東野圭吾氏の『容疑者xの献身』を読みました。
以前『博士の愛した数式』が流行った時に、同じ数式物として興味を持っていました。
直木賞も取ったそうですし。
その時、図書館に予約を入れておいたのですが、何十人待ちでw
やっと、今ごろになって順番がまわってきた次第です。
少しネタばれ入るかもしれませんが、分からないように書きます。
中の文章で、「人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。」とあります。
ふと隣を見ると。
小学校1年生になったばかりの息子と、まだ幼稚園でかわいい盛りの娘。
あぁ、なるほどなぁって。
俺にとっては、子供ってそばにいてくれるだけで救ってくれる気がします。
彼らをダシにというわけではありませんが、自分は今まで二つだけ孝行したという自負があります。
一つは、19年前に余命15年と言われた親父に孫を抱かせてあげられたこと。しかも2人w
もう一つは、母方の祖母に曾孫を抱かせてあげられたことです。
父は腎不全で医者にこういわれたのですが、医学の進歩の甲斐あって、いまでも元気でやってます^^
けれども、弟が生まれた年に発症して以来ずっと病気と共に歩んでいる父を見て、孫を抱かせることが私の悲願でした。
今では、一緒に囲碁などもして楽しそうに遊んでいるのを見るにつけ。
あぁ、俺の親孝行は終わった。と思っていますw
母方の祖母は、性格に難のある人でしたが。
それでも私にとっては、幼少時代に共働きの両親にかわって、塾の送り迎えをしてくれたり、学校行事についてきてくれたり、お弁当を作ってくれたりと優しい祖母でした。
あとで聞いたところによると、生活の苦しかったそのころ、私たち兄弟の学費をまかなってくれたのは、ほとんど祖母の援助だったと聞き頭の下がる思いです。
その祖母も、晩年認知症(いわゆる痴呆)になってしまい、私の母とその兄で介護をしていました。
しかし、上記のようにウチにも病人を抱えていたので、祖母を引き取って看護ということはなかなか出来ませんでした。
そんななか、祖母が亡くなる数ヶ月前に2週間だけ引き取って一緒に生活したことがありました。
その時子供たちは、まだ未就学児と赤ちゃんだったのですが。
最初、ボーっとしてなかなか周りに反応できなかった祖母が、子供たちと生活を送る中で目を見張るほど元気になり。
そのうち、まるで子供たちのお姉さんになったかのように子供たちを気にかけ、いっしょに遊ぶようになったのです。
一度など、縁側で遊んでいて落っこちた赤子の娘を、走って助けに駆けつけたりもしていました。
来た時は、歩くことも侭ならなかった祖母が。。。
私にとって、それは奇跡に近いものでした。
子供は宝です。
彼らは、その存在のみで周りを幸せにしつづけています。
いまでも、嫁の母方の曾祖母とおもちゃの刀でチャンバラしたりwして、元気を振り分けています。
そんなことを、この本を読んで考えさせられました。
ちなみに、上記に引用した文章が、容疑者xの献身の動機でした(爆)
以前『博士の愛した数式』が流行った時に、同じ数式物として興味を持っていました。
直木賞も取ったそうですし。
その時、図書館に予約を入れておいたのですが、何十人待ちでw
やっと、今ごろになって順番がまわってきた次第です。
少しネタばれ入るかもしれませんが、分からないように書きます。
中の文章で、「人は時に、健気に生きているだけで、誰かを救っていることがある。」とあります。
ふと隣を見ると。
小学校1年生になったばかりの息子と、まだ幼稚園でかわいい盛りの娘。
あぁ、なるほどなぁって。
俺にとっては、子供ってそばにいてくれるだけで救ってくれる気がします。
彼らをダシにというわけではありませんが、自分は今まで二つだけ孝行したという自負があります。
一つは、19年前に余命15年と言われた親父に孫を抱かせてあげられたこと。しかも2人w
もう一つは、母方の祖母に曾孫を抱かせてあげられたことです。
父は腎不全で医者にこういわれたのですが、医学の進歩の甲斐あって、いまでも元気でやってます^^
けれども、弟が生まれた年に発症して以来ずっと病気と共に歩んでいる父を見て、孫を抱かせることが私の悲願でした。
今では、一緒に囲碁などもして楽しそうに遊んでいるのを見るにつけ。
あぁ、俺の親孝行は終わった。と思っていますw
母方の祖母は、性格に難のある人でしたが。
それでも私にとっては、幼少時代に共働きの両親にかわって、塾の送り迎えをしてくれたり、学校行事についてきてくれたり、お弁当を作ってくれたりと優しい祖母でした。
あとで聞いたところによると、生活の苦しかったそのころ、私たち兄弟の学費をまかなってくれたのは、ほとんど祖母の援助だったと聞き頭の下がる思いです。
その祖母も、晩年認知症(いわゆる痴呆)になってしまい、私の母とその兄で介護をしていました。
しかし、上記のようにウチにも病人を抱えていたので、祖母を引き取って看護ということはなかなか出来ませんでした。
そんななか、祖母が亡くなる数ヶ月前に2週間だけ引き取って一緒に生活したことがありました。
その時子供たちは、まだ未就学児と赤ちゃんだったのですが。
最初、ボーっとしてなかなか周りに反応できなかった祖母が、子供たちと生活を送る中で目を見張るほど元気になり。
そのうち、まるで子供たちのお姉さんになったかのように子供たちを気にかけ、いっしょに遊ぶようになったのです。
一度など、縁側で遊んでいて落っこちた赤子の娘を、走って助けに駆けつけたりもしていました。
来た時は、歩くことも侭ならなかった祖母が。。。
私にとって、それは奇跡に近いものでした。
子供は宝です。
彼らは、その存在のみで周りを幸せにしつづけています。
いまでも、嫁の母方の曾祖母とおもちゃの刀でチャンバラしたりwして、元気を振り分けています。
そんなことを、この本を読んで考えさせられました。
ちなみに、上記に引用した文章が、容疑者xの献身の動機でした(爆)
まだこうのとりさんはうちには訪れず・・・;;
ウチの子も大きくなったので、子守りとか させますぜw