今日は朝から雨が降っていて‥そんなに寒くもなく‥これで冬も終わりかな‥と思っていたら‥こんな事を思い出しました。
それは長女がまだ幼い頃、ある日曜日の朝‥雨が降っているので‥縁側にいた長女へ‥私:「〇〇ちゃん、今日は雨が降ってるから外で遊べないね〜」 長女:「傘差せばいいにか〜♪」 私:「そっ‥だね~」(目からうろこ状態)
視点を変えるとは正にこの事でした。
ちなみに‥下の絵はどんな風に見えますか?
やっぱり貴婦人?‥それとも‥視点を変えて‥
人生では‥いろんな場面で視点を変えることが、自分自身や他人からも求められます。『人間万事塞翁(さいおう)が馬』というように‥話は長くなりますが‥これは、中国の古典『淮南子(えなんじ)』に書かれた「塞翁」の逸話ですが‥「塞翁」とは砦(とりで)に住むおじいさんという意味で‥その話とは‥昔、砦に一人のおじいさんが住んでいて‥そのおじいさんの馬が行方不明になり‥周りの人はおじいさんに同情しましたが‥おじいさんは落ち込んでいる風でもなく‥ しばらくすると、その馬が大勢の仲間の馬を連れて戻ってきました。しかし、おじいさんは喜んでいる感じでもなく‥すると、おじいさんの息子が落馬して足を骨折してしまいます。周りの人は同情しますが、おじいさんはそんなに気にしません。 やがて戦争が起こり、多くの若者たちは戦死してしまいましたが‥おじいさんの息子は足を骨折していたために戦場に出ることはなく、命拾いしたという話‥ このように何が幸福につながり、何が不幸につながるかなど、誰にもわからないという話です。
半世紀以上も生かして頂いている自分が言えるのは‥人生にはいろんな出来事(その時は幸不幸、辛い,楽しいと思える事)が、いっぺんにでは無く、ほどよく無理なく順番通りに現れるものだったと言えます。なぜなら‥自分があの世にいる時、神様にお願いして‥もしこの世に自分が生まれたら‥少しの幸せと多くの困難を自分に与えてください‥多くを経験し、それを乗り越えて自分の霊的借金を返し、願わくば徳を重ね‥今の魂のレベルを上げて‥もっと自由になり‥いつか必ず、神様と一つになります‥などと神様と自分自身に誓って、この世にやっと生まれてきたと思うからです。
そして視点を変えるとは‥それは水の流れ‥魂‥人生の生き方と同じようにも思えます。山から海へと‥勾配に任せて流れていく水の流れは‥途中に岩や木があり、否が応でも曲がらなければ流れることはできない‥それは自分が自ら変化して‥その流れに合わせて生きること。このことは,様々に変化していく人生に‥いろんな視点を変えて‥より良く行動し、乗り越えて生きていく事と同じだな‥と思います。
ご存じ、ピカソの『泣く女』
視点を変えることで、いろんな泣いている女性が一枚の絵に現れて見えます。
今日も一日、いろんな視点から多くの感謝の中で…ありがとうございます。
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