高見沢隆の詩的ライフ

軽井沢の木陰に吹く風のように、高原の空を渡る白い雲のようにワタクシの詩的な生活を綴ります。

キーリングの日本案内書

2024-09-26 22:28:12 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

 明治十四年にはアーネスト・サトウ卿の『中部・北部日本旅行案内』が発行されていて多くの外国人はこれを参考にしています。ショー司祭についてもこれを参考にして軽井沢高原を訪れたことが考えられます。A・C・ショー司祭がこれを参考にしていたことは、いままで日本についての参考になる書籍がなく、外国人は待ちに待ったものでした。これは多くの外国人の日本旅行のときの頼りになるテキストとなりました。

 これに先駆け、キーリング(Wallace Edward Lloyd Keeling)の「Tourists Guide」が前年に出版されています。キーリングは英国の英学教師で御雇外国人として明治六年に来日しました。福沢諭吉にショー司祭とともに私雇の外国人として雇われました。この「Tourists Guide」より『中部・北部日本旅行案内』のほうが読まれたのは、キーリングのものより広く詳しく日本の紹介がされていたためです。明治二三年の第四版、「Keeling's Guide to Japan」ではより広く日本を紹介していますが、サトウ卿の日本案内が詳しく紹介しています。むしろキーリングの日本案内書はサトウ卿の日本案内書から多くを参考にしています。

 キーリングも福沢諭吉に御雇外国人として雇われていましたが、それにしても福沢諭吉は巨きな日本の知識の集積地だったことが判ります。

 

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軽井沢の別荘の第一号

2024-09-26 20:06:14 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

 明治時代別荘(サマーコテイジ)は当時、使われなくなった旅籠などの建物を再利用しています。その建物がどのくらいあるか、なた、使用していない土地がどれくらいあるかで別荘の建築数が異なってくるでしょう。

 A・C・ショー司祭が旧軽井沢の大塚山に建物を建てたのは大かたの説では明治二十一年ですが、これに誤りはないと思います。しかし、軽井沢別荘第一号ということになるとショー司祭家族が使われなくなった家を手に入れ夏を過ごした明治十八・十九年説と大塚山に新たに家を建てた明治二十一年という説があります。これについては夏を過ごすという生活形態ができた年とするか建物を移築して新たにコテージを建て完成した年、いわゆる物理的に捉えるかであります。わたしはどちらとしても誤りではないと思います。

 日光の別荘建築についても軽井沢のそれと大きく変わりません。

 当時の日本で外国人が別荘を持つには日本人名義にしなければならず、たいへんな苦労があったのです。

 軽井沢は箱根や日光と比べ、外国人向けホテルより外国人の別荘のほうが比較的に早い時期にできていました。これの意味するところは軽井沢は他の避暑地よりきわめて保守的であったということが言えると思います。

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お墓参りに行ってきました

2024-09-22 19:20:56 | 日記

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

彼岸に入り、お墓参りに行ってきました。わたくしの先祖は南佐久にある自成寺という江戸時代から続くお寺におります。

そこがわたくしの魂の故郷ということになります。

雨の上がった午後にお寺に着き、お参りを済ませました。

なかなか忙しいので行ける時間を見つけるのもたいへんですが、これは現生に生きているものの努めと思っております。

お彼岸の連休ですので東京など遠くからお見えになる方も多いようです。

 ここに接する道を山を越えてゆくと秩父に行きます。

秩父までは交通標識が八十数キロとあります。遠いです。

途中、休憩できるところがあるかどうか判りませんが、一度は山を越えて行ってみたいと思っています。

先日、伺った三峰神社に残る日本オオカミの伝説的な話にも興味が湧きます。

神的な物語はわたくしたちの心の奥底に舞い降りてくるように思います。

 

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明治十九年、軽井沢の避暑地は始まった

2024-09-17 19:33:33 | 軽井沢 

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

軽井沢の避暑地明治十九年に始まったと前に書きましたが、それは次の新聞記事によります。

「外国人の避暑 本年は外国人の碓氷峠近辺の社寺又は農家を借受けて暑を避くる者甚だ多く是は 伊香保温泉最寄の過日コレラ患者のありしの因るならんといふ」

 これは明治十九年八月五日の朝野新聞の記事ですが、新聞記事ですから、それは客観性があるということです。この記事は朝野新聞という当時でも民権運動から出てきたもので信用性は高いものです。朝野新聞は明治7年に創刊され、北島成柳により運営されました。記者は犬養毅や尾崎行雄などが在籍していました。

わたくしはA・C・ショー明治十五年に軽井沢に初めて訪れたと記していますが、これも新聞記事からです。

新聞記事は客観性があるので、どんな時代でも真実を伝えています。

 つまり明治十九年はコレラにより峠町から軽井沢の避暑地は始まり、A・C・ショーもすでに軽井沢に滞在していたのです。

詳しくは小著「明治期、日本の避暑地」(龍鳳書房)をご一読ください。

 新聞記事を否定することはできません。それは客観的に、公平に記事はすべての人々に提供されているからです。

 一地域の歴史ですが、先人の記事に従い、これから未来に向かっていくことは大切なことと思います。

 これからの子供たちのためにも!

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三峰神社に行ってきました

2024-09-16 19:01:43 | 日記

 こんにちは。高見沢隆の詩的ライフです。

昨日、秩父にある」三峯神社に行ってきました。

長瀞を通り、神社へと坂道を登り始めましたが、連休の中日でした。

車がいやに多い。途中まで快適に登りました。ところが途中、車が渋滞にハマってしまいました。

動いても10分に数十メートル、なんと神社本殿まで2時間30分かかりました。

わたくしはいままであまり渋滞は経験していません。まるで夏の軽井沢みたいでした。

 でも、その分、着いたらとてもうれしかったです。

神さま、龍神さまのエネルギーをたくさんいただいてきたと思います。

渋滞も忘れて、ありがとうございました。

 帰りはガソリンを秩父市内で補給して、激しい雨のなかを無事に帰ってきました。

ガソリン価格は1リットル店頭価格157円!

羨ましい。軽井沢は1リットルあたり182円です。

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