なんだか、今日はBingのサーバーの調子が悪いようなので、ぜんぜん関係ないこと書きますね。
娘も進級して、今年から担任の先生が変わるようです。
うちの娘は発達障害なので,理解のある先生に出会えればいいのですが。
私の小中学生の頃は、教師にコンプライアンスはそれほど求められておらず、男女ともに日常的に教師に暴力を振るわれていました。往年の星野監督のような鉄拳制裁です。
女性教師もヒステリックで、気分屋が多く、反抗的だった私は一日に何回も往復ビンタを食らっていました。本当に最悪でした。
小学4年の頃、あまり性格の良くない女教師が産休でしばらく休みを取りました。
代わりに来たのがK先生という方で、当時もう70歳近い、色黒い゛眼鏡をかけた、見た目はもうおばあちゃんといった感じの先生でした。
もうすでに一回退職なさってたようですが、頼み込まれて、一時復職なされたようです。
おばあちゃん先生は、意外なことに年の割に元気いっぱいで、体育の授業も普通にこなしていました。
今考えれば、ご本人は相当にきつかったように思います。
クラスの同級生たちも口には出さないけど、内心、このおばあちゃん先生を馬鹿にしていたようです。
当時、劣等生だったわたしですが、唯一、作文だけは得意でした。
あまりに大人じみた文章を書くため、正式な担任の女教師は、はなから盗作だろう、と決めつけていました。赤いペンで、人のまねして書いてはいけません、と書かれたこともありました。
だけど、K先生だけは僕の唯一の才能(?)を認めてくれました。
「きみ、すごいね。将来は新聞記者か小説家になれるよ」
作文を提出すると、K先生は小さい顔をくしゃくしゃにして喜んでくれました。
ひねくれものの私、内心はすっごくうれしかったけど、K先生の前では努めて感情を表しませんでし
た。本当にふざけた生徒だったと思います。
やがて担任の産休が終えて、K先生は静かに学級から去っていきました。
わたしは内心ずっとK先生でいいのに・・と思っていました。
地獄のような学校生活がまた始まったある日の事、K先生から手紙が届きました。
青いインクで書かれた手紙には、学校での思い出や、僕の将来の事、いろいろ書き綴られてありました。
「将来、その才能を生かせる仕事が見つかるように祈っています」
わたしは少し涙が出ました。
馬鹿な私は返事も書かないままでした。
その後、中学に進学したものの、私は見事に落ちこぼれ、父親も急逝してしまいました。
中学はそれまで以上の「超暴力教師」が揃っていて、まさに地獄でした。
気分次第で机の上に、思いっきり頭を打ち付けられ、脳震盪を起こすこともありました。不思議な事に
そんな教師は世間的には模範的な教師として、評価される時代だったのです。
もう少し、のびのびと自由に学校生活を過ごせたら、私の人生ももっとまともなものになったかもしれません。
私の人生の中で教師と言えるのはK先生だけでした。
もう40年も前の話。K先生も、もうこの世にはおられないと思います。
わたしは現在、底辺と呼ばれる仕事黙々とこなして、そりなりに充実した日々を過ごしています。
K先生の期待には応えられなかったけど、それでもいいと思っています。
教師なんてクソばかりだけど、そうじゃない先生もいるよ。
そう娘には伝えておきます。
以上、駄文で失礼しました。