冥土院日本(MADE IN NIPPON)

托鉢僧

今日、銀座の街角で托鉢僧を見かけた。ふと、幼い頃の思い出が蘇った。当時私の家は国道沿いにあった。近所にはお寺や札所が多く、托鉢僧や虚無僧、修験者にお遍路さんまで実に多くの人々が玄関の前に立った。裕福な家ではなかったが、母は必ず喜捨を行い、時間に余裕がある時は湯茶を勧めてねぎらった。托鉢僧の唱える経文、虚無僧の尺八の音色、修験者が吹き鳴らすほら貝の音、お遍路さんの鳴らす鐘の音が、今でもはっきりと耳の奥に残っている。

母は私が幼児の頃から、私を連れて方々のお寺を巡った。母が滝行を行う時は私一人が本堂に残されたが、それが夜であっても怖いと感じた事はなかった。成人してから、私を連れて寺巡りをした理由を母に聞いたことがあった。母は次の様に答えた。それは私がまだ母のお腹の中にいたころの事であった。ある日一人の老僧が家を訪れた。母はいつもと同じように喜捨を行い、お茶を勧めたそうだ。するとその老僧が母のお腹を見て、次のように言われたそうである。『お腹の中のお子さんは男の子ですよ。お子さんは親思いだが、成人前に家を出てしまうので、貴女とずっと一緒に暮らすことは出来ない。神仏に縁の深いお子さんだから大事に育てなさい。』

私は今でこそ健康そのものだが、幼い頃は身体が弱かった。そんな私を心配して、健康になるよう願をかけて、お寺巡りをしたそうである。私は高校卒業後、進学のために故郷を離れた。以来母と共に暮らす事はなかった。昨日はお彼岸だったが、「今年も墓参りが出来ずに申し訳ない」と仏壇に手を合わせたばかりであった。

私は托鉢僧に喜捨をしようと思った。最近偽者の托鉢僧がいるという噂も聞いていたが、本来は仏様に喜捨を行うのであるから、真贋はどうでも良い事であった。喜捨を終えた私に托鉢僧は深々と礼をした。その場を立ち去る私の背に、すっかり秋めいた風に乗って、澄んだ音色の鐘の音が鳴り響いていた。

コメント一覧

托鉢僧
おそらく私本人かと。
初めまして。
おそらくこの銀座の托鉢僧とは、もし時計台前の花壇
の所で行をしていたなら私でしょう。

親子の情は何物にも代えがたい永遠の財産。
母はほとんど無宗教みたいな感じでしたが、私の出家
得度は本当応援してくれました。
選挙の不在者投票除いて、私も全然家に戻っていませ
んがいずれ、旨い物でも土産に持って行こうかと
考えます。
フォトン
碧波さん
お待たせしました。(笑)
何故か、体力。気力共に、未だに絶不調です。

母親の愛情は有難いものですね。この世で最も無条件の愛に近いものが母の愛といいます。それに比べて父親の愛はどうも分が悪い。(笑)
男は損だな・・・・
碧波
秋の風
更新をお待ちしておりました(笑)
秋の風が吹きぬけていく、不思議さの中に爽やかさのあるお話だと思います。
托鉢僧がうちに回ってきたことはありませんが、うちには神棚があります。仏壇はありません。その神棚は、私が家を出て以後新築したということもありますが、子供たち(姉と私)の無事を願って母が備えたものです。

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