旧極楽寺道の石仏・里程碑
現在行われている平良丘陵開発用地内にあった極楽寺道には石仏と里程碑の4丁・5丁・6丁・7丁・10丁・12丁碑があったがどのようになっているの
極楽寺道つれづれ-屏風岩・大日如来
星ケ城跡脇の登山道を下っていくと登山道の凹部に屏風岩・装束岩といわれる大岩があり、岩上に石造の大日如来像が安置されている。台座石には「無手堂
極楽寺道つれづれ-星ケ城跡
30丁碑を過ぎすぐに原方面からの登山道と出会いここからは緩やかな登山道となり、この登山道の左側尾根筋に中世の星ケ城跡がある。城跡は南北弓状の尾根上に郭群を配した
極楽寺道つれづれ-石塚・幕末砲台跡
石塚 木砲(下関戦争で配備された木砲-図録より)30丁碑の少し手前にかつて佐方方面からの登山道分岐があり旧平良村と旧佐方村の山境の石塚がみられる。
極楽寺道つれづれ-三角点
27丁碑を過ぎてしばらく登っていると右側に三角点が設置されている。点名は極楽寺で標高は518.36mのようである。「広島を繞る山の研究」の絵図によるとかつてこの
極楽寺道つれづれ-手無し観音
先日紹介した26丁碑の脇に祀られている手無し観音で、極楽寺文書によると「大日堂 一宇 四尺四方山林坂中ニ有之 但俗ニ手なし堂ト云」とあり、極楽寺境内にあったよう
極楽寺道つれづれ-天狗石
江戸期の上平良村地誌絵図で高尾山の上に天狗石が表示されている。高尾山は高地性集落遺跡の高尾山遺跡があった所である。天狗石については何らかのいわれがあったのであろ
極楽寺道つれづれ
宮島サービスエリア脇から極楽寺道を少し登った所に展望所があり、以前は宮島サービスエリアが俯瞰できていたのであるが樹木が伸びて見えづらくなっている。遠くの宮島を遠
平良丘陵開発の今
宮島サービスエリアからみた平良丘陵開発用地内の工事状況である。画像左側の伐採されている山は極楽寺道があった尾根筋であろうか。掘削地向うの瀬戸内をみると津久根島か
極楽寺道での変木
上画像は山陽自動車道のフェンス手前にあった木がフェンス網を喰って向う側に伸びており、年数が経っていくとフェンスの上枠も喰っていくのではなかろうか。中画像は以前にも紹
極楽寺道26丁碑まで
18丁・19丁・20丁碑上平良道分・22丁・24丁碑26丁碑・手無観音 昨日のウォーキングはコースを替え宮島サ...
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