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冥土院日本(MADE IN NIPPON)

梅と泉岳寺 その1

Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net

■高輪 泉岳寺

『風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとか(や)せん』映画や歌舞伎で御馴染みの忠臣蔵、悲運の赤穂浅野家当主「浅野内匠頭長矩(たくみのかみながのり)」の辞世の句です。

春が近いことを感じさせる暖かな陽射しに誘われて、高輪の泉岳寺を訪れたくなってしまいました。赤穂浅野家の菩提寺、泉岳寺には長矩と正室の阿久里(瑶泉院)の墓と大石内蔵介をはじめとする四十七士の墓があります。

泉岳寺境内の桜の枝にはたくさんのつぼみがふくらみはじめていました。桜の季節まではあとわずか。長矩が切腹したのは元禄14年(1701)3月14日。新暦になおすと4月の出来事です。実際には桜の花は散ってしまっていたのかもしれません。最も今ほど地球の温暖化が進んでいなかったとすれば開花時期も遅くなり、話のつじつまが合うのかもしれませんが。

■桜花と日本人

『花は桜樹、人は武士』ともに散り際が美しいことの例えですが、桜の花は日本人の持つ死生観に最も適った花ではあるようです。一説によれば桜の樹は人間の血や肉や骨を肥やしにして美しい花を咲かせるのだとか。多くの戦死者を弔った塚に植えられた桜ほど色鮮やかな花をつけるのだそうです。庭の桜の樹に美しい花を咲かせるために、樹の根元に魚の骨を埋めると良いという話も聞いたこともあります。古より桜の花は人間の死と深い関係にあり、多くの物語を残しています。

■戒名

『忠誠院刃空浄剣居士』と言う戒名は誰のものだかお分かりでしょうか。そう、直ぐに分かった方は大変察しが良い方です。正解は「大石内蔵介」です。戒名と言うのは本来戒律を受けて仏の弟子になる時に授かる名前です。死んで授かる名前と思いがちですが、生存中に授戒して名前をもらう事も可能なのです。しかしながら戒名は日本独特の仏教の習慣でもあり、庶民は別としても、仏弟子の名前と言うよりは生前の業績や名声をを称える意味合いが強いものです。

突然泉岳寺を訪れたくなったもうひとつの理由は、浅野長矩の戒名を知りたかったからなのです。一国の領主に相応しく、境内の数ある墓の中で、一際大きく立派な墓碑には次のように刻まれていました。『冷光院殿前少府朝散太夫吹毛玄利大居士』戒名の院号は今でこそ多額のお布施をすれば、庶民もつけてもらえますが、昔は皇族や高位の公家が授かるものでありました。戦国時代以降一国の領主クラスの武家には「院」と差別するために「院殿」号が授けられるようになりました。

浅野長矩の戒名を我流で読み解くと次のような意味になります。「冷光」性格が冷たいと言う意味ではなく「月光のように冴え渡る光」つまり「クールで明晰な」と言う意味でしょうか。「前少府」とは「前の少府」の意で、内匠寮の長官である内匠頭の官名を表しています。(内匠寮は唐代の官営工房である少府監の模倣と考えられ、別称を「少府」といいます)

次の「朝散太夫」(ちょうさんだいふ)とは中国の唐朝時代の従五位下の雅称です。長矩は延宝八年に従五位下に叙せられています。朝(あした)に散る太夫とも読めて、何故か長矩の生涯にオーバーラップして見事なほどに象徴的です。「吹毛」とは吹き付ける毛を切ってしまう程に良く切れる剣を意味します。「玄利」の「玄」とは微妙で深遠な理、または老荘の道徳における微妙な道の意があります。「利」とは良く切れる(鋭利)という意味です。

長矩は吉良に付け届けをするのを潔しとしなかった程の、潔癖ともいえる正義感溢れた性格だったようです。実弟「浅野大学」も手紙の中で家臣が付け届けをせよと薦めたが、兄は断ってしまったと述べています。玄は天という意味もありますから、本来は「玄理」つまり天の道理をわきまえた清廉潔白な人物というほうがすっきりするのですが、その潔癖さが災いして悲劇を招いたために、あえて「利」の文字を当てたというのは考えすぎでしょうか。

ともあれ、戒名の意味するところは「クールで明晰な頭脳を持ち、良く切れる剣のように鋭く厳しい道徳観の持ち主」と言うような内容になります。戒名を読み解くと、浅野長矩という人物像がよりリアルで身近な存在として感じられてきます。

「続く」

Copyright:(C) 2006 Mr.photon

コメント一覧

フォトン
山県さん
ご訪問とご教授、有難うございます。早速詳細を調べて、文章を修正したいと思います。
山県半蔵
前少府
「前少府」とは内匠頭の唐名です。「朝散太夫」も唐名です。
フォトン
BBさん
コメント有難うございます。BBさんの「竜章鳳姿」というブログタイトルは素敵ですね。江原さんの霊視で「忠臣蔵の真実を探る」なんていうTV特番は面白いかもしれません。

泉岳寺のすぐ傍には大石内蔵介が切腹した細川藩邸の庭が残っています。機会があれば訪れられたら如何でしょうか。

その場に立つと、亡くなった義士達の悲しみや家族への思いが伝わってくるような気がします。
BB
はじめまして。
http://blog.goo.ne.jp/brigitte-bardot/
先日はトラックバックをありがとうございました。

こちらのブログはスピリチュアルなことを大切にされている様で、大変興味深く拝読させて頂きました。江原啓之さんの本、番組等もよく見ています。

大石さま、四十七士は江原さん的にどうなんでしょうね(笑)

泉岳寺も靖国神社の桜ももうすぐです。

楽しみにしています。

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