5月末で会社が倒産しました。
本来の予定であれば6月第一週までは上海に残り、残務整理や掃除や名残を惜しんでから帰国する予定でした。
ところが、最終日の夜、社員から
「いますぐ上海を出たほうがいい。サプライヤーに捕まるかもしれない!」
との連絡。最終日に社員への通達の重責が終わり、焼き鳥とビールで一人飲みしていた夜9時でした。
もうそれからのことはジェットコースターのようにめまぐるしく、
慌ててカバンに荷物を詰め、洗濯物も洗い物もそのまま、で部屋を飛び出したのです。
社員のボーイフレンドがパスポートでホテルに泊まると警察がすぐわかってしまう、といってパスポート無しで泊まれるホテルを車で探してくれました。
その頃には、ほとんど自分が犯罪逃亡者の気分になっており。。。。
もう、翌朝の飛行機に乗るしかないと、ホテルから翌朝9時のデルタ便を予約。
夜中の中国銀行に行ってお金を全部下ろそうと思ったら2万元が上限。などなど、バタバタとしながらほとんど寝るまもなく浦東空港へ。
イミグレーションはほんとにヒヤヒヤしましたが無事通過。
8時に搭乗して安心しきって熟睡したのです。
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周囲の騒ぎに目が覚めたのが11時。
飛行機はまだ浦東空港に。
「この飛行機、壊れてて飛べないから、みんな降りてください。別便になるのでチェックインのやり直ししてください。」
と言われ、命がけ(おおげさ)で通過してきたイミグレーションを逆走して「出国キャンセル」のスタンプを押された時は目の前が真っ暗に。
その日の夜、再度出国するも、またもやキャンセルで、またもや中国に逆戻り。
エアポートホテルに泊まらさせれパスポート出した時は「昨日のあれは何だったんだ???」と、
すでに投げやりで缶ビールを4本飲んで寝たのでした。
翌朝無事3度めの出国を果たして帰国できたわけですけどね。
上海の7年間は仕事では辛いことばかり、金払えという外注工場に軟禁されたこともあるし、○○は○○だし、○○は○○だし、○○は○○だし、、、言い出すときりがないけど。
でも、一人暮らしの生活で辛いことは何もなかったのです。一人暮らしほど○○いことはないですよね。
最後に今まで住んできた場所、歩いていた場所を訪ねてゆっくりサヨナラを言いたかったのですが、それが出来なかったのが心残りです。
そして、焼き鳥の串まで出しっぱなしでそのままにしてしまった部屋。大家さんすみません。
日本に戻ったら当時小学生だった娘が大学生になっていました。
わたしは、まだ14年も働かなければなりません。
さあ、気持ちを切り替えないと。
というわけで、長い間ご愛読いただいた皆様、ありがとうございます。
これにて終了です。