相変わらず、漱石明治32年1月の旅の話です。 1月5日、漱石と奥太一郎は、耶馬溪の守実(もりざね)を発ち峠を越えて豊後日田に向かいます。守実の日田往還中津街道の標識です。↓ そのときの句に
明治32(1899)年1月、漱石の旅の一コマです。 漱石第五高等学校教職時代、同僚の奥太一郎と...