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冥土院日本(MADE IN NIPPON)

日の丸を国旗にした国

前回の続きです。


冒頭の国旗はどこの国の国旗かご存知だろうか。実はパラオ共和国の国旗である。1994年にアメリカの信託統治から独立した際に、一般公募で決定した国旗である。国旗は日の丸を参考とし、海をイメージした青地に月というデザインを採用している。日本の国旗に敬意をはらい、中央の月は真ん中から少し横へとずらしてある。

パラオは太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる総面積458平方キロ、総人口2万人の小国である。美しい海に囲まれた島々はスキューバ好きな方なら良くご存知であろう。

パラオは1885年にスペイン植民地となり、1889年にドイツに売却された。第一次大戦終了後は日本の委託統治となり、日本の統治は第二次世界大戦終了まで続いた。最盛時には日本人の移住は2万5千人にも達し、首都をはじめとしてインフラの整備や、初等教育の徹底、産業の振興などが行われた。現在でもパラオ国民は姓名ともに日本風の名前を名乗る人が多いが、これは強制的な創氏改名ではなかった。島の近代化を指導する勤勉で真面目な日本人に感化を受け、島民自らが尊敬する日本人の名前を名乗った名残りである。

侵略と略奪が得意であった白人国家とは違い、自ら汗して島民と共に働く日本人達に、パラオの人々は親近感と尊敬の念を抱いたという。第二次大戦下ではパラオ諸島は太平洋の重要な戦略拠点として、日米間で激烈な戦火が交えられた。ペリリュー島の戦いでは島民たちが自ら、アメリカと戦うことを志願したそうであるが、日本軍の守備隊長は島民たちの申し出を拒絶した。日本軍はアメリカ軍の厳しい監視の目をかいくぐり、乏しい艦船を工面して戦闘開始前に島民全員をパラオ本島に移送した。日本軍守備隊はアメリカ軍との壮絶な戦いの末に全員玉砕をしたが、現地の民間人には一人の死傷者も出なかったという稀有な戦いとして知られている。

第二次大戦後パラオはアメリカの信託統治下に置かれ、英語による教育と、島に根付いた日本文化の徹底した排除が行われたが、政情や風紀が乱れ、日本の統治時代を懐かしむ人々が多かったという。こうして1994年に独立を果たすのであるが、その折パラオ国民が独立の手本とした国は日本であったという。以来、パラオ共和国は世界でも一、二の親日国家であり、両国の友好関係は今でも続いている。


我々の父や祖父、曽祖父の世代が海外で何をしてきたか。下記のパラオに関するHPをご覧になっていただきたい。

●名越二荒之助著、展転社刊、
「世界に生きる日本の心」よりペリリュー島のサクラと神社
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/nagoshi/palau.htm

●日出づる処のニゥス
http://gomushi.at.infoseek.co.jp/world/palau/003.html

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