高見沢隆の詩的ライフ

軽井沢の木陰に吹く風のように、高原の空を渡る白い雲のようにワタクシの詩的な生活を綴ります。

『明治期、日本の避暑地』からいま一つはっきりしなかったこと

2024-12-29 11:24:43 | 軽井沢 
 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。
 小著『明治期、日本の避暑地』(龍鳳書房)の発刊から約半年ほど経ちました。そのなかで今一つはっきりしなかった事項について考えてきました。

 「Gleanings From Japan」 Walter G. Dickson ( William Blackwood and Sons) 1889年のなかでは「山の湯」というものがでてきましたが、これについては資料が乏しくはっきりしたことが判らなかったのですが、最近、書斎を整理していましら『日本に於ける集落の高距限度』小牧實繁著(地理論集別冊)昭和七年という冊子が見つかり、そこから山の湯が鹿沢温泉のことを指しているということが判りました。

 この冊子は過去にどこかの古書店から購入したものと思いますが。本はスペースが許せば、できるだけ取って置いた方がよいと思いました。どこかで必ず役に立つと思います。過去に二回ほど本を整理したましたが、いま考えれば惜しいことをしたと反省しております。

 今年ももう過ぎ去ろうとしています。みなさま、よいお歳をお迎えください。

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ケガをしてしまいました。

2024-11-28 14:41:18 | 日記
 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。
紅葉も終わり、すっかり早冬といったところです。
寒いから炬燵を出し、ファンヒーターを出しています。
軽井沢はこれからとても寒くなりますので辛いです。

 寒くなる折に廊下で転倒してしまい、ケガをしてしまいました。本当に一瞬のことでしたので自分がどんなふうに転倒したかは判りません。
転んでケガをする歳ではまだありませんが、運悪く、治るまで50日かかると医者から言われました。
 いまは何とかPSに向かっています。原稿も進ませなければならないときに何ということでしょうか。(絶対に間に合わせます。)

 今度は万葉の歌について碓氷にまつわるものを書いております。4-5頁くらいになると思いますが、活字になるのが楽しみです。

 12月も近いので、皆さま、お体を大切になさってください。


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昭和レトロの家を自分でリホームします。

2024-10-10 20:11:53 | 日記

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

 今日はわたくしの家のリホームについてです。

本当に昭和レトロそのものの家をできるだけ自分でリホームしようと思い、苦戦しております。

 まずはペンキ塗り、雨戸から家の壁など自分でペイントしました。しかし、なんとムラができてしまい難しいこと。良く塗ったと思っても色が均一にならず、どうしても濃淡ができてしまいます。これはどうしても直すことができませんでした。でも塗ってあればいいかな?

次にドアです。

 レトロですから昔のVレールが使われていて、これを探し出すのが一苦労でした。

近くのホームセンターなどで探しましたがありません。ほとんどのところで探しましたが、ありません。最終的に町の古くからある金物店と言ってよいかどうか?そこに数点ありました。店主いわく、30年くらいも前のもだからこれをいまでも使っているのが奇跡的だと。

ありがたく数本、求めました。

これでドアを4本、直しました、

 昔からの店には思いもよらないものがあります。

このようなお店がいつまでも続いていただきたいと思っております。

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キーリングの日本案内書

2024-09-26 22:28:12 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

 明治十四年にはアーネスト・サトウ卿の『中部・北部日本旅行案内』が発行されていて多くの外国人はこれを参考にしています。ショー司祭についてもこれを参考にして軽井沢高原を訪れたことが考えられます。A・C・ショー司祭がこれを参考にしていたことは、いままで日本についての参考になる書籍がなく、外国人は待ちに待ったものでした。これは多くの外国人の日本旅行のときの頼りになるテキストとなりました。

 これに先駆け、キーリング(Wallace Edward Lloyd Keeling)の「Tourists Guide」が前年に出版されています。キーリングは英国の英学教師で御雇外国人として明治六年に来日しました。福沢諭吉にショー司祭とともに私雇の外国人として雇われました。この「Tourists Guide」より『中部・北部日本旅行案内』のほうが読まれたのは、キーリングのものより広く詳しく日本の紹介がされていたためです。明治二三年の第四版、「Keeling's Guide to Japan」ではより広く日本を紹介していますが、サトウ卿の日本案内が詳しく紹介しています。むしろキーリングの日本案内書はサトウ卿の日本案内書から多くを参考にしています。

 キーリングも福沢諭吉に御雇外国人として雇われていましたが、それにしても福沢諭吉は巨きな日本の知識の集積地だったことが判ります。

 

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軽井沢の別荘の第一号

2024-09-26 20:06:14 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

 明治時代別荘(サマーコテイジ)は当時、使われなくなった旅籠などの建物を再利用しています。その建物がどのくらいあるか、なた、使用していない土地がどれくらいあるかで別荘の建築数が異なってくるでしょう。

 A・C・ショー司祭が旧軽井沢の大塚山に建物を建てたのは大かたの説では明治二十一年ですが、これに誤りはないと思います。しかし、軽井沢別荘第一号ということになるとショー司祭家族が使われなくなった家を手に入れ夏を過ごした明治十八・十九年説と大塚山に新たに家を建てた明治二十一年という説があります。これについては夏を過ごすという生活形態ができた年とするか建物を移築して新たにコテージを建て完成した年、いわゆる物理的に捉えるかであります。わたしはどちらとしても誤りではないと思います。

 日光の別荘建築についても軽井沢のそれと大きく変わりません。

 当時の日本で外国人が別荘を持つには日本人名義にしなければならず、たいへんな苦労があったのです。

 軽井沢は箱根や日光と比べ、外国人向けホテルより外国人の別荘のほうが比較的に早い時期にできていました。これの意味するところは軽井沢は他の避暑地よりきわめて保守的であったということが言えると思います。

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