お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

話を「聞くこと」と「話させること」は大違い

2025-03-14 05:12:23 | 日記
話を「聞くこと」と「話させること」は大違い
 
人と話している時には、なるべく相手の話をよく「聞くこと」を心掛ける人。
一方、相手の話を促すような「話させること」を意識する人。
どちらかで相手の自分に対する印象は全く違うものとなります。
初対面でも相手から質問責めに会う場合があるが、なぜか不信感を抱いてしまう。
ふと思うと、その逆もあったりする。
人と話をする時は目的に沿った相手の話をよく聞くことで、考え方や価値観などを自分なりに読み取るように心掛ける。
そして相手も自分の話を真剣に聞いてくれる人は好感を持ち信用するようになります。
一方、「話させること」は、自分主導で相手の話を引き出す、相手は戸惑い自分に対して不信感を持つようになります。
どちらも、お互いに相手の意見を尊重して、否定や批判をしないことは云うまでもない。
しかし、人間は感情の生き物であり、相手の印象によって、先入観を抱くのは仕方がありません。
だから人と(特に初対面に場合)話をする時は冷静に、相手の話をよく「聞くこと」を心掛けて接することが大切なのです。

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過去に拘らないで今を生きる

2025-03-13 04:22:26 | 日記
過去に拘らないで今を生きる
 
過ぎたことは過ぎたこと、こぼれた水を嘆いても仕方がない。
失ったものは失ったものとして認め、そのうえでできるだけ納得できる生き方をすればいい。
僕はあまり過去に拘らないというか過去をあまり引きずらないで、自分では生きてきたつもりだ。
それは歳を重ねてきた今も変わってはいないようだ。
どんなに疲れてもどんなに行く手を塞がれても人生を降りるわけにはいかない。
それなら心の持ち方ひとつで周囲の景色が違って見える生き方を選んだ方が楽で楽しめると思う。
過去を後悔するより今の事を考えて生きる。
人生は一瞬一瞬の連続です。
苦しいこともやがて必ず和らぐはず、そう信じて生きてきたし、これからも信じて今をマイペースで生きていきたいと思っている。

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孤独耐性力で同調圧力を撥ね退ける

2025-03-12 05:40:51 | 日記
孤独耐性力で同調圧力を撥ね退ける
 
日本には諸外国にはあまり見られない特性の一つに「群れる」という習慣があります。
「日本人は群れる」ということに定評があります。
それは日本独特の同調圧力が、もたらしたと言われています。
典型的な群れである政党の派閥は、同調圧力で異なる見解を許さない。
子供であっても皆と同じようにしていないと、仲間外れになったり異端児扱いされたりするので、親も同調することを勧める。
目立たず、同じことをする行動特性が、独特の価値観を生み出してきた。
では、何故日本人は群れるようになったのだろう?。
それは同質を求める教育制度にあり、多感な幼少期における長い集団生活の中で、同調圧力によって群れる習慣が染み込んでしまったようです。
これは機会平等ではなく、見た目平等なだけで、個性を伸ばすどころか潰してしまうことになります。
では同調圧力に負けないためには、孤独を好み、孤独に強い、所謂「孤独耐性力」を身に付けることが大切です。
そして個性を認め伸ばす教育方針の改革と、集団主義的な「群れ」から、個人主義的な「個人」へ勇気と自信を持って脱出することが容易になることです。
「孤独耐性力」を個人一人一人が身に付けて、その上で時として「個人の集合体」として群れることは問題ありません。
ただし、そこには同調圧力は存在しないのです。

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現代社会での「自由」とは選択

2025-03-11 04:05:20 | 日記
現代社会での「自由」とは選択
 
「人間的欲望の本質は自由である」と言ったのは、ドイツの哲学者のヘーゲル。
ただ本能のまま生きている動物とは違って、人間は必ず「自由」に生きたいと思って行動している。
人類の歴史はその自由を求める戦いの歴史そのものです。
しかし、現代をとりわけ先進国に生きる我々にとって「自由」の価値はその本質を失ってしまったようです。
つまり、現代の我々は過剰な「自由」の中で、むしろ酷く「不自由」を感じてしまうことがあります。
また、過酷な「自由」競争の中で我々は、しばしば惨めな思いを抱かされてしまうこともあります。
「自由」の名のもとに熾烈な競争を続けてきた結果、今や深刻な格差社会に至ってしまったのです。
「自由」は時には「平等」を破壊します。
所謂「自由」と「平等」の二律背反です。
現代の我々にとって「自由」は、もはや最高の価値ではなくなり、むしろ苦しめるものですらあり得るのです。
結局、現代社会の中で生きている以上、我々は「与えられる自由」や「勝ち取る自由」からの選択でしかありません。
その中から自分らしく生きるための本質の「自由」を掴み取ることは厳しいことだが大切なことなのです。

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心が折れそうになった時

2025-03-10 05:11:29 | 日記
心が折れそうになった時

悩み事や辛いことがあって心が折れそうになる時、人は自分をどのようにして支えているのだろうか?
そんなとき自分だけの世界を持つことは折れそうになった心を癒やして生きていくことができると思うことがある。
人それぞれ違うだろうが僕は自分の心の修復には孤独の時間と自分のブログを読む事です。
孤独には大きなパワーがあります。
頭の中で自分流を強く意識することができます。
また、過去の自分のブログを読んでひとつの文章から気づきと勇気を貰い、それが自分を支えてくれることがあります。
考えてみると、それは昔も今も変わらない。
心が折れそうになった時、自分を癒やし支えてくれるもの、それは幾つになっても持っていたいと思っている。
柔軟な思考やしなやかな生き方ができれば、なかな折れない心を持てるはず。
しかし、そう簡単には持てないものでもあります。

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