こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。
今回は前回の続きです。
さらに信濃の国を流れる千曲川の上田市付近には信濃国分寺・国文尼寺があった。国分寺と国衙(こくが)(国司が地方政務を行った役所)は密接な関係にあり、国司が国分寺の造営の管理をしていたので信濃国分寺の近くには国衙(七世紀後半造)があったことになる。この信濃国分寺近くの千曲川の畔には河原があり、その辺り(上田市から千曲市)がこの歌の舞台になっているところだと思う。歌のなかの「君」はかなりの身分の高いお方と思われると同時に歌はよみ人しらずであるが、歌の作者も身分が比較的高い女性で国衙や国分寺に関係の深い人物である可能性が非常に高いと考えられる。国分寺は七四一年(天平十三年)に聖武天皇が仏教での国家鎮護のため全国に建立を命じたが、多くの国では建立がされなかったため七四七年、国分寺の造営督促の詔により建立を推進させた。しかし、信濃の国の場合、国衙は後に筑摩地方へ移転したとされている。
これらを考えてみると玉の呪術性のことが関係してくるとも思うので国分寺の建立年代を考慮して、この歌が謡わられた年代についてはおそらく七五〇年代頃のことと思われる。
この恋歌についてはよみ人しらずでも集団の歌とはいえないように思う。というのも作者は比較的身分の高い方を推定でき、その場合はほとんどが作者名を記されているが、たまたまこの恋歌については何らかの理由でよみ人しらずとされているだけで歌に流れている感情は恋するものの孤独感が強く滲みでている。恋する者の気持ちはだれでも変わりなく、歌にしたときはその喩えが異なるだけである。
このような純粋な歌を万葉集でみることができることはいろいろな想いを掻き立てさせられる。純粋なゆえにこの歌には微笑みを投げかけたい。今の時代なら純粋病と一言で片づけられてしまうかも判らないが、わたしは作者の純粋な気持ちの向こうに美しくも透明な風景を観るのである。それは水の風景に似ている。 (終わり。)
*歌番号については『万葉集』日本古典文学大系 岩波書店を参考に付した。