーンが入ってて、そこから胸に溜まった血や体液をポンプで吸い出します。
それをシュポシュポするのがわりと楽しかった。
ドレーンを抜く時もあんまり痛くなかったです。
とにかく痛いのだけはごめんです。
その後の咽頭ガンの治療とこの前の小腸の検査ではボロクソ痛かったけどね。
術後は毎日腕を上げるリハビリをして一週間で退院しました。
そして術後2年半経ちました。
傷跡はたまに痛いです。
痒いときもあります。
リンパ節生検をした脇の所も時々痛いです。
右の二の腕はまだ痺れてます。
触ったら感覚が変です。
でも日常生活に差し障りはありません。
どうって事ありません。
唾液が出ないのと味覚障害の方が私にとってはどえりゃ~問題です。
うっかりつまみ食いもできません。
前に水が無い時にスーパーで試食を食べてしまって飲み込めずにティッシュに吐き出しました。
水がないとドえらい目にあいますよ。
気をつけましょう。
さて、明日は咽頭ガン仲間と新年会です。
楽しみでござるよ~~
ねこさんが泣かれた部分を読んで、私も泣いてしまいました。
乳癌の治療をしてない私に、こんなわかった風なコメントされ、ご気分を害されたら申し訳ありません。
でも医学が進歩して温存出来ても、傷が残るのは、誰だって嫌です。もちろん痛いことも、無ければそりゃいいです。でも外科医のドクターは切ったり貼ったりが大好き。それで命を助けた、で終わり。『後遺症なんて、そんな物ですよ。』そこに溝がある気がします。
去年の8月に癌が見つかり、告知前に自分で色々調べて、リンパ節郭清手術とか、目にするだけで涙が出てきて、24時間テレビを見て『私、来年は見れないかも?見れても、一緒に歌えないかも?』と言った時に母に『生きてさえいてくれたら、それでいいから!』と言われました。
ねこさんのお母様も、命が助かるなら、とそう仰ったんだと思います。
でもその後、食道癌まで見つかり、また手術の不安でパニックに。
府立の川向こうの病院で、がんユニットチームを作り、などとHPに書いてるくせに、やはり耳鼻科と消化器とは垣根があり、聞きたい事への返答が錯綜して、不安が余計に募りました。
今週胃カメラをして、全く癌の大きさが変わらない、ということで、30日にシミュレーションCTをし、4日に他への転移がないかPETをし、10日から放射線治療に加えまた5ーFUとシスプラチンの間、入院する事に。抗がん剤が終わったら通院です。
しかも『このステージでは80%治ります』え?20%は治らない?
『食道癌は難治性なので、放射線治療後、1ヶ月後から4週間ごと2クール抗がん剤投与します』桜の頃には治療が一段落すると、気を張ってたので、帰って1人ににってから泣きました。
その他、それぞれ色んな方のコメントなどを拝見すると、十人十色、それぞれ治療が終わっても、悩まされる後遺症があり、それと付き合っていかなくてはならないんですよね?
長々と書いてしまって申し訳ありません。そして上手く伝えられない自分が歯がゆいです。
ホントにね、乳ガンって女性にしかわからないし、ドクターは男性が多いし、その辺の溝もありますよね。
私は温存で済みましたが、全摘した人は本当に辛いと思います。
ももさんのお母さんもそりゃあ心配してはるでしょう。
病気は本人より家族の方が心が痛いんですよね。
その気持ちを考えたらなんとしてでも病気を治して元気にならないと!
春まで治療が続くんですね。
80%治るって事を信じて、医者は絶対100%って言わないから、80%は上等なほうだと思います。
放射線で消えると信じてますよ。私は(^_^)
これからまた治療中に辛くなる事とかあったら吐き出しにきてね。
溜めたらあかんよ。
治るって信じてね!
秋のオフ会で元気で会える事を祈ってます。
再建手術も保険で出来ると良いのだけど。
自費診療だから同じ日に再建出来ないらしい?
今は出来るようになったのかな?
髪の毛が抜けただけでショックなのだから、全摘はつらいよね。命と引き換えってことだからと思っても…。
ももさん。中咽頭の治療お疲れ様でした。
泣いても良いんですよ! 私も告知された時は泣きませんでしたが、放射線の最後の日に従姉妹が駆けつけてくれて、その時初めて泣きました。 でも退院してからの方が辛かったですね。
今でもあの孤独感を思い出すと涙がでますよ。
でも、入院中の事は殆ど忘れてきてます。
自分でもビックリするほど忘れてます。
SMAPのさかさまの空がトラウマの曲だったのに、ライブのDVDを観ていて、あれ、この曲たしか?? 入院中のことが蘇らない!
だから、ももさん、いまは辛くて泣いても絶対そんな日が来ますから、ゆっくり前に進みましょう。3歩すすんて2歩さがっても!!
傷ついた細胞を修復するために出来る細胞がガンだからガンは悪いやつじゃないって事を聞いた事あるけど、やっぱ私はガンは良い奴とは思えないよ。
命を削られるんやからねー。
助かったとしてもこんな後遺症が残るんだもん。
世の中から消えて欲しいって思っちゃいます。
さかさまの空のトラウマは消えましたか?
私はまだ関ジャニのクルトン聞くと(+_+; )うう!ってなるわぁ。
まだまだ癒えてないね~~(´;ェ;`)
よれよれ具合いが気になります。
乳癌の事はよく分らないから気の利いたコメントができませんが、2ヶ所の癌を患っていまのねこさんの明るく元気なのは尊敬です!副作用がそんなに無いとの事よかったね!
それも全く違う種類の癌が一度に見つかるなんてね!
でも一度に見つかって良かったと思ってます。
いっぺんに済んだからね。
ヨレヨレのおパンツ、想像しんといてよ~(^ω^)