毎日新聞の憂楽帳というコラムに、「
変わるアキバ」という記事が載っている。
メイド喫茶の定着に、「
こんな店の主要なお客さんは、生身の人間より、つくられたキャラクターに恋するタイプの男性だ。」と断言したり、「
「オタク文化」に関係するような産業が、将来の日本を支えるのだろうか。「あるかもしれないな」と思う半面、「なじめない時代がやってきそうだ」と、心配にもなってきた。」と心配したり、いかにも中立面した偏見の塊の書く文章のように見える。いや、社会の木鐸たる大手新聞の記者の方なのだから、ヲタク文化に対する偏見を考慮して書かれているのだろう。
メイド喫茶に関しては私も大変苦手だし、「~にょ」とか「萌え~」とかそういう世界に踏み込めないのも確かなのだが。いや、踏み込む必要も無いのだが。しかし、この書き方には、アキバの住人を得体の知れない別種の生き物として扱うかのような臭いがする。
作られたキャラクターに恋するタイプの男性なんざ、メイド喫茶に頼るまでもなく、キャバクラのおねえちゃんに入れあげるという事例がどこにでも転がっているし、嫁がジュリアナでブイブイ言わせてた事を知りもしない夫も掃いて捨てるほど居るだろう。
所詮男なんてのはバカなので、自分に向けた顔に問題がなければ大して気にならないものではないか。
ヲタク産業に対する偏見を語る前に、何がアキバ系をそこに走らせたかを考えるべきなのかも知れない。
言い換えれば、恋愛適齢期の男性のそれなりの人数が、萌えに走っているということ。(同様に、池袋の
乙女ロードには、適齢期女性が多数走っているが)
恋愛下手などと言う言い方もあるが、昔から恋愛が上手な奴は一握りしかいないものだ。
80年代~90年代、HotdogPressを握り締めてマニュアル通りに恋愛に挑んだ漢たちの屍は山となっていたではないか。
ひょっとして、女性の魅力がなくなってきたのではないか、という気がするのだ。
自らが低水準でも要求だけは高く、内面に目を向けるべきものが無い女性が増えてはいないか。
いや、女性だけを取り上げるべきではなく、男性にしてもそうなのかも知れない。
そういった、根本的な危機から目をそむけてアキバの変貌を憂えたところで、それは懐古趣味でしかない。
マスコミや社会学方面の方々には、表面的なアキバではなく、若者の変化に関してもう少し掘り下げて分析して欲しいものだ。
とりあえず、一介のエンジニアとしては、若い女の子が露出度の高い衣裳で街中をうろうろしてるのは大歓迎だが。