テイオウゼミ

タイトルはセミの名前ですが内容は
住吉大社初辰まいりのことや
広島と大阪2拠点生活のことが多いです

親の死後の親戚付き合い

2023年12月06日 | 日記

両親が亡くなった後の
親戚付き合いを
最近よく考えるのは
クリスマスの時を
思い出すからかな?

実家はスーパーの
サティの中で
お惣菜屋さんを
営んでいました。

名前は洋風の
デリカテッセン〜と
ついてましたが
洋惣菜売っていました。

田舎だから商売は
持ちつ持たれずで
お商売している家は
お互いに購入し合うから
やっていけてました。

クリスマスには
鶏のもも焼き・丸焼き
七面鳥の丸焼きも
売っていて結婚後も
手伝いに行ってました。

クリスマスや年末は
母の弟(叔父)が
お店を手伝うと言って
頼んでもいないのに
やってきて居座る。

販売は従業員1人に
バイトが3人も居るし
裏方に私もいて
邪魔なのに
昼前から来て
食事を食べさせて
夕方忙しくなる4時に
帰ってもらって
鶏のもも焼きと
バイト代を持たせる母、
たかられてる…

前日から仕込みで
仮眠しかしてないのに
人が稼いだお金を
横取りする叔父を見て
軽蔑してました。

もらいに来る親戚は
他にも居ましたが・・・

母って誰に
良く思われたいの?と
思っておりました。

母は親戚たちに
入学祝いだの初節句だの
渡していたけど
こちらは貰ってない。

どうしてなの?
と母に聞くと
“わざわざ訪ねてきて
今度、高校生だとか
言ってこられるのよ。

聞いて知っているのに
お祝いしないって
言われるの嫌だし
仕方ないじゃない”

催促されてたとは・・・

お金ある方が出せば?
それを当たり前に
されるのはご勘弁を。

そんな人に自分は
ならないでおこうと
反面教師にしました。

そんな親戚の中、
伯父さん家だけは
何も言わずとも
もう中学生だね、
高校生だねと
息子のお祝い事は
全てしてくれました。


伯父さんの娘で
イタリアのイトコも
日本に来たとき、
母の仏前にお供えを
してくれました。

伯父と叔父では
大違いです

伯父への恩返しは
イタリアのイトコにと
思っています。

4年前に試みて
できなかった挑戦、
一人で自力で
彼女の住む町に行くを
もう一度しようと
思っています。



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